エトランジュ、探し回る
「この時間、いつもネリーはこの公園で遊んでたんだ」
ニノがそう言って辺りを見回した。
時間は昼を過ぎて少し立つくらい、二人はネリーの痕跡を求めて公園へ来ていた。ジュードにおとなしく待っているように言われたが、さすがに家でじっとしていられないとニノが言うので、昨日ネリーが立ち回っただろうあたりだけでも見に行こうと出てきたのだ。
ここは公園と言っても要は広場、芝生の植えてあるだだっ広い場所で中央に大きな木がそびえている。この木にひとつブランコが作り付けてあり、現にリアンナ達が公園に来たときも子供達が順番待ちの列を作っていた。
「あっ、ニノ!」
順番待ちの列から声がかかる。
「キリク!」
どうやらニノの友達なんだろう。ニノと同い年くらいの男の子が列の真ん中あたりで手を振っていた。ニノはリアンナに「ちょっといってくる」と言い置いて走って行った。
「キリク! ネリー見なかった?」
「ネリー? 今日は見てないよ」
「じゃあ、昨日は? 昨日はネリー、公園に来てた?」
「来てたよ。一緒にブランコの順番待ちしてたもん」
「その後は?」
「え~と、確かあっちの草が生えてるあたりで花摘んだりしてるのは見てたけど――――帰るところまではみてないよ」
「来てたんだ……」
ネリーがいたというあたりは少し背の高い草が生えていて、野の花が色とりどりに咲いている。今も小さな女の子たちが摘んでは花冠を編んでいるようだ。
「なんだよ、ネリーがどうかしたのか?」
「――――あ、うん、ちょっと用事があって……さがしてて」
いなくなった、と言おうと思ってニノは言葉をごまかした。リアンナとジュードから聞いた話はすべて理解できたわけではないが、騒ぎ立てるのはよくないとなんとなくわかっているからだ。
「へえ、そうなんだ。なあ、それなら最近騎士様がよく巡回してるから聞いてみたら?」
「――――騎士様?」
「うん。こう、金髪をうしろでひとまとめに結んでる背の高い人。いつもならそろそろ来る時間……あ、ほら」
キリクの視線の先には彼の言ったとおりの騎士が歩いている。腰に剣を佩き、詰め襟の騎士服に緑のマント。どこか不健康そうなこけた頬と細い目が印象的だ。騎士は公園の中をゆっくり歩きながら警戒するようにあたりを見回している。
そのときニノと騎士の目が合った。騎士は軽く片眉を上げ何かに気がついたようにニノを見やり、そのまま不健康そうな顔を笑顔にゆがめて近づいてきた。
「やあ、こんにちは」
「こんにちは」
「君はあまり見かけない子だね。このあたりに住んでるのか?」
「俺、普段は市場の食堂で働いてるんだ。だからこの時間はここには来ない」
「ああ、なるほど。今日はお休みなのか」
騎士がじろじろとニノを見る。身長の違いももちろんあるが、どこか見下されているような値踏みされているような視線に感じてニノは思わず半歩後じさった。
「――――ああ、悪かったね。じろじろ見るのは職業柄だ。君、名前は」
「ニノ」
「ではニノ、働いていると言うことは宿無し子だな」
「うん」
「そうか。今はひとりで生活できているかもしれないが、孤児院へ行くことも考えてみたらどうだ? もし行く気があるなら私が連れていくが」
「――――!」
ニノは騎士の言葉に一瞬息をのんだ。突然今問題視している孤児院が話に上ったからだ。「騎士団の中に内通者がいる」ジュードはそう言わなかったか。
押し黙ってしまったニノの様子に騎士は無言でひとつ頷いた。
「ではもしその気になったら私に声をかけてくれ。あまり遅くならないうちに帰るんだよ」
騎士はそう言ってその場を後にした。ニノとキリクはそれを目で追っていたが、公園の向こうの出口から出ていくのを見るなりニノが口を開いた。
「キリク」
「え?」
「今の騎士の人、いつもあんな感じ?」
「俺初めて話したの聞いたからわかんねえ」
「あれだよ、ちょっと――――蛇っぽい?」
「蛇」
二人で顔を見合わせて笑い出した。
「リアンナ!」
「ニノ、さっきの騎士は?」
駆け戻ってきたニノにリアンナが問いかけた。
さっきニノが騎士と話している間側に行かなかったのは、リアンナ自身のことを聞かれても答えられないからだ。
――――君は?
