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「一体どうなってんだ、これは!」
エリアスは背後にガルムを庇いながら、焦燥を滲ませ叫んだ。明らかに、多勢に無勢だった。
「こいつら……いや、あの剣と鎧は――」
エリアスが握る剣は、かの有名な闇穴のエルフが作ったものだ。鋼鉄の魔力を秘め、刃は鋭利な光を放ち、如何なる魔物さえも両断する。唯一断ち切ることのできないものがあるとすれば、それは神の化身と呼ばれる、鍛冶師ヴェルンドの作る黄金の剣だけだ。
エリアスが相手にしている集団は、黄金の鎧を纏ってはいるが天使の気配はしない、ただの人間だった。ただし生気のない、死臭を纏った死体だ。その死体が持つのは、鎧と同じく黄金の剣だ。神の気を纏うそれは、まさに神界一の鍛冶師ヴェルンドによるものだろう。エリアスには決して触れられない――触れてはならない、聖なる刃だった。
「空が……女神の、都が……」
エリアスの炎で燃え尽きた左腕を抱えるガルムの傍に、狼たちが心配げに寄り添っている。微かな呼吸を繰り返しながら、ガルムは濁った黄色い目玉で、王都の方角へ憂える眼差しを送った。
地に伏せたガルムに詳しく話を聞こうとした矢先、荒野の空を稲妻が走ったのだった。雷は、神々が使う聖なる光だ。邪悪なものを寄せ付けない、魔物を消し去る猛々しく高貴な光の矢。それが、冥界の空を穿った。
エリアスもガルムも狼たちも、みな一様に気を取られた。冥界の空に容赦なく穴を開けたそれは、王都の上空にもあちこちで光っている。そうして雷によって開けられた穴から金色の塊が降って来たのを見て、エリアスは予感ともいえぬ嫌な予感が、最悪な形で目の前に現れたような気がした。
卵を産み落とすように容易く降ってきたそれは、兵士の恰好をしているが、明らかに神界の戦士ではない。鎧を身に付けた操り人形のような死体だった。黄金の鎧で全てを覆ってはいるが、何も映さぬ虚ろな眼差しと鼻をつく死臭は隠しきれない。彼らは冥界の地に降り立った瞬間、エリアスたちに襲いかかった。
彼らの持つ黄金の刃に斬られた魔物は、忽ち消滅していく。下等な魔物ならば、剣の神々しい光を浴びるだけでも致命的だった。神々の刃に傷付けられたものは、決して生まれ変わることもなく、永遠に無になる。エリアスは襲いかかる刃を剣で受け止め、頑丈な鎧を力尽くで振り払った。だが倒れても倒れても、見えない糸で操られているように鎧は起き上がり、向かってくる。
「あの時も、似たようなものだった……一瞬、空が光って、ゴミを捨てるように死体が落ちてきた。両腕が焼け焦げた死体だ……体は溶けかけていた。最初はただ、神界に逃れようとした罪人が失敗して落ちてきただけかと思ったのだ……」
「あいつら、……罪人に、どうしてか神の剣を持たせようとしたんだ。罪深い死者がどうやったら、神の剣を持てるようになったのかは分からないが、神の剣は俺たちにとっちゃたったそれだけで威力になる」
チリ、と頬に焼けるような痛みが走り、エリアスは舌打ちを漏らす。寸前のところで刃を避けた筈だが、剣に帯びる気にやられたのだろう。ぱっくりと開いた傷は浅いものの、塞がらない。血が滲み、肉の焦げるようなにおいが漂う。時間が経てばその内、傷口から腐食が全身に広がってしまう。
エリアスは歯を食い縛り、目の前の鎧の隙間へ我武者羅に剣を捻じ込んだ。ギチギチと鉄と鉄とがぶつかり合うような音が鳴る。貫けるか、それとも無理か?――エリアスと一体の鎧はその場で動きを止め、睨み合った。力は拮抗している。一瞬でも気を抜けば、首筋に突き付けられた刃にやられるだろう。エリアスの額に汗が流れる。
「だが、なぜ罪人なのだ…? 神の剣を持つに相応しい戦士ならば…あえて死者の魂を無駄にせずとも、いくらでもいるだろう」
「……戦士は、黄昏の戦でしか戦えない。いや、神々の終末の為だけに、人間でありながら神の宮殿に招かれるんだ。それともラグナロクの前に、冥界を潰しにかかったか…? それにしては御粗末な兵士だが…」
しかし神の考えることなんざ分かりゃしないな、と吐き捨て、エリアスは剣を握る手に力を込める。
「…エリアス! ここはいい、我らに構うな。早く都へ向かえ…女神の都にもこれと同じ奴らがッ……」
ガルムの吠える声を背後に聞きながら、エリアスははん、と小馬鹿に笑う。従うのはただひとりねえ、とガルムの言葉を独り言ちながら、エリアスは誰も姿を見たことがない冥界の女神を思い浮かべた。
「王都にはガンナがいる。この程度の奴らじゃあ、……都の方がよほど安全さ。女神には、誰も近付けやしない。それよりも自分の心配をしろ」
じわりと体の奥底から熱が湧き上がるような感覚と共に、エリアスは保っていた魔力を一気に解放させた。
業火は瞬く間に広がり、荒野を紅い疾風が襲った。エリアスの紅い軍服が風に舞い上がる。
ガルムら狼たちを囲うように張った結界の外は一面、炎の海と成り果てた。エリアスは渦巻く熱風を感じながら、目を伏せる。エリアスにとって、炎は一番の味方だった。頬を撫でる業火の熱が傷を癒していく。
黄金の鎧は揺らめく真っ赤な炎の中で、エリアスたちの下へ近付いてくる。その気配を察しながらエリアスは、できるか…できまいか…? と眉を寄せた。自然と、剣を握る手に力が籠もる。鎧の軋む音が、地を伝わり響く。だが彼らは炎の海を抜ける手前で、ざらざらと砂が崩れるように姿を消してしまった。
エリアスは瞼を持ち上げた。炎の中で残ったものは、地面に突き刺さったいくつもの黄金の剣だった。兵士の体は脆い人間のものだった。
「やはり、神の剣だけは駄目か……」
エリアスは呆然としながら、炎がまるでその剣だけを避けて通る様を見詰めていた。