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6 五年目、門倉優里愛 四角

 信じ難いことに、この超ハイペースを持続したままレースはホームストレートへと突入していた。当然のことながら、この段階でバテて脱落してしまった馬というのもボチボチと出始めている。現在のテヅカアクエリアスの位置は、脱落馬を何頭か追い抜いて、十番手辺りに着けている状態で、三角出口に差し掛かっている。

 さすがにそろそろ加速していかないと、勝ち目が全く無くなってしまうため、優里愛は手綱をしごいてテヅカアクエリアスに加速を促した。

 徐々に速度を落とし始めた先頭集団に、一番人気テヅカアクエリアスが弾丸の如きスピードで襲い掛かる。普通に考えれば単純にテヅカアクエリアスが上がってきただけなのだが、先頭集団がバテているために、上がるスピードが凄まじく速く見えるのだ。


 そして、いよいよ四角に突入する。まず入口に入った刹那、それは聞こえてきた。

『助けてくれ……』

《!? 何!?》

 聞き覚えのある声。否、聞き馴染んだ声。その主はいつも、優里愛に心地良い安らぎを提供してくれていた。都築好弘。今も健在ならば、間違いなく優里愛の夫となっている男性だ。

 勿論助けてやりたい。優里愛の好弘を助けたいという気持ちは、誰よりも強い筈だ。だが、具体的にどう助けてほしいのか、いまひとつはっきりしていなかった。助けるためにするべきことが何も浮かんで来ないのだ。

《解んないよ、何しろっての?》

 結果、優里愛は聞き返すことしか出来なかった。

『あの世に逝きたいんだ。おまえが四角を抜けたあと、振り向いてくれさえすれば……』

 好弘の言葉を、最後まで聞くことは出来なかった。振り向かなければ助かる、それはつまり、振り向いてしまったら死ぬのだということを意味しているのである。目をきつく閉ざし、烈しく左右に頭を振り乱しながら、

「嫌ぁー!」

 と喚き散らすことしか優里愛には出来なかった。

 最愛の男に死ねと言われる悲しみ、おそらくそれは、想像を絶するものだろう。その悲しみに堪え切れず落涙しながら目を閉ざした瞬間、優里愛を乗せたテヅカアクエリアスは、四角を抜け、ホームストレートに突入した。

 風の当たり方が左半身中心から、前半身全体へと切り替わった。そのことで優里愛はテヅカアクエリアスがストレートに入ったのだと直感する。恐る恐る目を開けてみると、何かが覗き込んでいた。一番最初に一連の事故の被害に遭った達川騎手が、口から舌のように腸管をはみ出させながら、とても恨めしそうな目付きを優里愛へと向けているのだ。

「ひっ、ひいっ、ひいぃえぁああああー!!」

 頭の中から、全ての思考が消し飛んだ。そして、思わずそれから目を逸らそうとする。勿論それを完全に視界から外すためには、後ろに振り向かなければならない。それは、反射的な行動であり、自分の意志など、一切関知しない領域の動きである。

 それをやってしまいそうになった時、助け舟を出してくれた者がいた。

『目ぇ閉じなさい!』

 昨年の被害者、月島幸子だ。まだ亡くなってはいないはずである。少なくとも、今日の第一レース発走の時点ではまだ息が在ったのだ。親友の声を聞いて、我に返った優里愛はそのアドバイス通りに目を閉ざす。

「ありがと、ユッキ」

『言ったでしょ、どんな手使ってでも有効な手段が判れば伝えてみせるって』

 確かに言っていたが、まさか幽体離脱で直接乗り込んでくるとは。

『これからあたしが手綱操作の指示してあげるから、言う通りに動かしなさい』

 要するに、このままずっと目を閉じていろということなのだろう。幸子の指示が始まる。

『大外に振るわよ。手綱を右に』

『違うな』

 もう一つの声が、幸子の指示に割って入った。好弘だ。

『奴ら、猛烈なスピードでコーナーに入ったから、インががら空きになってる。行くなら左だ』

 二体の霊の間で指示が真っ二つに分かれている。一体どちらの指示に従うべきなのか、その判断は非常に難しい。

『騙されちゃだめ! さっき判ったでしょ、好弘君はもう、あんたを道連れにしようとする悪霊でしかないのよ!』

『いくら月島のふりしたって無駄だ。月島はまだ死んでねえ、その事実が有る限り、月島がここに居る訳ねえんだよ』

 どちらの言うことも、筋が通っている。一概にどちらが嘘を言っているのか判断するのは難しい状況だ。目を開ければ済むことなのだろうが、おそらくはそれが許されない状況がまだ続いているだろう。

