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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

みぃの死体に口づけを

『薬の治験アルバイト四十名の行方が分からなくなっている件について、警視庁では引き続き捜査を続けておりますが、いまだ手がかりはなく』


 テレビのニュースが耳を突き、俺はソファーから起き上がる。

 テーブルを挟んだ向かいのソファー。そこで母さんが雑誌を読んでいた。


わたる。あんた、夏休みなんだし、バイトでもしてみたら? 一人暮らしの学生はみんな頑張っているそうだし」


 寝起き早々に胃がキュッと締め付けられた。思わず頭を掻く。


「それは、まあ、やらなきゃならん、とは思うが……」

「やらなきゃ、とは思っているのね」

 母が何か企んでいるように不敵な笑みを浮かべる。

「何だよ?」

「実は――」

 母さんはテーブルおもむろに雑誌を取り出した。

 胃袋の液体が気持ち悪く回りだすのを感じる。さっさと言えよ。


「――写真に撮られるだけで、日給一万円だって。友達も連れて行っていいし、誰か誘って行ってみたら?」

「誘うようなやついないだろう」

 おれはため息をつくが、母さんの押しは止まらない。

「みいちゃんでいいんじゃない?」


 その言葉に、俺の頭はカーッと熱くなり、平生を保つのに必死だった。


「な、なんであいつと!?」

「だって、みいちゃんも単発でバイト探しているみたいよ。ちょうどいいじゃない。一緒に行って、ひと稼ぎしてきたら?」


 鼓動が高鳴り、耳に響く。昔は無邪気に遊んだ仲だというのに、いつからか、その名を聞くだけでおかしくなる。みいちゃんこと、みのり。


「……じゃあ、みのりに連絡してみる」

 クールを気取り、ポーカーフェイスを貫き、自分の部屋に戻った。


 胸を締め付けるような緊張状態で、みのりに連絡してみる。スマホに「母さんに言われたんだが」というセリフを前面に押し出してラインを飛ばす。

 ――いいよ、楽しそう。

 すぐに来た返事に胸打たれる。思わずその場でガッツポーズしていた。特に意味はないぞ。



 バイト当日、駅の改札口前で、みのりを待っていた。最近になって髪を伸ばしたというが、どんな風貌になっているだろうか。

「わたる、おはよう!――」


 手を振りながら現れるみのり。風が異常に強い炎天下で、長くて癖のない髪が、緑のスカートと呼応して風に揺られ、おれの心を激しく(くすぐ)る。


「――今日は誘ってくれてありがとう!」

「ああ」

 みのりは満面の笑みを浮かべた。おれはまた平生を演じて顔を逸らすのだった。




 バイトの現場は、とある大学だった。


 大教室でスライドを映しながら、発明家と名乗るおじいさんが話している。

 だが、その内容はまるで未来の某ロボットの話のようで、呆れたものだった。


「このカメラから発せられる光は、一時的に皆さんに若返り効果を生み出し、そしてカメラに映るのは皆さんの幼少期の姿であります。この超少子高齢化社会において、この発明は芸能業界をはじめ、社会に大きな影響を与えることでありましょう」


 つまり、このバイトは治験の一種、その奇妙なカメラの被写体になるというものだった。

 くだらない。少子化が進んでいるなら少子化対策すればいいのに、どうしてこんな発明に頼って……。


「凄い! 楽しみ楽しみ!」

 だが、みのりの方は乗り気だった。

 おれたちの出番になると、彼女は俺の手を引っ張って連れて行った。

「わたる! 速く速く!」

「はいはい」

 おじいさんも、みのりに乗せられたように上機嫌だった。


 できた写真はその場でみのりに渡される。

「見て、見て、わたる!」

 本当に幼少期の姿が映し出されていた。だが、本来の幼い頃とは違う。おれの作り笑いのような顔。昔はもっと自然に笑っていたような気がした。


 撮影後は、体育館へ移動させられた。すでに撮影を終えた人々でごった返していたが、スタッフがいる様子もなく、まさに、ただの待機場であった。

「わたる、すごい写真撮れたね!」

「ああ」

「本当にびっくりだよね!」

「ああ」

「それにしても、これで一万円もらえるなんて、信じられないよね!」

「そうだな」

「……」


 気まずい沈黙が流れる。俺のせいだと分かっている。だが、こういう時にどうしたらいいか、分からない。


「……」

「わたる?」とみのり。

「どうした?」

「髪、伸ばしたの。気づいてる?」


 みのりは自分の髪を梳かすように触りながら訊いてくる、不安そうな顔をして。

 その仕草一つ取っても、胸が熱くなる。


「ああ、気づいてる」

「ど、どう?」

「ああ、似合ってるよ、すごく……」

「そう」


 みのりが微笑んだのを見て、おれは安心した。


 だが、そのとき、赤ん坊の泣き声が聞こえた。


 こんなところに赤ん坊が来るのか?

