告白の勇気
茜色に染まる教室で、俺達は向かい合っていた。
「貴方に話したいことがあるの」
先手を取ったのは高峰さんだった。
「ひゃ、ひゃい」
学校でも一、二を争う美少女である高峰さんの真剣な表情。
それは周りの雰囲気さえも凛としたものにし、
それに飲まれた俺は情けない声を出してしまう。
そんな俺を見て彼女は小さく笑うと、目を閉じて深呼吸をする。
開かれた彼女の目に迷いはなく、静かに口を開いた。
「貴方の事が好きです。 私と――付き合ってください」
真剣な目の彼女に俺は、同じく真剣に答えた。
「俺は――」
「なあ奈々、お前って好きな人とかいるのか」
「いきなりなんですか、先輩」
読んでいた本から目を上げ、奈々はいぶかしげな視線を向ける。
「いや、ちょっと気になってさ」
「はあ」
気の抜けた返事をした奈々は、まあいいでしょうと言い本を閉じて脇に寄せた。
「で、どうなんだ?」
「いますよ」
「え? いるのか」
「なに驚いてるんですか。 私だって恋の一つや二つしますよ」
「いや、だってな。 お前がどんな人を好きになるのか
イメージがわかなくて……」
とらえどころがなくて、どこかふわふわとした印象の奈々。
そんな彼女が好きになる人とはどんな奴なんだろう?
顎に手を当てて考えていると、奈々はため息をついた。
「誰か教えて欲しいですか?」
「いいのか?」
「ええ。 あ、でも一つ条件があります」
「ん、なんだ?」
「先輩の好きな人を教えてください」
そう言って、奈々はかすかに微笑んだ……ような気がする。
いや、こいつは表情が読みにくいんだよ。
「俺は――貴方とは付き合えません」
必死に声を絞り出して答えた。
俺の返事を聞くと、高峰さんは顔をうつむかせた。
「そう、なんだ」
「ごめんなさい。 でも、好きな人がいるんです」
少し寂しそうな顔をした後、高峰さんは微笑んだ。
「それじゃあ、仕方ないね」
「ごめんなさい」
「もう、何度も謝らないで。 こういう時は、笑って後腐れなく終わらせるの!」
そう言って笑いながら俺の肩に手を置いた高峰さんは、
段々とその表情を歪ませると、そのまま首に両手を回し俺に抱きついた。
「た、高峰さん!?」
思わず声を上げたが、小さな泣き声が聞こえてきたので俺はそのまま立っていた。
「俺の好きな人?」
予想外の質問だった。
「ええ、先輩が好きで好きで堪らなくて日頃からいやんな妄想をしちゃう人です」
「その言い方はやめろ。 しかし、なんでまた俺の好きな人なんて……」
「等価交換です。 それを手にしたくばそれと同じ価値の物を。
私の好きな人を知りたくば先輩の好きな人を」
つまりはそういうことです。そう言って奈々は得意げに大きな胸を張る。
えーと、つまり……うん、とにかく俺の好きな人を教えれば
奈々の好きな人を知ることが出来るということか。
しかし、それはまずい。
なにがまずいかっていうと、俺の好きな人が目の前にいることがまずい。
「えーと、うん、そうだなー」
言葉をにごす。まあ、なんだその、奈々に告白する勇気がでないのだ。
「どうしたんですか、先輩?」
奈々が悪魔かなにかに見えた。
しばらくして、落ち着きを取り戻した高峰さんは机の上に
座り顔を真っ赤にしてうつむいていた。
「あ、あの……ごめん」
控えめに高峰さんが口を開く。
「大丈夫。 むしろお礼を言いたいくらい」
「え、どうして?」
「そりゃあ柔らかいのが色々と……」
はっ、と手で口を隠す。ついつい考えている事が漏れ出てしまった。
まずいことをしてしまったと高峰さんの様子を伺うと、クスクスと笑っていた。
「やっぱり、貴方は優しいね」
「そんなことないよ」
「そんなことあるの」
そう言って高峰さんは机からヒョイと降り、俺の傍まで近づく。
そうして、笑顔で、花が咲いたような笑顔で言う
「だから、私は貴方のことが好き。 諦められない。
だから、私は今からとっても卑怯なことを言います」
一拍置いて高峰さんは続ける。
「賭けをしましょう。 貴方が、貴方の好きな人に告白して、
付き合えたら私は貴方を諦める。 もし振られたら――私と付き合ってください」
今こそ告白のチャンスだと言う悪魔。もう少し様子を見なさいよと言う天使。
俺の脳内ではこの二人が争っていた。
その戦いの余波が頭痛となって俺に降りかかる。
「いや、でもお前。 もっとシチュエーションとか考えようぜ……」
「さっきから何をブツブツ言ってるんですか」
「いや、でも……この流れのままなら……」
「おーい、せんぱーい」
「告白、出来んじゃね」
「え!?」
「うおい!」
奈々の突然の大声に驚く。え、なに?