――――旅人です。
――――どこから来た。
――――異世界です。
どう考えてもそのまま牢屋か病院に直行だ。今のところこのカリンガルしか知らないリアンナは「よその国から来た」といってもその国名を答えることすらできないのだから、ごまかしようがないのだ。
それに相手は騎士だし、周囲に目もたくさんあるからそうそう変なことにはならないだろうと考えた。もちろん何かあれば駆けつける心づもりではいたが。
だが、正直なところリアンナは先ほどの騎士は少々油断ならない相手と見定めていた。剣の腕や強さが測れるわけではないが、どこか不気味な怜悧さを感じさせる。とりあえず頭の中にさっきの騎士の容貌をしっかりと焼き付けておくことにはした。
「――――で、孤児院に行かないかっていわれたけど断った。だってジュードさんが教会は怪しいっていってたからな」
「そうか、ホッとしたよ」
そういってニノの頭をそっと撫でた。ニノは聡明な子だ。
「今の騎士は――――よくここを巡回しているのかな」
「うん。キリクはそう言ってた。なんだか蛇みたいな人だよね」
「蛇」
思わずリアンナは吹きだしてしまった。子供の表現は余りにストレートで、ときに的確にツボをついてくる。
河原の家に戻る頃にはすっかり日が落ちて、あたりは暗くなってしまった。
「リアンナ、ニノ。遅かったな」
家の前にはジュードがいた。普段着で、片手に大きなバスケットを提げている。
「あれ、ジュードのおじさん。どうしたの」
「晩飯だよ、持ってきた。一緒に食おうぜ」
ニノの家は小さいので3人で入るとぎちぎちだ。そこで河原に腰掛けてジュードが持ってきてくれたものを食べることにした。バスケットの中には焼いた肉、チーズ、パン、サラダ、果物などがたっぷりと詰められている。
「うわあ! おいしそう」
ニノが目を輝かせ、ジュードがそれにふふんと自慢そうに笑った。
「うちの嫁は料理上手なんだ」
「――――嫁?」
ニノが不思議そうにジュードを見上げる。
「おじさん結婚してるんだ」
「おう。この前の春にな」
今度飯食いに来いよ、なんて笑いながら皿に料理をとりわけ始めた。料理は確かに家庭的な温かさにあふれていてとても美味しい。三人はしばらく舌鼓を打っていたが、突然ニノがリアンナに問いかけた。
「リアンナは?」
「え? 何が?」
「リアンナは結婚してるの?」
「――――いいや、でも結婚の約束はしているよ」
「それが、リアンナの大事な人?」
「うん」
「その人の所に――――帰るんだね」
ぽつりとこぼれた言葉はどこか寂しそうな音を含んでいる。
「ニノ……」
リアンナにはかける言葉が見つけられなかった。
二人きりの兄妹。頼る人も住む家も奪われ、必死に生きてきた。特に妹を抱えたニノはこれまで気を張りっぱなしだっただろう。
リアンナはそんなところに現れた。手をさしのべた。
それ自体は悪いことではない。ただ、まだ小さなニノは一度味わってしまった温かさを手放すことに恐怖を感じているのではないだろうか。こればかりはいつかこの世界を去らなければならないリアンナにはどうしようもないことなのだ。
少しの間3人の間に静けさが広がる。それを打ち消したのはジュードだった。
「ニノ、今日は疲れただろう。もう寝ろ」
いいながらニノの頭を大きな手でくしゃっとかき回す。おなかがいっぱいになったニノは確かに眠そうな顔をしている。促されるままに寝台にもぐりこんだニノはとろんとした目をリアンナに向けて、それからおずおずと片手を伸ばした。
