ジュード、対峙する
リアンナと別れたジュードは建物沿いに回り、壁のすぐそばに生えている大きな木を足がかりに建物の二階へ上がった。
この別荘は二階建て。貴族の館など大体の構造は予想がつく。ジュードは戸締まりの甘い窓からそっと中へ侵入した。
このあたりにはどうも人の気配がない。自身も気配を殺しながら月明かりを頼りに手持ちランプを探し出し、明かりをつけて室内を物色する。捜し物は正直自分でもわかっていないが、ここにニノが連れ込まれたのだとしたらディンゴ・フェイノルンかピアス子爵が人身売買組織とつながりがあることの何らかの物証が見つかる可能性が高い。
幸い忍び込んだ部屋は執務室のようだ。重厚な机、その上には羽ペンやインク壺、シガーケースなどが見て取れる
だが使わないで放っておけばインクは固まり、シガーは湿気ってしまう。ということは、見てくれ通りの別荘ではなく日常的にこの机を使用しているということだろう。
ざっと机の中を漁るがめぼしいものはない。
「――――ふん」
しかし漁っていくうちにジュードはふと違和感に気がつき、引き出しの奥まで手を突っ込んだ。引き出しの底板がほんのわずかだがかたかたと動く。
「ここか」
底板を持ち上げるとその下に紙の綴りが現れた。
「二重底、か。ずいぶん必死に隠したいものみたいだな、っと」
ランプを近づけてざっと目を通す。ランプは暗く、そして時間もあまりないので細かいところまでは読み込めないが、どう見てもこれは――――
「帳簿だな」
だが何の金額かを書く摘要欄には記号と数字が書かれているのみ。はっきりとはわからないが、おそらくこんな風に隠してあるのだ、後ろ暗い帳簿に違いないとジュードは帳簿を懐にしまい込んだ。
「――――ん?」
二重底の奥、帳簿を取り出した後に引き出しの底板が見えた。そっと触ってみると何となく違和感がある。さっきと違い、かたかたと動く気配はないが、こんな重厚な机に使っているにしては安っぽい底板なのだ。それが気になってよくよく観察すると、引き出しの奥の奥にほんのわずか、小指の先が入る程度の小さな穴が底板に開いていた。それを足がかりにして持ち上げてみる。
「たまげたな。三重底だ」
そこからは厚手の紙が一枚出てきた。ざっと見て、どうやら契約書のようだ。ディンゴとサイモン、そしてもう一人ナバロ・ケアリーという人物の署名が入っている。
「おいおい、俺が言うのも何だけど不用心すぎだろ。んなもん書面で残しとくんじゃねえよ。俺は助かるけど」
貴族の屋敷であること、そして別荘で普段使っていないことなどから油断があったのだろうか。ジュードは苦笑しながらその契約書も懐へしまい込んだ。
――――と。
がらがらがら。
外から馬車の音が聞こえてきた。
「まずい。誰かこの屋敷に来たのか――――そうか、例のケアリー商会とかいう奴か」
ジュードは心の中で舌打ちした。ケアリー商会から人が来たと言うことは敵の人数が増えたということだ。これは早いところリアンナの手助けに向かわなければ。誰かを守りながら戦うということは、想像以上に大変なことだ。
音も立てずに部屋を抜け出し、ジュードは様子を見つつ地下室を目指すことにした。
ほとんどの貴族の屋敷には、屋敷の裏側に使用人棟が存在する。主人たちの使う主屋は使用人が仕事のために通行することが禁止されているため、そちら側に使用人専用の廊下や階段、さらには使用人たちの居室や作業場があるのだ。
貴族の別荘という本来の用途ではなく人さらいの拠点となっているからには、わざわざ粗末な作りの使用人棟を使用することはないだろう、そう予想したジュードの考えは当たっていた。ジュードはそちらをそろそろと通って一階まで降りてきた。
ちょうど玄関ホールが見えるあたりまで来たとき、玄関がノックされ馬車の来客が入ってくるのが見えた。ジュードは物陰に隠れてその様子をうかがうことにした。
馬車から降りてきたのは五人。いかつい顔つきの強面の大男が四人、そして一人だけ背の低い坊主頭の男が混じっている。建物の玄関を開け馬車で来た客人の応対をしている男は五人を招き入れ「どうも、ケアリーさん」と坊主頭の小男に挨拶をしている。
ケアリーたちは一階にある大きな部屋へ通された。そこには案内の男を含め男ばかり五人が待ち構えている。
ニ人はやはりいかつい大男、チンピラっぽい風体だ。だがあと三人の男を見てジュードは目を見張った。
(サイモン神父! それにディンゴ・フェルノイン!)