「せ、先輩……今、何を考えてたんですか?」
興奮した様子の奈々が俺の肩をつかんで前後に揺らす。
「え、な、何って……ちょ、酔ってきた……吐きそ……」
「あ、ごめんなさい」
奈々が手を離す。あー頭がぐるぐるする。
俺の頭の中で争っていた天使と悪魔もすっかり目を回している。
あ、なんか今ならいけそう。
「奈々、さっきの質問に答えよう」
「は、はいっ!」
妙に顔を赤くした奈々が返事をする。
「俺が好きな人は――」
あ、天使が復活した。
「誰だろう?」
「へ?」
なんともいえない空気が辺りを包んだ。
「え、えーと、先輩? 今のはどういうことでしょうか」
告白しようとしたら勇気が出なかったなんて言えない。
「今のは……えっと、どういうことだろ?」
苦笑いを浮かべ奈々の方を見ると、顔を真っ赤にして震えていた。
「もう……いいです……」
「え?」
「もう――先輩なんて知りません!」
そう言って奈々はバン!と机を叩いて出て行ってしまった。
もしかしなくても奈々を怒らせてしまったようだ。
「どうしよう……」
やってしまった。後悔が津波のように押し寄せる。
「どうしよう……」
その言葉ばかりが胸を締め、押しつぶされそうになる。
「ありゃりゃ、やっちゃったね」
「え?」
後ろから声が聞こえ振り向くと、そこには高峰さんがいた。
「た、高峰さん?」
「駄目だよ、図書館では静かにしなきゃ」
そう言って人差し指を立て、「めっ」と俺に向ける。
誰もいないからいいじゃないかと、言い訳をしそうになり口を紡ぐ。
それよりも高峰さんには聞きたいことがある。
「高峰さん」
「ん? どうしたの」
可愛らしく首を傾げる高峰さん。
「俺は、どうしたらいいのかな」
尋ねると、高峰さんは難しそうな顔をして顎に指を当てた。
「んんーそうだね。 とりあえず、あの子を追いかけるべきじゃないかな」
「追いかけて、どうしたらいいんだ」
「そりゃあ、さっきごまかしたことを、今度はごまかさずに言うべきだよ」
「そうか……」
高峰さんから視線をそらし、奈々が出て行った戸を見る。
「振られるのが怖い?」
「……うん」
「私と付き合うのは嫌?」
「それは……他に好きな人がいるのに、高峰さんと付き合うなんてできない」
「どうして?」
「だって、それは、なんか違うじゃないか」
「でも、それだと私は一生誰とも付き合えないよ」
「いつかは気持ちが変わるよ。 きっと、別の人を好きになる」
「なら、貴方の気持ちが変わって、私を好きになることもあるの?」
「それは……」
あるかもしれない。とは言いたくなかった。
それを言ったら、なにかに負けたような気がするから。
「今は、貴方の気持ちは変わってないんでしょ?」
奈々が好き。その気持ちは変わっていない。
「……うん」
「じゃあ面倒くさいこと考えないで、追いかけて、気持ちを伝えてきなさい!」
高峰さんの言うとおり、俺は余計な事を考えすぎていたのだろう。
そのせいで振られる事に怯えて、奈々を怒らせてしまった。馬鹿か俺は。
「うす!」
そう言って立ち上がり、俺は走り出す。
「賭けは、私の負けだね」
部屋から出る瞬間、高峰さんの声が聞こえた。
図書館を出たあと、俺は屋上に向かっていた。
奈々はあそこが好きで、よくいるからだ。
「くそっ」
階段を駆け上がりながら考える。 本当に、俺はなんと馬鹿だったのだろうと。
勝手に無理だと決め付けて、気持ちに蓋をしているなんて。
きっと高峰さんとの賭けがなかったら、俺は告白もなにもしなかっただろう。
そう考えると、告白する勇気を与えてくれた高峰さんには頭が上がらない。
屋上に繋がる扉の前に立ち、深呼吸をすると一息に扉を開けた。
見ると、予想通り奈々はそこにいた。
フェンスに指をかけ、夕日を眺めるその目には――涙が溜まっていた。
「奈々っ!」
叫ぶと、奈々は驚いたように振り向いた。
「せ、先輩……」
流れる涙に気づいた奈々は、慌てて目元を袖で拭う。
「な、何しに来たんですか! 私は……」
「奈々っごめん!」
言い終わる前に奈々を抱きしめる。
「へっ……」
「俺が意気地無しなせいで奈々を傷つけた。 本当に、ごめん」
抱きしめる腕に力がこもる。
「先輩……痛いです」
「あっ、ごめん」
慌てて奈々を離す。
「ふふっ。 先輩、さっきから謝ってばっかりですね」
奈々はもう、泣いてはいなかった。
「もう、いいですよ。 先輩がヘタレで変態でロリコンなのは、
もう、知ってますから」
「まだ怒ってるだろ、お前」
言い方に大変な悪意を感じる。
奈々は薄い笑みを浮かべると、くるりと俺に背を向けた。
「ちょっとだけ」
いたずらっぽく言って、奈々は言葉を続けた。
「だから、先輩は私の怒りを鎮める為にそれなりの誠意を見せてください」
