ゆくえもしらぬ
溶けてしまうのではないか、と思ってしまうほどに暑い日のことだった。真っ青な空を見上げれば、夏の象徴とも言えるであろう白くて大きな入道雲。ほとんど真上にある太陽は容赦がない。刺すように紫外線を降り注ぐ。
太陽を睨むかのように目を細めながら額に手を当てる。もう少し雲があって太陽を隠してくれたのならば、少しは気温も下がるのだろうか、などと考えたところで暑さが和らぐ訳もない。
遠くから、つんざくような蝉たちの声が耳に届く。ふぅ、と小さな溜息をついて目を瞑る。
明日もまた暑くなるのだろうかとか、もう少し湿度が低ければマシなのだろうかとか。考えるだけ無駄なことばかりが頭に浮かぶ。
もう少し遅く来れば良かったな、と小さな後悔をしながら人を待っていた。先程、あと五分で着くという連絡があった。
あと五分…。
たったそれだけの。短い時間のはずだったのに。何故だか異様に長いと感じた。
どこか冷房の効いた屋内に避難しようか。コンビニでも何でもいい。移動場所をちゃんと知らせればいいだけだ。痩せ我慢をする必要はないのだ。携帯を握りしめて、立ち上がろうとすると激しい目眩に襲われる。
ゆらゆら、目の前が揺れる。陽炎かな、いや、熱中症かな、なんてことを考えていたところまでは覚えているのだけれども。その後のことは霧がかかったみたいに思い出せない。
*
誰かの呼ぶ声がする。
ていうか顔を叩かれて……
「痛いっつーの!」
私の顔を叩いていた手を、力加減もせずに思い切り振り払った。それでも目を瞑ったままの私の顔をめげずに叩き続ける。イライラした私は仕方なく重い瞼をゆっくりと開き、重い身体をゆっくりと起こす。
まず目に入ったのは寝起きの目には、とても優しくないキラキラと輝く金色の髪。
「いやぁ、ごめんね? 俺的には、このまま寝かせておいても良かったんですけど。上の人が、そろそろ起こせー! ってうるさくて」
口先では謝罪の言葉が紡がれているが、どうしてだろう。嘘くさく感じてしまうのは。
それに、状況がイマイチ掴めない。
ここはどこで、こいつは誰なのか。私は混乱する頭を抱えながら、きょろきょろと周囲を見回してみても”よく分からない知らない場所”としか言いようがなく。結局、男の話を黙って聞くことぐらいしか私にできることはなくて。
「あ、申し遅れました! 私がこの世界を統べる神です! 以後お見知りおき!」
疑問の1つが解消された。だがしかし、こいつは事実を述べているのだろうか。どう考えても、こんなチャラそうで軽そうな奴が神だなんて。信じられるはずもない。もし信じられると言う人がいるのならば。頭に良くないものが沸いているんだと思う、きっと。
「あ、キミ。今、すごーく失礼なこと言ったでしょう? 心の中で。」
顔に出ていたかな、と思って反射的に表情を隠すように頰を両手で覆う。
「えー! 本当にそうだったのー? ショックだわ……地味に傷付くわ……」
しまった! 誘導尋問…カマかけだったか…でも、どう見ても傷ついてなんかいませんよね?
「なーんてね。私、神様だからね。読心術が使えちゃうんです!」
えっへん、とドヤ顔で言う自称神。
私は「何だか面倒なことになったな」という表情を隠しもせずに小さく息を吐いた。
「おっと、雑談はこの辺にしておいて…そろそろ本題。気付いてると思うけど、あなた…死んじゃったのよ」
わっつ? なんて?