『俺を信じろ』

『さっき殺そうとしてた相手を信じるつもりなの!?』

 この一言で、優里愛の気持ちは、幸子の方へと傾きかけた。そうなのだ。ついさっき、好弘は確かに【振り向け】と囁きかけてきたのである。

 幸子を信じて、手綱を右に動かそうとした刹那、その声は降りてきた。耳からではなく、身につけたお守りを介して直接心に響いてきた好弘の声が、

『あそこで俺が振り向けと言ったから、見ないで済んだだろ? 四角で待ち構える俺達レギオンの姿を』

 と事情を説明している。



    《!》



 確かに、あのタイミングだったからこそ四角を曲がり切る少し前、つまり、奴らが居るだろう場所に行く直前に目を閉じることが出来たのだ。それより何より、彼自身の遺骨を介して直接心に入ってきた言葉に、嘘偽りなど在ろう筈もない。

「ごめんね、ユッキ」

 結局、そう言いながら優里愛が手綱を動かした方向は、左だった。

『よし、もういいぞ。あとは三発ひっぱたいてからひたすら追え』

 今の所何事もない。心配された内ラチとの激突はない。どうやら、信じて正解だったらしい。

『こっから先は奴らも必死だ。何があっても絶対に目を開けるな。あと、例え俺が何か言ってきたとしても、ここから先で聞く言葉は全部無視だ。いいな?』

「解ったよ、好弘」 

 残り五百メートル。最内から直線に向けて指示通り、三発ムチを入れて、必死に手綱をしごく。他馬が飛ばし過ぎにより片っ端からバテていることもあり、スタンドからは「ワープした……」とのとの声もちらほらと聞こえてくるほどのスパートを見せている。

 白い弾丸が馬群の脳天を撃ち抜いている時、その射手は、親友の声を聞いていた。

『だめ、ユリア! すぐ右に振って! 追突しちゃう!』

 先程【大外に振れ】と指示してそれを無視された幸子が、なおも優里愛に対し外ヘ行けと言ってくる。

《無視!》

 優里愛はこれを聞き棄てた。もう既にスパートに入っているのである。トップスピードに乗った後の急ハンドルや急ブレーキが、どれほどの危険が伴う行為なのかは、言うまでもない。例えその対象が自動車ではなくサラブレッド(軽車両)でも、その危険性はなんら変わりが無いのである。

 目を閉じたまま、落馬。只で済む筈も無い。


 馬群は2の標識を通過していた。トップで通過したのは、ライトニングボルトだ。さすがはブッちぎり系バカ逃げ馬の現馬神とまで言われている史上最強レベルの逃げ馬だ。粘り込み勝負だと、キッチリ先頭に踊り出てくる。

 その四馬身後方にインを強襲する形で馬群の脳天を貫通してきた白い弾丸が迫っている。他の馬は、既にテヅカアクエリアスから五馬身後方にちぎり捨てられていた。


 この段階で、優里愛は先程から聞こえている幸子の声は、偽物であると断定していた。外に振れ、内は駄目だという彼女の意見を全く無視して、それが成功しているのである。もはや疑う余地も無い。

