ニノ、喧嘩を売られる
こちらでは大変ご無沙汰しております。
クリスマスなので番外編を一本投稿いたします。クリスマスとはなんの関係もないお話、おつきあいいただければ嬉しいです。
「生意気なんだよ、てめえ!」
鋭く品のない言葉が襲いかかるが、ニノはそれをぐっと押し黙って受け流す。
学校に入って三ヶ月。どこからかニノがもと宿無し子だという話が漏れたらしく、今や一部の生徒から絶賛いじめの対象にされてしまっている。
ニノが通う学校は主に騎士団の子息や貴族の子息などが通う。彼が遭遇した事件の後に彼とその妹を引き取ってくれた騎士ジュードが入れてくれたのだ。学べることはニノにとってとても楽しく、知識をどんどん吸収していく。成績は良好で、家ではジュードに剣を教わったりしていて、学校で優等生と呼ばれるようになるまでそうそう時間はかからなかった。
だが、やはりそれと宿無し子だったということも相まってやっかみの対象になってしまったらしい。この日も学校帰りに貴族の子供五人に取り囲まれ、大通りから一本外れた裏路地で吊るし上げられていた。
「こいつ、平民どころか宿無し子だったくせに優等生だなんて、何かずるしてるに決まってるんだよ」
「だよな! 俺たち貴族様がおまえみたいな奴に負けるわけがないんだ」
五人組のひとりマルコの言葉にもう一人パーシーも尻馬に乗る。マルコは子爵家の子息、あたり構わずこうやって絡んで回るので庶民出の騎士の子どもたちからは怖がられている。下手に逆らって自分の親に子爵家からなにがしかのとばっちりが行ってはかなわないからだ。あとの四人、パーシーにケヴィン、ルイスとエディもやはり貴族の血を引いている。
勝手なことを、と苦々しく思うが、ここで反論するとそれが何倍にもなって返ってくることを彼はよくわかっていた。
だから何も言わずに目をそらしていたのだが、それすらも徒党を組んだ連中にはカチンと来たらしい。
「なんとか言えよ!」
グイッと襟元を掴み上げられて顔が上を向く。それでもじっと黙っているのだが、腹の中は悔しさでいっぱいだ。ヘラヘラした顔なんてできるわけがない。
「ーーーっ! この、ガン飛ばしやがって!」
「構うもんか、体でわからせてやればいいんだ」
そう言い放ったエディがげんこつを握って振り上げた。あからさまに視線も拳もニノを狙っている。
ニノは襲ってくるはずの痛みに備えてぎゅっと目をつぶった。
「な、なんだおまえ!」
けれど想像していた痛みはおそってこない。かわりに驚く声が耳に飛び込んできた。
「多勢に無勢か。格好悪いな」
大人の男性の声だ。ニノのいる路地裏は薄暗く、路地の出口から午後の白っぽい光が見える。
男性は路地の出口を背に立っているので、逆光で顔が見えない。けれど長身で髪の長い男だということはわかった。そして決して貴族のような豪華な服装ではないことも。
マルコたちもそこに気がついたのだろう。ふふん、と鼻で笑う。
「おまえには関係ない。いいか、僕は子爵家の子息だ。見てみぬふりをしたほうが自分のためだぞ」
「へえ」
男はニノとマルコ達をしげしげと見比べた。けれどちっとも貴族を敬おうとしないの風情がマルコ達を苛立たせる。
「おまえっ、生意気だぞ! おまえなんか」
「なんだ? パパに言いつけてやっつけてもらうのか?」
「なっ!」
「それともおまえ自身で俺に立ち向かうのか」
「ーーーっ、もちろん僕自身に決まってるだろう! おい、おまえたち!やるぞ!」
セリフの後半はパーシーたちに振り向いての言葉だ。自分自身でやる、と言ったその口でパーシーたちを巻き込もうとしていることにニノは頭を抱えた。
だが男は意に介さず顎をクイッとしゃくった。
「いいぜ、そのくらいのハンデはやるよ。ただし、俺に負けたらその子から手を引け。約束を違えたらーーーーそうだな」
男は腕を組んで少し考える。
「よし、約束を違えたらおまえらをネズミに変えちまおう!」
「はあ?」
少年達は呆気にとられ、すぐに顔を真っ赤にして怒りだした。
「馬鹿にするなああぁあ!」