そう、後の三人には見覚えがあった。
一人は予想通り、サイモン神父。
そして残りの二人は自分の上司ディンゴ・フェルノインとその腰巾着、チェス・ヴィンチ。もちろん、二人ともジュードと同じ騎士団員で、ジュードが当初から怪しいと思っていた人物だ。
☆★☆★☆
「騎士団、だぁ?」
男の一人がせせら笑う。白狼騎士団の名乗りを上げたリアンナだが、確かに今はごく普通の町人Aな服装だ。騎士らしいところなど剣を持っていることだけだ。
だから男達はそれをはったりだと思った。「そんな国なんざ聞いた事ねえ」とリアンナを嘲笑するのだ。
「はぁ。どこに行ってもお前達のような輩は必ずそう言うんだ。そんな国きいたことない、はったりだろう、と」
「んなこと言って信憑性増そうってか?」
「いいや、場所が変わってもそんなに違わないんだな、と思っただけだ。面倒くさい」
「あぁ?」
男の頬がぴくりと引きつった。
「だから面倒だ。さっき言っただろう、命が惜しくないならかかってこい」
「んの、アマぁ……」
男の一人がベルトに挿していた短剣を抜いた。
「ぶっ殺してやる!」
短剣を腰の横に構え、一気にリアンナに向かってくる。振りかざしたり振り回したりしないあたりは短剣を使い慣れていることがわかるが、生憎リアンナの敵ではない。
「罵倒する言葉も共通だ」
すっと身を躱し、男が前につんのめったところを剣の束で殴り倒した。
「がっ……!」
短剣の男がそのまま昏倒したのを見て、もう一人が慌てて大声を出した。
「おいっ! 誰か来てくれ! 侵入者だ!!」
「ちっ、面倒だな」
リアンナは心底面倒そうに前髪をかきあげた。
★☆★☆★
「おいっ! 誰か来てくれ! 侵入者だ!」
階段の方から男の叫びが邸内に響き渡り、大広間にいた男たちに一気に緊張が走る。
「今のは?」
「ウーゴだ。地下にガルフと二人でガキ共の様子を見に言ったはずだが」
顔を見合せ、大男たちの中から四人が様子を見に移動を始めた。それを見てジュードは危機感を覚える。
「まずい、リアンナたちが」
慌てて地下へと移動を始めた。
(間に合ってくれよ……!)