誠意を見せるとはいったい?と考えて思いつく。
「わかった。 じゃあ、こっちを向いてくれ、奈々」
「はい」
こっちを向いた奈々の顔は、夕日を受けて真っ赤に染まっていた。
「奈々、さっき言えなかったことを言う」
「はい」
心音が妙に静かに響き、頭の中がカラになったように軽くなる。
「俺は、奈々のことが好きだ」
「はい」
「だから、俺と付き合ってくれ」
少しの沈黙の後、奈々は答えた。
「はい」
「え?」
「私も、先輩が好きです」
奈々の声に段々と嗚咽が交じる。
「だから、だから、ぜひ、よろしくお願いします」
そして最後には、俺の胸に抱きつき泣き出してしまった。
「奈々……」
奈々を抱きしめ返す。強く、強く、離さないように。
そのまま、しばらく抱き合っていた。
翌朝、玄関からでた俺を待っていたのは修羅場でした。
「あ、あのー。 奈々はともかく、なんで高峰さんがいるの?」
俺の家の前でバチバチと火花を散らしていた奈々と高峰さんに声をかける。
「あ、おはよう!」
「おはようございます、先輩」
俺に気づいた高峰さんが元気に挨拶をし、続いて奈々が静かに挨拶をした。
「おはよう。 で、これは一体どういうこと?」
尋ねると、奈々が凄い勢いで詰め寄ってきた。
「先輩! 付き合って早々に浮気なんて、何考えてるんですか!?」
「え、浮気?」
高峰さんを見ると、可愛らしく手を振られた。
「え、えーと、高峰さん。 賭けは俺の勝ちだったよね?」
「えー、何のことかなー」
とぼける顔まで可愛い。
「痛っ! なにするんだよ、奈々」
奈々に足を踏まれた。
非難の視線を向けると、奈々は頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。
「こらこら、暴力はいけないよ」
そう言って高峰さんが俺の腕に絡みついてくる。柔らかいのとかが色々やばい。
「あ、あの、高峰さん当たってる」
「当ててるの」
まさかこんなべたべたなシュチュエーションが自分に訪れるとは。
「先輩は大きい方が好きなんです!」
そう言って負けじと俺に抱きついてくる奈々。
おおう、高峰さんの慎ましい胸とは違う確かな存在感を感じる。
「むう」
「ふふん」
俺を挟んで火花を散らす二人。あの、なにこれ?
しばらく睨みあっていた二人だったが、高峰さんが急に目をそらし、
「むう。 まあ、今日の所はこのくらいにしといてあげる」
と小物臭いことを言って先に学校に行った。
「な、なんだったんだ今の?」
「あの泥棒猫、今度会ったらおにぎりのように握ってやりますよ」
「いまいち怖さが伝わってこないな、その例え」
「あ、そろそろ行かないと遅れますよ、先輩」
「お、そうか」
歩きだそうとした時、奈々に袖を引っ張られた。
「どうした?」
「あ、あの、先輩。 手、繋ぎませんか?」
そう言って差し伸べられた手を、ドギマギとしながらも取る。
「な、なんだかむずがゆいですね……」
「お、おう……」
しばらく歩いたところで、奈々が浮かない顔をしているのに気がついた。
「どうした奈々、さっきから暗い顔して」
「えっ! ええっと、ですね……少し、不安なんです」
もしかして、高峰さんのことだろうか。
「さっきの美人な先輩、先輩のことが好きなんですよね」
その質問には素直に答えづらいが、隠すのも逆効果だろう。
「ああ、どうやらそうらしい。 告白もされたしな」
「告白、されたんですか?」
「断ったよ。 他に好きな人がいるからって」
「そうですか……」
それでもまだ浮かない顔をする奈々。
「それでも、私はまだ不安です。 不安すぎてムラムラしてきました」
「お前の身体はどうなってんだよ」
不安でムラムラするって相当変態レベル高いぞ。
「だから、このムラムラ、もとい不安を先輩がどうにかしてください」
むう、どうしたらいいのだろう。
迷った俺に気づいたようで、奈々が言葉を続けた。
「私のムラムラも不安も収まるいい方法がありますよ、先輩」
「え、まじで? どんな方法?」
「私とキスしてください」
瞬間、時が止まる。
「え、えーと」
「さあ、先輩」
奈々が目を閉じる。辺りには人の姿はない。
「じゃ、じゃあ行くぞ、奈々」
「はい、先輩」
奈々の肩をつかみ、ゆっくりと唇を近づける。そして、二つの唇が重なる。
ファーストキッスは甘くて、レモンのように酸っぱかった。
唇を離すと、奈々は柔らかな笑みを浮かべた。
「ありがとうございました、先輩。
おかげで、不安もムラムラも吹き飛びました」
「お、おう。 こっちこそありがとう」
また手を繋ぐ。
「先輩。 私、誰が相手でも負けませんから。 絶対に、先輩を離しませんから」
「おう。 俺も、絶対に奈々を離さないぞ」
そうして、二人は歩き出した。