「寝てる間に……いなくならいでね」
「もちろんだよ」
伸ばされた手をそっと握った。これがいいことかどうかわからない。が、今この瞬間求められている手をはねつけることだけはできなかった。
握った手は小さく細く、荒れていた。
「よう、ニノは寝たか」
「ジュード」
ニノを寝かしつけて外に出ると、河原にジュードが座っていた。ニノを寝かしつけている間に食事の後片付けをしてくれていたようで、すっかり片付いていた。
「すまないな、片付けまでさせてしまって」
「気にすんな――――それより、ちょっと話しようか」
「話?」
「まあ、座れって」
河原を渡る夜風は少し冷たいが心地いい。さらさらと流れる水音、空を彩る星々の光。何ともロマンチックなシチュエーションだ。――――が。
「なあ、リアンナさんよ。あんた、旅人だって言ってたよな。どこから来たんだ?」
話の内容はロマンチックとはほど遠い。なるほど、確かにニノの話はしたがリアンナ自身の話はほとんどしていない。ジュードとしてもそこを確かめねばならないのだろう。
「遠くだよ」
「遠く? ティガール国とか?」
ティガールという国は知らないが、おそらく相当遠いところなのだろう。
「――――もっともっと遠くだ。いや、隠すつもりはないんだけれど多分話しても信じてもらえない」
「そんなの、言ってみなきゃわかんねえだろ」
「ふふ、私はね、剣と魔法の国から来たんだよ」
「――――はあ?」
まあ妥当な反応だろうなと軽く肩をすくめる。
「な、信じられないだろう?」
「あ、いや、その」
「まあいいさ。嘘は言っていないけど、ジュードからしたらおとぎ話みたいに聞こえるだろうからな。私はそこで騎士をしていた」
「ふうん?」
おや、とリアンナは目を見張る。ジュードの目が興味深げに自分を見ているのだ。
「騎士というなら、腕に覚えがあるんだろうなあ」
「どうだろうな。試してみるか」
にやりと笑って二人とも立ち上がった。距離を置いて向かい合い、互いに互いの出方を伺う。
ジュードはとりたてて構えているわけではないが、隙がない。じり、と足元を確かめながらそのきっかけを探す。
――――ワン!
どこかで犬の鳴き声がした。その瞬間二人は同時に飛び出す。
ジャリッと石を踏む音が鳴った次の瞬間、二人の中間地点で互いの拳と蹴りとを防御し合う体勢でぶつかり合っている。
「やるな」
「お互いな」
そこからは猛スピードの攻防が始まった。
どちらも武器を持たない徒手空拳でありながら、まともに入れば痣だけでは済まないだろう鋭さのある攻撃と、それを防ぐ回避、防御。
次第にその攻防に熱がこもってくる。有り体に行ってしまえばムキになってきたのだ。
「ははっ、やばいぜ、血がたぎる」
「余裕だなジュード! だがこれならどうだ!」
「まだまだぁ!」
夜の川辺に手合わせの域を超えた熱気が膨れ上がる。
だがそれが一瞬で掻き消えてしまう。リアンナはぴたりと戦いを止めた。
「ニノ?」
「どうした、リアンナ」
「呼ばれた気がする」
急いで戻ったが、ニノが寝ていた寝台はもぬけのから、どこにも姿が見えない。
「ニノ?!」
外へ飛び出し周辺を見て回るが、ニノの姿はみあたらない。ただ川が流れていく音、自分の息づかい、そして遠くを走る馬車の音が聞こえてくるだけだ。
「あれか」
「馬車だな」
リアンナとジュードは音を頼りに夜の中を走り出した。