ジュードは暗い廊下を全速力で走り出した。
階段を飛び降りるように駆け下り、地下へあっという間に到達した。だが、階段から地下のフロアへ出る扉が施錠されている。
「くそっ!」
ジュードは来た道をとって返し、一階へと駆け戻る。地下へ直接降りられないならば、使用人棟ではなく主屋の階段を使うしかない。だが、そこを通ると言うことはディンゴたちに鉢合わせする可能性が跳ね上がると言うことだ。
使用人棟と表をつなぐ扉を抜け、あたりを見回し人がいないことを確認する。地下へ降りる階段が玄関ホールを横切って右側にあることはさっき四人の男達が出て行ったときに確認している。ここで見つからずに地下への階段を降りられれば、地下にいるはずのリアンナと二人でさっきの男達を挟み撃ちに出来る。
ジュードは出来るだけ足音を潜めてホールへと駆け出した。――――その瞬間だった。
「誰だ!」
大広間の扉が開き、中からチェス・ヴィンチが飛び出してきた。
「――――ジュード・ハイデクス! おまえ、なぜここに」
チェスが腰の剣に手をかける。大広間から他の男達もこぞって出てきた。もちろん、ディンゴ・フェルノインもだ。
「ハイデクスか。どうやってここを見つけた?」
「――――」
「侵入者は貴様か? ――――いや、また別にネズミがいるんだな。ネズミはまだ地下にいるはずだ」
ディンゴは狡猾そうな顔を歪めて嗤う。
「まったく貴様は要領が悪いな、ハイデクス。首を突っ込まなければ長生きできたものを」
「隊長、いやディンゴ・フェルノイン。あんた、そこのサイモン神父と共謀して子供を集めて売り払っていたのか」
「ほう、そこまで掴んでいたか。まったく、これだから目端のきくやつは困る」
ディンゴが冷たい視線でジュードを睨めつける。ジュードは剣を構え低い声で問いかける。
「サイモン神父、あんたは子どもたちを大事に育てているじゃないか。みんなあんたを慕っているのに、なぜそんなあんたが子供を売ったりできるんだ!」
「なぜって、当然ですよ。そのために育てているんですから」
サイモンが穏やかな口調で微笑む。けれどその表情にはどこか普通を逸脱した狂気が宿る。ジュードは背筋が寒くなった気がした。
「やっぱり、孤児院で育てた子どもたちを売っていたんだな。街の宿無し子までさらっていたのはーーーー」
「ああ、数合わせですよ。私の育てた商品は教養があり従順で見目もよいと評判でしてね、高値で取引されるんです。今回はそれに単純な労働力もリクエストがありましたのでね、それだとうちの商品では割高になってしまうもので。顧客の予算に合わせたニーズに応えたまでです」
「貴様っーーーー!」
たまらず剣を抜き、そのままサイモンに斬りかかる。「ひっ」と体をすくませるサイモンの前に躍り出たチェスがその剣を剣で受け止めた。ガキイッ、と激しい金属音が響き、一気に空気が張り詰める。
「ハイデクス! そろそろ覚悟を決めてもらおうか!」
「そりゃあこっちの台詞だ、おとなしく親分と一緒に掴まりやがれ。この腰巾着」
チェスの顔が怒りでどす黒くなっていく。怒りのあまり張り詰めていた気合に一瞬のスキができる。ジュードはそれを逃さず、おろそかになった足元に力一杯蹴りを入れた。
「うぉっ!」
チェスがぐらりと体勢を崩したところにすかさず剣を叩き込みーーーー
が、その剣はチェスを僅かにかすり、止まる。
「正義のヒーローの活躍はそこまでにしてもらおうか、ハイデクス」
チェスに剣を向けるジュードの首筋にぴたりと短剣が押し当てられている。無論持ち主はディンゴだ。
「ハイデクス、貴様は腕は立つが多勢に無勢というものだ。残念だったな、地下の子ども達は売り払われ、貴様はここで殺される運命なのだ」
数の上で優位に立ち、相手を侮りきった嘲笑を浮かべるディンゴを睨みつけたが、起き上がってきたチェスに力いっぱい腹を殴り飛ばされてジュードはその場にうずくまった。
そのジュードにすかさずディンゴとチェスが剣を突きつける。
「君のような優秀な部下を失うのは非常に残念だよ。我々がこれからも荒稼ぎできるように地の底から見守っていてくれたまえ。ーーーーでは、名残惜しいがさよならだ」
ディンゴが短剣を振りかぶった時だった。
「ひいっ! ば、化け物ぉぉぉっ!」
先ほど地下に降りていった四人のうちの一人が大慌てで階段を駆け上がってきた。その騒ぎにディンゴの手が思わず止まる。
「何事だ」
「あ、あいつは化け物だ! 大の男をあっという間にーーーー」
ひどく怯えた男が必死に訴えているところにカツン、と靴音が響いた。
「化け物はひどいな。これでも一応嫁入り前の女性なんだけどね」
剣を携え、呼吸一つ乱さずに階段を上がってきた姿はどこかキィンと張りつめたいい緊張感と余裕をまとっている。頭の後ろ、高い位置で一つにくくった金の髪がランプの明かりに鮮やかに映える。
「リアンナ!」
リアンナがそこに立っていた。




