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第98章「一つの始まり③」

「ねえ、部長に訴えようよ。あいつらに敦子先輩を占めてずるい、って」

「とろくさい連中なのに……」


 廊下の片隅で周囲の目を盗むように集う三人組。


「だいたい好子、一度やめるっていったのに何で戻ってきたのよ……」

「本当、うっとうしいわ」


 不穏な空気が再び漂よい始める。


「あら、あなたたち、こんなところで、何してるの?」


 その気配を突き破る氷のように冷たい声が背中に投げられた。

 この氷のように冷たく透き通る声……まさか……。

 三人はあわてて振り返る。


「うっとうしいというのは何のことをいってるの?」


 早くも心が震え始めた三人。

 恐る恐る振り返った。


「え? あ、あの……」


 振り返って仰天した。

 そこには龍崎宏美。中等部、高等部も合わせた正愛学院新体操部の最高峰がいた。

 普段高等部は中等部とは練習は別々で、接することはない。

 遥か遠くの人であった。


「れ、練習が大変でちょっと休憩を……」

「それにしては、汗もかかずに――」


 足下を見た。ジャージ、ハーフシューズ、どれもがまだぴかぴかであった。

 練習を一生懸命してれば自然と使い込まれるそれらが――。


「随分綺麗ね」


 宏美は厳しい表情をみせる。

 3人は竦む。睨みつけるように氷のように冷たい視線がツラヌいていた。

 これほど恐ろしいものに射抜かれるのは初めてであった。


「改めて聞くけど、こんなところで何をしていたの?」

「あ、あの……」 

「ちょ、ちょっと……」


 言い逃れできない。休憩時間ではないし、どうみてもさぼっていた。

 他の子は練習に打ち込む中で――。


「昨日は、袖口で屯してたわね」


 一声一声が突き刺さった。全て当たっていた。


「一昨日は、廊下脇ね……」


 言い訳や取り繕うこともできなかった。龍崎に知られていたという衝撃が襲ったからだ。

 自主練習の時間に、手を休めて、美乃理たちの練習に魅入っていた。

 顔面蒼白になっていた。

 龍崎宏美は女神なのだから、自分たちのことなどみているはずもないとの思いこみが――怠惰に向かわせていた。

 だが、龍崎宏美は自分達を見ていた。

 怠けている無様な姿を見られていた。


「あなたたち3人、阿部さん、香取さん――浜中さん――」


 しかも名前まで知られていた。

 腰を抜かしたようにへたりこんだ。

 最近おしゃべりが多く、自主的な練習もせずに、眼を盗んで噂話にふける光景を龍崎宏美は見過ごしていなかった。

 せめて他の部員たちの面前でやらなかったのは、慈悲であった。


「新体操の道をあなたたちは選んだはずよ。どんなに苦しくても」

「は、はい……」

「わたしが、あなたたちの前で一番最初に、言った言葉を覚えてる?」


 そういえば一番最初、宏美が新入部員たちに、わざわざ話をしたことがあった。

 新入部員たちが眼を輝かせて聞いていた。美乃理だけでなく、さらにその上に女神がいる。

 多くは自分が女子で良かった。新体操部に入ることができるから――と思った。


「あなたたちで、今答えられる子はいる? 言ってみなさい」

「そ、その……」


 三人は口ごもる。


「な、なに、覚えてないの?」

「そういうあんただって」

「ちょっと、やばいよ」


 目の前で見苦しく押しつけあいをする。

 さらに醜態をさらす自分たちに動揺をかくせない。

 誰も答えられない、覚えていなかった。

 3人は綺麗な先輩に心奪われるばかりで、言葉が頭に入っていなかった。

 その様子を龍崎は覚えている。言葉が頭に入ってなさそうな面々がいた。

(見覚えのある顔ね……)