 突然後方から、そんな幸子の悲鳴があがった。

『助けて、ユリア助けてぇ! 取り込まれる、取り込まれる、まだ、死んでないのにぃ!!』

 力強く、狂おしく、自分の存在の全てを懸けて優里愛に対し、助けを求める声。その必死さは、とても演技とは思えないほど真に迫っている。

《無視!》

 これも聞き棄てる。まだ、ゴールしていないのだ。ここで振り向いてしまうと、去年の幸子の二の舞となってしまう。

『お願い! 助けて! 助けてえぇ!』

 相変わらず耳元で叫んでいるかのように響き続ける悲鳴。優里愛は確信した。

《騙しだ》

 と。スパートしている馬の速度である。いつまでも同じ距離感で聞こえてくる訳がない。


 残り百メートル。超光速の逃亡者とゴッドオブホワイトウインドならぬ、ワープする白い弾丸との距離は、二馬身差に詰まっていた。距離的に、おそらくは写真判定レベルの際どい勝負となるだろう。



 勿論、テヅカアクエリアスが、無事にゴールできればの話なのだが。



 ここまで、親友月島幸子の名を騙るレギオンを悉とく退けてきた優里愛だったが、ここから先が正念場であると言える。昨年の幸子も、ここまでは持ち堪えていたのだ。

  【ぷじゅっ!】

 突然、弾力の高い袋が弾け破れたような、気味の悪い音が聞こえると同時に、優里愛は猛烈な腹痛に見舞われた。ことに、美男美女が生まれて来やすい血筋である門倉家の者として恥じない整った唇から、痛みに苦しむ唸り声が漏れはじめる。

 どうやら、自分らと同じ痛みを味わわすことによって、強引に落とそうという強行手段に切り替えたらしい。


《痛い、痛い痛い》

 あまりの痛みに、頭が回らない。ただ、こんな状態に陥ってもなお、【目を開けてはならない】という意識だけは、はっきりと持つことが出来ていた。

 手綱をしごくことも出来ず、まだ差があるというのに、持ったままとなっている。しまいには、立ち乗りが基本の競馬において前代未聞の座り乗り状態となってしまった。

 この状況で、後ろから声が聞こえてきたのだ。

『大丈夫か、優里愛』

 という、好弘の声が。


 逃亡者に弾丸が襲い掛かったゴール前。昨年の幸子同様、優里愛はそこかしこの穴から体液を分泌している顔をくしゃくしゃに歪め、後ろに振り向いていた。









 優里愛が振り向いた刹那、テヅカアクエリアスの馬体が大きく揺れた。胸が熱い。

『ぐわああぁ!』

 四角に、悲鳴をあげる好弘の姿が一瞬浮かび上がり、そして、消えた。

 一瞬大きく揺れたものの、テヅカアクエリアスは転倒する事なく無事にゴールを通過、優里愛もまた、無傷で一命を取り留めている。

 胸がまだ熱い。お札と遺骨の入ったお守りに何かあったことは、間違いないようだ。









    天皇賞

一着 五番テヅカアクエリアス

二着 十七番ライトニングボルト

三着 八番ロンバルディア










 後日、優里愛は、約束通り、婚約指輪を回収して左手に嵌めたあと、高瀬神宮という神社を訪ねている。自分に取り憑いたレギオンをお祓いをしてもらうためだ。

 慶輔の話によると、あのお札は呪いの効力を逆転させるためのお札だったらしく、その効力によって優里愛が死んでレギオンに加わるのではなく、レギオンが優里愛の背後霊として取り憑くという方向に逆転したらしい。


 月島幸子は、下半身を失うことになったが、かろうじて一命を取り留めた。本人は至って元気に、

「まあ、生きてりゃそのうちいいことも有るわよ。例えば、優里愛が引き取ってくれるとか、保護してくれるとか、養ってくれるとか」

 などと楽観的な観測を語っている。



 それからというもの、天皇賞から、一番人気の死の呪いは、跡形もなく消え失せたことは、言うまでもない。



〈終〉

 このような長い話に最後までお付き合いくださいまして、誠に有り難うございますm(_ _)m


 この企画はホラーを百編集めることを目標としております。これからまだまだ作品数が増えてまいりますので、読者の皆様、心行くまでこの企画を御堪能くださいませo(^-^)o


 ではでは、失礼いたしますm(_ _)m

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