マルコが拳を振り上げて男に殴りかかる。が、男は余裕でひょいひょいとそれを避けていく。避けられるたびにマルコは怒って冷静さを欠いていくように見える。拳はどんどん大振りに、動きも無駄だらけだ。
「うおおおお!」
力一杯殴りかかったマルコをひょいっと避けたついでに男が軽く足を出す。お約束通りマルコは躓いて顔から地面に倒れ込んだ。
「わあっ、マルコ!」
「ありゃ~、ちょっとやりすぎたか」
泥だらけで顔を上げたマルコの瞳は煮えたぎるほどの怒りと羞恥をはらんでいる。
けれどその向かう先は男ではない。
ニノだった。
「ニノ、おまえ卑怯だろう! おまえこそ自分で立ち向かおうと思わないのか! こんな知らない大人に俺の相手をさせないで!」
感情的に怒鳴り散らすマルコをニノは呆然と見ていた。いつもならニノを弱者としめ蔑む行動を取るマルコが「正々堂々と立ち会え」と言っているのだから。
けれどその言葉に乗る訳にはいかない。そこでマルコに傷一つつけようものなら、義父であるジュードが貴族たちから職場でどんな難癖をつけられるかわからないからだ。だからニノはいつも武術の実習のときには避けることを主体にしていた。
「ーーーーっ、生意気なんだよ、おまえは! 授業だろうと喧嘩だろうと、絶対に俺とまともに立ち会わない。俺はおまえにとってそんな取るに足らない実力かもしれないけどな、腹が立つんだよ、その態度!」
「――――えっ?」
ぱちくり、と音がしそうなほど目を見開いた。マルコは今何と言った?
「なんだ、こっちの坊主にも問題があったわけか。正々堂々立ち会ってもらえないのは歯がゆかったわけだ」
男が呆れた声を出した。
「う、うるさい!」
マルコが怒鳴ったけれど、もうニノには彼の怒鳴り声が前と同じには聞こえなくなっていた。マルコの顔は真っ赤で、目を必死に逸しているさまは拗ねているようにしか見えない。
「マルコ、ほんとにそれで怒ってたの?」
「……」
どうしよう。悪いことをしたとは思うけどここで謝ったりしたらますますマルコたちに対して失礼な気がする。
「ーーーーしょうがねえな! おい、どうだ。ふたりで勝負してみろよ」
その場の固い雰囲気を打ち壊すように男がニノとマルコの背中をバン、と叩いた。
「お互い手加減なし! 勝負に文句はつけない遺恨は残さない! それでどうだ」
「ーーーーいいぞ」
「わ、わかった」
二人がしっかり同意するのを見届け、男は持っていた大きな袋から木剣を二本取り出して二人に手渡す。
ニノとマルコは少し離れて向かい合い、木剣を手に構えた。
「いいか、勝負はどちらかが参ったというか気を失うまで。始め!」
男の合図でまず走り出したのはマルコだ。剣を両手で握り、一気に距離を詰める。同じく両手に剣を握り構えたニノは、重心を低くしてそれを迎える。
突進してきたマルコを寸前で体をひねって躱し、マルコの後ろに回って剣を斜めに振り下ろした。
「ーーーーっく!」
マルコもそれを読んでいたのかニノが後ろへ回った瞬間にわざと体勢を崩して前へ転がり切っ先を避けた。
「ほう。二人ともなかなかやるな」
のんびりと男が腕を組んでその戦いを眺める。残りの男の子たちは「いけ!」「そこだ!」と声援を送るのに夢中だ。
だが決着まではそれほど時間はかからなかった。
体はマルコのほうが大きい。だがニノは小柄なぶん素速い。それを活かした戦い方を養父に嫌というほど叩き込まれているのだ。俊敏性を活かした動きにマルコは足をもつれさせ、その隙きをつかれてピタリ、と眼前に剣を突きつけられたのだ。
「ーーーー俺の負けだ」
はあはあとマルコが荒く息をつきニノが木剣をおさめる。
「ちくしょ、あー、負けたっ!」
へたりこんだまま天を仰ぐマルコの目の前に手が差し出される。ニノだ。
マルコはちょっとだけ変な顔をしたがすぐにニノの手を取り、引き上げてもらって立ち上がった。
「次こそは俺が勝つからな」
「返り討ちにしてやるよ」
仏頂面のまま言うマルコにニノが返す。どちらともなく片腕を上げ、腕と腕をこつんと交差させた。
マルコたちが去ったあとを見送るニノは疲れた顔をしているが満足そうに笑った。
「ま、よかったな」
男がそんなニノを見ながらくしゃりと頭を撫でた。
