旅立ちのエトランジュ2
「クローディア、何を言っているんだ」
レギオンがリアンナを庇うように背後に隠す。トマスも厳しい表情で近寄ってきた。
「レギオン、その女性は?」
トマスの冷ややかな声が響く。レギオンは心底困った顔だ。
「彼女はクローディア=ロンド=ビエラ。魔法省の部下です」
「ほう」
「ですが、飽くまで部下です。色っぽい話などこれまで一度も」
するとクローディアが目に涙を浮かべてレギオンの胸にすがりついた。
「いいえ! レギオン様はいつも私を側において信頼を寄せてくださいました。私以外の女など誰も寄せ付けなかったじゃないですか」
「いや、部下で女性は君だけだろ?」
レギオンに押し戻されて、クローディアの目から涙が一筋零れる。元々の美貌も相まって、庇護欲をかきたてられるようや美しさだ。が、レギオンは面倒臭そうにクローディアを振りほどき、背後に隠したリアンナの手を取る。
「そもそも俺はリアンナ以外を娶るつもりは端からない。他の女なんて必要ないんだ」
「いや、待ちたまえ。――――クローディア嬢、君はこのレギオンから愛を告げられたりしているのかね?」
口を挟んだのは国王だ。穏やかなこの王は、柔らかな話し口調や表情をしているがその実鋭くまた公平な人物だ。双方の言い分を聞くのは当然と言えた。ひょっとしたらレギオンは、このクローディアという女性と裏で男女の関係にあるのでは、という疑念も今の状態では払拭できない。
が、クローディアはうっとりとレギオンを見つめたまま夢見るように言った。
「言葉など必要ありません。私に向けていただける信頼、細やかな心遣い、何よりも私だけを認めてそばに置いて下さる態度。どれをとっても私への愛情にあふれているではないですか。これでレギオン様のお気持ちに気づくなというほうが愚かというもの」
「つまり、君に対して異性としての好意を言葉で示したことはないんだね、彼は」
「――――はい」
「では、下世話なことを聞くが男女間のそういった接触は?」
「――――レギオン様は私を大切にしてくださっているのです。未婚のうちからそのようなはしたない真似はなさいません。指一本たりとも」
あくまで確信に満ちたクロ―ディアの言葉にリアンナは背筋が寒くなってきた。ふと見ると、レギオンが怒っている。表情が見えるわけではないが、その肩から背中から怒りに震える気配がしみ出してきていた。
「レギオン」
「信じてくれ、リア。確かにクロ―ディアは優秀な部下だが、それ以上でもそれ以下でもない。そんなふうに見たことも考えたことも、ましてや触れたこともない」
リアンナはレギオンを見た。いまクローディアが言ったことは本当なのだろうか。半年も音信不通になっていたのだ、その可能性も考えられなくはない。けれどレギオンの瞳は必死だ。それも後ろめたいところがあるような焦りはみじんも感じられない必死さだ。恋愛ごとにはうといリアンナだが、幼なじみのことならわかる。小さな頃からまっすぐなレギオンは、クローディアと隠れてつきあえるような人間じゃない。
そう確信してリアンナはレギオンの背から出てまっすぐ歩き出した。それを見て周囲の人間がぎょっと顔をこわばらせる。クロ―ディアも同様だ。驚いて、それからリアンナを焼き殺しそうな瞳でにらみつけた。
「クロ―ディア嬢。私はリアンナ=オリエ=エリダール。レギオンの幼なじみで――――たった今、婚約者になった」
ぎりり、ときしむほどにクロ―ディアが歯をかみしめる音が聞こえた。
「聞いている限り、貴女がレギオンを好きなことは伝わってきた。だが、他のことならいざ知らず、私には彼を貴女に譲ることは出来ない。なぜなら私も心の底から彼を――――好きだから」
「貴女がリアンナ」
どうやら名前くらいは聞き知っていたらしい。リアンナをにらみつける瞳にどす黒いほどのなにかが宿る。