「新人がね、うっかり間違えちゃったみたいなんだよねぇ。」
困ったように眉を下げながらも、軽やかな口調と笑い顔でそう言う自称神。軽く処理落ちしていた私の思考回路が復帰したので相槌代わりの疑問を投げる。
「間違うって…何を?」
どうせろくな回答が返ってこないのは薄々わかってはいるけど、一応訊いてみる。自称神は申し訳なさそうなどとは思ってもいないような顔で答える。
「本来なら、キミ…まだ死ぬ予定じゃなかったんだよね。」
ちょっと待って……えーと、つまり?
私が必死に考え続けてる間も自称神は言葉を止めない。
「死ぬ日にちに間違いは無かったんだけど。それ、1年後だったんだよね。実は。」
「はぁぁぁぁ?」
思わず叫んでしまう私に自称神は哀れむような目を向けてくるが、そんなことはどうだっていい。
なんで…なんで。そんな理由で死なないといけないのだろうか。
「とはいってもね、一度死んじゃったら生き返らせることは出来ないのね…残念ながら」
ふぅ、と小さく息を吐きながら残念そうに呟く自称神だが、そんなので納得がいく筈もない。
「私、まだ二十歳なんですけど。やりたいことだって、あったし……それに健康なことだけが取り柄で……なのに何で私なの……」
今にも泣きそうな表情を浮かべながらぶつぶつと呟く私を見て、自称神は私の頭をポンポンと優しく撫でる。
「まぁまぁ、そんなに悲しまなくても大丈夫。これからきっと楽しいことあるから!」
いやいや、死んでるのに楽しいもなにも無いでしょうよ、という思いで自称神を睨んでみるも、全く気にも留めない様子の自称神。それどころか、イラつくぐらいに陽気で能天気な顔を見せつけてくる。
そんな私を放置したまま話を進める自称神。マジでムカつく。
「あなたにはね、行って欲しい場所があるんですよ。そこに行けば、きっと思い残しも無くなるでしょうよ」
一応連絡しておきますか。と言いながら自称神は懐からスマホのようなものを取り出し、ちょっとだけ待っててね、とこちらに断りを入れてから何処かに連絡をし始める。
「あ、セリさん? 今、アムル氏の手違いで寿命が残ってる子をこっちに連れて来ちゃった件やってまして。……んで、今からそっちに行こうと思ってるんですけど。……準備できました? ……はい、はーい。分かりました〜。じゃ、今から向かいまーす。よろしくお願いしまーす。」
話を終えた直後に「さっすが、セリさん仕事早いわぁ。バカアムルとは大違い」と呟いて、スマホのようなものを懐にしまうと、こちらに笑顔を向けてくる。
「よかったね、普通なら結構待つんだけどね。まぁ、今回はこっちのミスもありましたしね…」
何が何だかよくわかっていない私の事などお構いなしに自称神は話をさくさくと進めていく。
「じゃ、行きましょうか」と言って無遠慮に私の腕を掴むと、パッと世界が一瞬にして白く染まった。
「はーい、とうちゃーく」
有無を言わせずに連れられたその場所は全体的に白く、そして存在を主張するように薄茶色の大きな…大きな扉があった。上限が見えないほどの高さの扉。その扉のすぐそばには大量の書類が積まれた机があり、それを人をも殺しそうなくらいの形相で睨みつける男がいた。
「セリさーん、連れてきましたよー」
セリさんと呼ばれた男は、赤みがかった茶髪に紅蓮のような瞳の色をしていた。自称神の呼びかけに気付いた男は書類から目を離し、こちら側を睨む。私は思わず身をすくめ目を反らす。
その様子を見ていた自称神はぶっ。と吹き出して笑い始める。それを見たセリさんとやらは「くそ…」と小さな声で呟いた後、自称神の頭にゲンコツを食らわせる。
「笑いすぎだよ」
弱めの声で拗ねたように呟いたセリさんの顔は少し哀しげで。なんというか雨に濡れた捨て犬みたいな…そんなオーラを出していて。何だかよく分からないけれど、気の毒に思えてきた。顔は怖いけど、そんなに悪い人じゃないのかもしれない。顔怖いけど。