 みのりも「赤ちゃん?」と呟いている。

 それと同時に、人々の驚く声と、恐怖の悲鳴が響き渡った。

「ぎゃあああ!!」

「どうした!?」


「今、ここにいた男がみるみる小さくなって、赤ん坊になっちまったんだ!!」


 俺たちは立ち上がって赤ん坊に近づいた。

 そこには、大人の巨大な服に包まれた赤ん坊が泣き喚いている。


 まだ終わらなかった。周囲にいる人たちの一部が、次々に縮んでいき、赤ん坊と化していく。

 

 事を悟った人々は、悲鳴や怒り狂う絶叫を上げ、パニック状態になっていた。

「私たちどうなるのよ!?」

「どう責任とってくれるんだ!!」


 ふと、無言のまま、みのりに腕をつかまれた。不安そうな目で様子を見守っている。

 だが、おれは混乱のあまり何もできず、硬直していた。みのりに言葉のひとつもかけることができなかった。


 そのうち、体育館後方の扉が開かれた。

 誰かが対応しに来てくれたのではないかと期待した。


 だが、入ってきたのは物々しい男たち。ガスマスクをつけ、手に太いホースを持ち、背中にはガスタンクを背負っている。


 一瞬だけ目に入ったが、服には『警視庁』と書かれていた気がする。

 

 俺の頭には、直感が働いた。

 ここから逃げなければ、死ぬ。


「逃げるぞ、みのり!」

「え、わたる?」

「速く!」

 おれはみのりの手をつかみ、体育館前方へ駆けた。

 他の人々は固まったままだ。だが構ってはいられない。俺たちは人の間を駆け巡った。

 そして、おれの直感は的中してしまう。彼らのホースから白い煙が放たれ、扉近くにいた人々は絶叫しながら逃げ惑う。まるで断末魔だった。耳に入れるだけで身震いが走るほどの悲鳴だった。やがて、人々は煙のなかで力尽き、倒れていく。


 無我夢中で逃げる。頭のなかは思考が目まぐるしく交錯していた。体育館前方の扉、舞台裏の扉、2階からの入り口。どこから逃げようか。


 おれはみのりの手を引き、前の方の扉を目掛けて走ろうとしたが、そこにはすでに人が群がっていて、やめた。きっと細工がしてあって、開かないようになっているにちがいない。


「こっちだ!」

 こうなれば、ステージの裏になにかあることに賭けるしかない。

 パニックで思考停止している奴等を掻き分け、おれたちはステージに走った。

 ステージに駆けあがり、舞台裏に入る手前だった。

 みのりが転んだ。

 後ろでは、彼らがステージへ次々と上がってきている。

「わたる! 逃げて!」

 足元でみのりが叫んだ。

 そんなことできるか!

 おれは聞く耳も持たず、必死にみのりの手を引いた。

「わたる……!」

 みのりは気力が戻ったように立ち上がり、走った。


 だが、彼らから放たれた煙は、容赦なく押し寄せる。

 煙に呑まれ、バタバタと倒れていく人だかり。おれが最期に見た景色はそんなものだった。

 走りながら、おれは目を瞑り、鼻をつまんで、出口がないか必死に探した。

 だが、そのとき、みのりを引いている手が急に重くなった。

(みのり……?)

 でも、おれは眼も硬く閉じてしまっていた。煙が目に入らないように。

 もう、みのりの様子が見られない。

 手をたどって、みのりが倒れたのだと分かってしまった。しかも、みのりを揺すってみるが、何度揺すっても、反応が全くない。

(みのり……!!)

 何か冷たいものが背筋を氷漬けにした。

 こんなことになるなら、みのりを誘わなければよかった。そうしていれば、巻き込まずに済んだのに。

 俺は歯を食いしばって、閉じる目と鼻をつまむ手にギュッと力を込めた。


 そして、おれはみのりの横に座って、みのりを抱き寄せた。初めて抱いた。

 それでも彼女は反応しない。やはり、最悪の状況なのだ。

 胃袋も冷たくなって、中身は口から出てきそうな気分だった。

 おれは今まで、自分にも他人にも嘘ばかりついて生きてきた。せめて、最期くらいは正直になりたい……。みのり、勝手なことして悪い。許してくれ。

 おれは抱きしめた彼女に優しく口づけした。柔らかな感触が初めて唇に走る。

 顔から足まで彼女と一体となって、初めて胸が満たされた気がした。いっそう強く抱き寄せると、波打つ鼓動が少しだけ治まってくる。


 そして、おれは息を吸い込んだ。


───

──


『では、次のニュースです。今週に入ってから捨て子の赤ちゃんが全国各地で発見されており……』

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