第95章「変わらないもの⑤」
好子と別れた美乃理は、そのまま自分の家に帰宅した。
「ただいまー」
玄関から入ると、母の仕事用の黒いパンプスと妹の美香のピンクに白のラインが入った小さなシューズが置いてある。
二人が帰ってきているのを確認した。
美乃理も、靴を脱ぐ。
廊下を抜けてキッチンをのぞくと母は夕食の支度をしていた。
「手伝おうか? 母さん」
美乃理が声をかける。
「あ、おかえり。早かったのね。あ、そうか、今日は休養日だったわねえ。でも、もうすぐできるからいいわ」
母はエプロン姿でまな板の上でトントンと何かを切っていた。
「それより……美香の相手をしてあげて」
「美香を?」
美香がいるはずのリビングをのぞき込んでみた。
「おかえり……なさい。お姉ちゃん」
ソファに座る美香は膝を抱えて、テレビを見ながら、頬を膨らませていた。
長い髪をポニーテールにしている美乃理に対してツインテール。おさげやお団子に微妙に変えたりしていることがある。
いつも同じ服と髪と揶揄されたこともあるぐらい、ファッションからは遠い美乃理に対して美香は、年下の妹ながら工夫をこらしているのは美乃理と違うところだ。
よく小学校の頃は、美乃理に対する陰口がされるときにはその辺りをつつかれた。
美乃理自身は気にしないようにしたが、それでも良いものではなかった。
ともかく美香は、ぶすっとしていた。
テレビは夕方に放送される変身もの少女アニメの再放送だが、内容は頭に入ってない様子だ。
まだ子供なだけに表情からわかる。わかりやすい。
「どうしたの? 美香」
「……なんでもない、お姉ちゃん」
「怒っててもわからないよ?」
「でも……」
美香は、目を伏せた。
「お姉ちゃんが悪いことしちゃった? あたしが原因?」
「違う! 違うよ」
あわてて首をぶんぶん振った。
「じゃあ、教えて。あ、ひょっとしてクラブで何かあった?」
美香が小さく、頷いたので、その頭を撫でた。
膨らませてた頬が、元に戻る。
問いつめるのではなく、あとは美香がしゃべりたいのに任せた。
「あたしが頑張ったんだもん」
美香本人が言うには――。
美香は才能がある。というのは美乃理も感じるし、実際コーチがどんどん教えてるから、他の子からやっかみを受けてるようだった。
上の学年のクラブ生で、どうやら美香の陰口をいった子がいたようだ。
美香は上の学年の子もしていないような技もやってのけるから、やっかみを受けたのだ。
その陰口が人づたいに美香の耳に入った。
「調子にのってるけど、大したことない。大会に出られるのは、お姉ちゃんのななひかりだって。ななひかりってなに?」
心の中では笑った。幼稚な悪口だ。
だいたいコーチもそんなことで選ぶような人間じゃない。実力をきちんと見ている。
そんなこと、大人も、もっと年上の上級生もわかっているから誰も相手にしない。
「そんなことないよ、美香の実力だよ」
「本当?」
「美香は気にしちゃ駄目」
「でも……」
「美香がこの間やった三回回転しながら、リボンをキャッチする技、お姉ちゃんは、まだ美香ぐらいの時は、できなかったもん」
「そうなの?」
ふと気づいた。
当人には一大事だ。端からみるとくだらない、嫉妬や意地の張り合いでも――。
まして子供にとっては、それがすべてだ。
同じ目線、気持ちに沿ってやらないといけない。
幼稚な悪口だが、当人の美香にとってはそれに、美香自身まだ幼い。
「本当、だから美香は凄いんだから」
「今度の発表会で、お姉ちゃんのおかげじゃないってことをみせてやれ」
そう励ますと、鼓舞されたように美香の顔から不貞腐れた表情が消える。
「うん、あたしもっと頑張る!」
男子には男子の悩み――。
女子には女子特有のつきあいがある。
美乃理はわかっている。
美香はプライドが高い。
強さではなく、弱さにも繋がる。
気にしちゃ駄目というありきたりな励ましでは、美香の気持ちが晴れないのが事実だ。
夕食を片づけた後、美乃理と美香は練習を始めた。
今日は休養日な上に好子の件で練習はしていなかった。
女子のデリケートな心情のかけあいは、自分はどうも苦手だ。
稔という男子の記憶を持っているからなのか、それとも元々そういうものなのかはわからない。
自分にできることは、新体操に打ち込むことだ。
余計なことを跳ね返すには体を動かして練習を積む。
「ほら、美香、一緒に柔軟やろう!」
家でやる
毎日欠かしたことなく続けている。
「うん、お姉ちゃん」
横に並んだ。
「それ、いち、に、さん」
かけ声にあわせて足を180度に開いてさらに体を倒す。
美香も同じように曲げる。
体の柔らかさは美乃理譲りではあった。
お互いに、腕や脚を押さえてやる。
美香の顔からふてくされた表情が消えていく。
新体操が大好き。
純粋に愛することができる美香がうらやましい。
美香がねだるので、一緒に寝ることになった。
ベッドで寝かしつけると、柔軟をやっているうちに、イライラも不満も霧散してしまったようで、はしゃいでた割に、すぐに寝てしまった。
今は微かに寝息が聞こえてくる。
不思議な気がした。
母の大きくなったお腹に耳をあてたことがある。
生まれた直後に抱かせてもらったことがある。
あの時は、こんな小さな子が、大人になるのだろうかと思った。
それが、今は子供とはいえ、こんなに大きくなって既に女の子らしくなっている。
しかも自分と同じように新体操をしている。
今はこんなに負けず嫌いの天真爛漫な子になっていることに――。
一方で最初から女の子の美香に、そうではない自分は姉として気持ちを理解してやれるかどうか、不安もあった。
「あ……そうだ」
自分も眠ろうかと、ベッドに入ろうとしたしたときに気がついた。
鞄から携帯を取り出し、忍のスマホにメッセージを送った。
『今日はありがとう』
すぐに返事がきた。
『ううん、わたしもしゃべれて良かったよ。好子ちゃん、いい子だったね。できれば、続けてほしいな』
『あたしもだよ』
つづけて返信を打った。
『あんまり、うちの部のよくないところをみせちゃってるね。あたしのせいで……』
『今日はちょっとえらそうにいったけど、わたしも部員の子たちの人間関係に、苦労してるから。自分を責めちゃダメ』
『でも、シノちゃんはあたしのように、後輩を苦しませたり……わたしが女の子の気持ちをわかってやれないからなのかな……』
忍からまたメッセージが届いた。
『美乃理ちゃんが男の子だったこととは関係ないよ』
そのメッセージをしばらく美乃理は眺めていた。
忍は美乃理の秘密を知っている――。
そう思っていない人もいるかもしれませんが、このお話はあくまでもTSをテーマにしています。