「ありがとう、おじさん」
「おじ……ま、いいか。それよりちょっと腕見せろ。一発食らってただろ」
「ーーーーばれた?」
シャツをめくると肘の上にあざができている。
「大丈夫だよ、こんなのニチジョーサハンジだから」
「ま、俺もけしかけちまったからな。ちょっと待ってろ」
そう言うと男はあざに手をかざす。途端にふわっと腕に熱を感じたーーーーが、それと同時に胸元にもちりりと熱を感じる。
男が手を離すとどちらも熱は引いていたが、あざもきれいに消えていた。
ニノは目を見張った。
これはーーーーまさか、
「魔法……?」
あざの消えた腕と漢の顔を何度も見比べる。
「貴方は誰? この世界に魔法はないんだよ、これが魔法ならーーーーね、見て」
ゴソゴソと胸元から大切なお守りを引っ張り出す。革紐に青いビーズが通してあるだけのそれは、かつてニノと妹ネリーの恩人が残していったもの。先程胸元でちりりと感じた熱はこのお守りが発したものだろう。
ニノの胸に鮮やかにその姿が浮かぶ。金の長い髪、頼りになる笑顔。別れたときはすごく寂しかったけれど、彼女に誇れる自分を目指したいと強く思った。
そしてニノのお守りを見るなり男の顔が劇的に変わった。
「ーーーーこれはっ!」
「俺と妹の恩人からもらったんだ。その人は魔法を使えた」
「いつ……いつ頃の話だ」
「半年くらい前」
男は今までの飄々とした表情を崩し、愛おしそうにお守りを見つめた。お守りを、いやその向こうにいる人を。
懐かしそうな、泣きそうな、けれど胸いっぱいに何かが詰まって飲み下せないような顔に少し暮れかけた夕方の光が当たる。目の端に夕焼けが反射したように見えたけれどニノはそれには触れなかった。
そして彼は男にほぼ確信を持って尋ねた。
「おじさんがひょっとして、レギオンさん?」
男ーーーーレギオンは少しの間をおいて小さく頷いた。
「俺の、名前を、誰から」
「もちろんリアンナから」
「ーーーーそう、か。彼女がここへ」
「うん。俺と妹を助けてくれた。一緒にいられたのはほんの十日ほどだったけど」
その間にリアンナはいろいろな話をしてくれた。リアンナの世界のこと、魔法のこと、家族のこと、そして彼女を待っていてくれるだろう大切な人のことを。
「レギオンさんはすごい魔法使いだってリアンナが言ってた。ひょっとしてリアンナを追いかけてるの?」
「ああ、その通りだ。彼女を探して世界を渡り歩いてきたーーーーだがリアンナの足どりがわかったのはここが初めてだ」
ありがとう、とレギオンがかすれた声でつぶやいた。
そうか、とニノは理解した。レギオンはニノに会うまでどれだけの時間なんの手がかりもなくリアンナを探していたのだろう。今生きているかどうかすらわからない状態で探し回ることは世界中の砂浜からたった一粒の砂粒を見つけることよりもきっと果てしない。
そう理解しながらもニノは嬉しかった。
リアンナが一人で旅していることが心配だった。頼りになる彼女をニノのような非力な子供が心配するなんておかしな話かもしれないが、それでも果てしない彼女の旅の末に幸せが待っていればいいと願わずにはいられない。
けれどその心配は杞憂だったようだ。現にこうしてリアンナを探し求めている人がいる。それがまるで自分のことのように嬉しかった。
だからニノはレギオンの手を取った。
いつか二人が会える日を願って、少しでも彼らの力になりたくて。このカリンガルの街で希望を持ってレギオンに旅を続けてもらうために。
「レギオンさん、うちに来てよ。みんな喜ぶから」
「お、おい」
「リアンナの話、聞きたいでしょ? ここにいる間、うちに泊まってくれればいいから」
ニノはレギオンの手を強引に引っ張って歩き出した。戸惑っていたレギオンもやがて「仕方ない」という風に歩き始める。
二人の影が夕暮れの石畳に長く長く伸びていた。
案の定ニノの家族に大歓迎されたレギオンは、数日後にリアンナを追って笑顔で旅立っていった。必ず見つけ出す、そうニノに約束をして。
二人がいつの日か会えるかどうか、それを確かめる術はニノにはない。
だから信じる。彼らが再会する時を。