「――――が」
「え?」
地を這うような低い声が聞き取れずに聞き返すが、返ってきたのは炎よりきつい瞳と絶叫だ。
「おまえが、いるからあああああ! レギオン様はあああああ!」
と同時にものすごい量の魔力が奔流のようにリアンナに押し寄せる。魔力はあるが決して平均値を上まわらない程度のリアンナには瞬間的な対処は無理だ。魔力の奔流は黒い津波のようにリアンナにのしかかり――――彼女の中に侵入した。
「ぐっ! ぁあああっ!」
「リア!」
「リアンナ!」
体の中から焼き尽くされるような熱。魂のどこかをこじ開けて強制的に書き換えられるような苦痛。自分が違うものになってしまうような恐怖。
しかしそれらは唐突に消滅した。苦痛を耐えたぶんの体力の消耗は感じても、何が変わったようにも感じない。
「何? 今の……」
「リアっ!」
レギオンに抱き起こされて初めて自分が床に倒れていたことに気がついた。目の前には心配そうなレギオンの顔。そっと首を回すと、少し離れたところでクロ―ディアが数名の騎士に拘束されているのが見えた。首には魔法封じの金属輪が取り付けられている。魔法を使った犯罪者を捕らえるための道具だ。
だが押さえつけられて尚クロ―ディアはその目の光りを失っていない。薄笑いを浮かべたその顔を見てなんだか薄ら寒くなる。
けれどなんだか左肩が熱い。
「つ……」
無意識に左肩の様子を確かめようと伸ばした手をレギオンに掴まれる。
「これは……っ!」
レギオンの顔から血の気が引いている。
「クローディアっ! 何をした! 今すぐ魔法を解け!」
魔法? 何か魔法をかけられたんだろうか? その疑問に応えたのはクローディアの高笑いだった。
「あーははははっ! おまえなどどこへ消えてしまえばいいのよ! レギオン様のそばになどいさせない! お前さえ消えればレギオン様は私のものになるのよ!」
そう叫んでまた高らかに笑う。
「レギオン、どうなったの?」
「――――魔法だ。おそらくリアをどこかへ飛ばしてしまう。待って、今この肩の印を解読してる」
「印?」
「自分じゃ見えないだろうが、左肩の背中側に黒い薔薇が刻印されている。これが魔法印だ。何とか解除できないかやってみている」
「ムダよ! その女はどこか違う世界へ飛ばされて、二度と戻ってくることはできないわ! そういう魔法ですもの」
クローディアの勝ち誇ったような声にレギオンの表情に焦りが浮かぶ。リアンナの中に魔力の流れができて、クローディアのかけた魔法、いや呪いが発動しようとしていることがわかったからだ。
「くっ! 解除できないなら、せめて」
レギオンがリアンナの左肩とプレゼントしたばかりのペンダントに手を当て、力を送り込む。さっきのクローディアにかけられた魔法とは違い、暖かい力がリアンナの中に流れ込んできた。それと同時にリアンナの身体がキラキラと光をまとい、少しずつその姿が薄れ始める。リアンナには、どこかへ吸い込まれていくような落ちていくような不安な感覚が広がってきている。
「な、何?」
「リア! すまない、今すぐ君の呪いを解くのには時間が足りない。だから、必要なことを伝える」
レギオンが彼女を抱きしめて必死に伝える。
「出来る限り魔法の条件を軽くした。ここへ戻って来られない、ではなく、戻ってきたら魔法が解ける、というように書き換えた。そのペンダントには自然界の魔力を少しずつ蓄積させる機能がついている。満タンになると石が青になるから、そうなったらペンダントに願って他の世界へ君の意志で移動できる。ペンダントにそう願えばいい。ただ、どこの世界へ行くか指定するまでは改変できなかった。すまない。
――――リア、愛している。必ず……」
早口でまくし立てるレギオンの声が徐々に遠くなり、最後まで聞き取ることはできなかった。
リアンナは身一つで住み慣れた世界を放り出されたのだった。