 こういう場面がいつかくることも、その時に予想していた。

 焦った眼をお互いに合わせたけれども、答えられなかった。

 3人揃って龍崎の問いに答えられなかった。記憶の彼方に行ってしまったからだ。

 美乃理のおっかけに終始してしまい、早くも練習はただこなすだけになろうとしていた。その練習もさぼり気味――。


「全ては自分を高めるため……。他人を落とすことに力を費やすなんて……ましてやまさに今自分と戦っている子を貶めるなんてことは……正愛の新体操部を冒涜してるのよ」


 三人は何のことを言っているのかは理解した。好子のことだ――。

 去る者は追わないが、やってくる者は誰でも受け入れるのが、部の気風。


「恥を知りなさい――」


 穏やかな口調だが、矢よりも厳しい言葉が3人を貫いた。

 そして、すっと体育館の出口を静かに指さした。


「傍観者でもいいというなら、この場を去りなさい……。新体操と向き合いたいと思うなら――今すぐ、戻ること。ただし、一つ付け加えておくけど――」

「ひっ」

 容赦ない言葉に、一人は頭を押さえた。


「あなたたち、一番遅れを取っているわよ」


 激しい叱責。

 こういうときには、口の悪い女子たちはたいてい、去った後に何なの? あいつ むかつく、調子にのってんじゃねえという汚い言葉が、捨てぜりふのように、場合によってきこえよがしにあるものだが、それはなかった。

 宏美の絶対的な存在を前に、何も返せないでいた。

 何より、3人はへたり込んでしまった。

 ただ、激しい雷雨が過ぎ去った後の静寂に戻っていた。



「あの3人、どうしたんだろう?」

 厳しい練習が続く新体操部の練習場は相変わらず熱気が漂っていた。

 いつも口のうるさい3人が、真っ青な顔で練習場に戻ってきた。


「あいつら、涙目じゃん」


 いずれも、魂がどこかにふきとんでしまったような呆然とした様子だった。


「あれ、3人ともやることがないんだったら、こっちでやる?」


 敦子が明るく声をかけた。今敦子が相手しているのは、熟練度は下位のグループのはずだった。

 だが、魂が抜けてしまってどうしたらよいかわからない3人にとっては渡りに船だった。


「は、はい!」


 結局3人は、初心者グループに入れてもらった。

 女子の噂は速い。

 一体何が起きたのか、周囲はひそひそささやきあっていたが、徐々に真相が漏れ出した。

 直々に宏美からの指導を受けた――。

 女神の怒りに触れた。漏れ聞こえてくる噂、といっても噂の拡散の早い女子の間では練習の終わりにはほぼ全体に広まっていた。


「トイレにいった帰りにたまたま通りかかったんだけど――、もぅやばかったよ」


 自分が怒られたわけでもないのに、足が震えたと付け加えた。 

 だが、そのことは当然と受けと止められた。


「あの3人、ここのところ練習そっちのけだったもん」


 多くはその龍崎の教育的指導に胸を晴らす思いであり、その行動を指示した。

 後で宏美から叱責されたことを聞いた。



 空気が引き締まった。

 みんなの面前で叱責をしなかったこと――そして泣く一歩手前でやめたことも賞賛された。

「流石ですね」

 あとで龍崎と二人になったときに、美乃理はささやいた。

 だが、宏美はただ微笑を浮かべるだけだった。


「だって、正愛の新体操部はあなたやわたしを受け入れたのよ」


 正愛の新体操部は自分でさえも受け入れた。


「そう……でした」


 稔の記憶が思い起こされた。

 男子の稔がやってきても受け入れたのだ。

「きもい」「近寄るな」「ここは女子だけの部だ」

 通常ならそのような声があってもおかしくない。

 その気風が稔を救った。それがきっかけで新体操部への思いを持った。

 好子を受け入れられないわけがない。

 できないとしたら、それは正愛の新体操部ではない。


「一緒に、やろうか」

「はい――」


 一瞬見つめ合った後、二人は、練習場の中央へ向かった。

 二人の秘密を知る者はここには他にいない――はずだった。

今回で好子を中心にしたこの話は終了になります。

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