「えーと、ごめんなさい?」
怖がらせる意図があったにせよ、無かったにせよ。初対面で怯えた態度というのは流石に失礼だったと思い、とりあえず謝る。そしたらまた自称神が笑い始める。セリさんはとても嫌そうに顔を歪める。
「べっつに謝ることないのにねぇ? 悪いのは人相悪いセリさんでしょー」と自称神は笑うのを堪えずに言う。
「…好きで人相悪い訳じゃねぇよ」と不貞腐れたようにセリさんはこぼす。
「それよりも! 俺、見て分かると思うけど。めちゃくちゃ忙しいの! 油売ってる暇ねぇんだよ。話進めてもいいかな」
あ、そうか。と思い出したように笑うのをやめて、ぽんっと納得したように手を打つ自称神。
「そうだったそうだった。セリさんと遊んでる場合じゃなかったわ…」
ごめんねセリさん、続きはまた今度ね? と潤んだ目でセリさんを見やる自称神。
こいつ…確信犯だ。自分がどう見られてるか分かった上でやってる、と直感的に私は思った。そしてセリさんは不機嫌そうながらも顔を赤らめていた。
……え、なに。そういうことなの?
……
見なかったことにしよう。うん、私は何も見ていない。関わらない方が身の為だ。深く考えすぎると碌なことにならないような気がする。
「続きなんかやんないよ」と赤い顔のまま言ってからセリさんはすーっと息を吸ってから、一転して表情をシリアスなものに変える。
「話はこいつから聞いてると思うけど、キミの寿命はあと1年残ってる。その間ここに置いておく訳にはいかない。だから寿命が無くなるまで今から行く場所で生きて欲しい。」
ちょっとまって…さっきまでこんな空気じゃなかったのに…急にシリアスになられても。と、ここで引っかかりを覚える。さっき自称神が言っていたことを思い出す。
「え、でも私…もう生き返れない、とかって。こいつに聞きましたけど」
自称神を指をさして言うと「こいつじゃない、俺は神様だよ」とかほざいている自称神を私もセリさんも無視して話は進む。
「まぁ、基本的にそうなんだけど。それは寿命を全うした上での話なんだよね。」
セリさんは「お前、説明すんなら最後までしろよ。俺の仕事を増やすんじゃねぇ」と言ったような目つきで自称神を睨む。だが自称神はごまかすように軽快な鼻歌を歌いだす。
何だか居た堪れない私は自分なりの答えを言ってみる。
「…えと。なんかよくわかんないけど。私はここにいちゃいけない、ってこと?」
余程、悲しげに見えたのか。セリさんは慌てたように「いや違うんだ」と否定し出す。
「いや、正解! キミにはここにいてもらっちゃ困るんだよね。」と自称神はセリさんを無視して話す。
セリさんが「おい」と言って自称神に掴みかかるも、自称神はそんなセリさんとショックを受けたような顔の私なんて知らん振りをしたまま話を続ける。
「とにかく! キミはなーんも考えずに1年。今から行く場所で生きて。そしたらここに戻ってくる、それだけ。アンダースタン?」
呆気にとられ口をポカンとあけたままでいると、急に目の前がぼやけ始める。まるで靄がかかったみたいに前が見えなくなる。頭が鈍く痛む。耳に届く音も小さくなってゆく。薄れゆく意識の中で、二つの声が聞こえたような気がした。その言葉の意味を理解する暇もなく目の前が真っ白になってゆく。
意識がなくなる直前だったのだろうか。突然、頭の中に黒髪で青い瞳の男が現れる。男は呪文めいた言葉を呟いている。そう認識したすぐ後に私の記憶は途切れた。
元々、二次創作的な話を書こうとしていたけれど、トリップ前の話を頑張りすぎて、トリップした後を書く気力がなくなったお話だったりします。結果、二次創作にならなくなったので、あげてみた、という訳です。