2 四年目、月島幸子 天皇賞二日前
天皇賞(秋)。数有る日本のジーワンレースの中にあっても、格段に格式高いレースだ。だからこそ、現役最強クラスの馬達が大挙して登録して来るし、賞金額もべらぼうに高い。
十月最終週の日曜日、東京競馬場の第八レースとして開催されている。今年もこの、秋の風物詩である伝統の一戦が東京競馬場にやって来ようとしていた。一番人気に推された馬と人は【必ず死ぬ】、という恐怖のジンクスを引き連れて。
ここまで三年連続だ。馬は必ず骨折、予後不良。騎手も転落死と圧死の二種類あったが、必ず死んでいる。今年で四年目。開催を中止しようとの声もちらほら上がりはじめたが、まだまだ開催派を上回るほどの人数には満たなかった。
月島幸子は今年の一番人気に推されてしまいそうな、短距離王者のシルフィードウインドの主戦騎手を務めていた。
「ユリア、あんた来年一番人気取っちゃいそうだね」
今、喫茶店で共に茶をシバいている、同期の親友門倉優里愛に天皇賞の話題を振る。
「いや、来年より今年だよ! あんたほぼ間違いなく一番人気じゃん!」
そう、今二人が問題にしなければならないのは、来年の優里愛のことではなく、今年の幸子のことなのである。今の所競馬新聞では、二重丸三つ、黒三角二つの本命に挙がっていた。唯一の救いは、競馬予想のカリスマが距離不安を理由に、黒三角を打っていることぐらいだ。死の一番人気を回避できる可能性は、極めて薄い。
「ユッキ、降りなよ。長く騎手やってりゃ、そのうちまた良い馬乗れるって」
「嫌……。自分が助かるために他の人殺すなんて、絶対嫌。それにさ、シルフと一緒なら死んでもいいかなって思ったりしてるし」
デビュー戦から今まで足掛け五年、一度も背を譲ったことのない相棒だ。シルフィードウインドの歴史は、そのまま月島幸子の歴史と直結している。初勝利も初重賞制覇も、初ジーワン制覇も全てこの馬。シルフィードウインド在っての月島幸子なのである。
「シルフはいいコだから、出来れば助けてあげたいし」
確かに跨がってさえいれば、手綱操作によって転倒や骨折を回避できるかもしれない。
「こんな言い方しちゃ、ユリアにぶっ殺されちゃうかもしれないけどさ、ぶっちゃけた話今までのは、ただの脇見運転だと思うし」
そういえば去年までの事故は、逃げ馬を駆るジョッキーが、後方を確認すべく振り向いている時に発生している。例外無くこのパターンだ。
「だからあたし、後ろから行こうと思うの。シルフは短距離馬だから、どっちみちそうしなきゃバテちゃうだろうし」
今までと違う位置からの競馬。確かに、対策としてはそれで充分なのかもしれない。一番人気にかけられた呪いなのか、それともただの脇見騎乗による事故なのか。これによって、少なくともどちらなのかははっきりするだろう。
「来年は多分あんたのテヅカアクエリアスなんだから、最低でも参考になる騎乗はして見せるよ」
これは心強い。出来ることなら、出走自体を回避してもらいたいものだが、どうしても疾りたいと本人が言うのだから、せめて助かってもらいたい。それが自分の参考に出来るならそれほど嬉しいことはない。
「もし仮に死んじゃったとしても、どんなことしてでも、必ずヒントになるようなことは伝えてみせるし」
出来れば無事に帰って来てもらいたいのだが……。
「そういえば、ユリアん家の……、あの野球やってる霊感兄貴、あれ呼んでみてさ、それであんたの日曜の騎乗全部キャンセルして見に来なよ、天皇賞」
霊感兄貴。それは、沖縄シュバルツというプロ野球団に所属する、門倉慶輔という優里愛の兄。金、土、日と有明サーペントスタジアムでの東京テンタクルス戦が組まれていた。そして、今日の試合での先発登板も決まっている。
つまり、彼を明後日である日曜日に、東京競馬場に呼び付けるための環境は整っているのである。
人の目に見えないものを見て、聞こえない声を聞ける者をもう一人スタンドに置くことによって、超常的な方面にもアプローチをかけようという提案だ。
勿論それは、幸子自身のためではなく、優里愛のために。
「とにかく色々やってみるよ。ダチのためにも、あたしのためにも、ね?」
幸子はにこやかに笑いながら片目を閉じると、伝票を持って席を立った。慌てて優里愛も席を立つ。
それにしても、幸子自身がもう既に死のジンクスを受けているのも同然の状況であるにも関わらず、この落ち着き様である。
《もしかすると、どうにかしてくれるかもしれない》
僅かばかりの期待を持ちながら、親友の背を追いかけて、優里愛は喫茶店を後にした。