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第90章「試練⑧」

 正愛学院の近くには通学路からは少し外れているが。大きな川がある。

 川縁には野球場や運動の練習場があり、休日には少年野球や草野球のチームが練習や試合を良くしている。

 その川縁の土手を美乃理と好子の二人でしばらく歩いた。

 時折自転車が通り越したり、ランニングをする中年男性とすれ違う。


「私、小さい頃はこんなに太ってたわけじゃないんです。本当です、小さくて可愛いって言われてたんです」


 好子がやがて、ぽつりぽつりと自身のことをしゃべり始めた。


 好子の家は転勤の多い父の仕事の都合で、1、2年ごとに引っ越しを繰り返した。

 幼稚園から小学校まで。記憶にあるだけで、実に5回だという。


「知り合いができたと思ったら、すぐに引っ越し転校のくりかえしで、ほとんど友達もできなくて……」


 自然、家で過ごすことが多くなった。

 また両親も仕事やパートで忙しく、食事もお金だけおいて、適当に食べておいて、と言われることが多かった。

 一人家でお菓子を買って食べたり、適当に近くのファミレスで夕食を一人で食べてすませたり、コンビニで買って食べたり。1ヶ月毎日ほぼ外食かコンビニだったこともあった。

 孤独を食欲で紛らわせる日々が続いた。


「気がついたら、こんな体になってたんです……」


 好子の告白は、美乃理の心をえぐった。

 支えてくれる親友もいない孤独。そのことを美乃理は知っている。

 稔という少年の――おぼろげになりつつある記憶がまたくっきりと浮かぶようだった。

 もしかして……自分が新体操をやらない女の子だったらこうなっていたのだろうか――。

 稔という少年が不思議な力で美乃理という少女に転生し新体操を始めた。

 そうでなければ、美乃理は好子のようになっていたかもしれない。

 好子がもう一つの自分のように見えたのだ。


「4年生の時の渾名が豚まんで、5年生の時、転校した先で、つけられた渾名はロースハムでした」


 周囲からの蔑みにより、ますます孤独が増し、食欲で紛らわす悪循環。

 さらに劣等感から自分を卑下した。

 どうせ自分は……。そんな言葉で見えない言葉の傷から逃げた。


「笑ってごまかして、家で泣いてた……ここに来るまでは……でも……部活紹介の時の先輩を見て思ったんです。私も変わらないと――女の子として頑張ろう」 


 部活紹介で美乃理が見せた模擬演技は、新入生たちを魅了した。

 それで入部を決めた一年女子も多く、好子もその一人だった。

 綺麗で締まった体、美しい演技。皆を感動させる力。

 心を打たれた。涙が出そうになった。

 卑屈で周囲の視線の怯える自分と華麗な新体操部の少女に――。

 そして決意した。


「わたしだって女の子なのに……」


 無理なのは百も承知。笑われるのも覚悟の上の入部。


「だから、言われるのは別に平気です。これまでも、数え切れないぐらいに言われたし……」


 そこで好子は言葉を切った。

 だがその言葉の先が美乃理にはわかった。

 邪魔になるのだけは嫌。

 このままだと部にも美乃理にも迷惑をかける。美乃理を初めとする大事な先輩たちに迷惑をかけさせたくない。


「好子ちゃん」


 かける言葉が見つからない。

 単に同級生からの嫌がらせ、いじめではなかった。

 好きだから故に――。


「新体操をする御手洗先輩は私の宝物なんです」


 その言葉は美乃理の心に突き刺さった。

 すべての歯車の狂いが好子を卑屈にさせただけであって、決して弱いわけではなかった。 


「わたしはね……好子ちゃんが思うような人間ではないのよ。わたしは、元々周囲の期待を裏切って、自分も裏切って、墜ちるとこまで墜ちた。新体操だって、与えられて支えられてようやく立っているのが今の私なの」


 かつて黒い快楽に染まっていた自分を思いだした。多くの人の救いの手がなければ駄目だった。それに比べれば好子は……。


「先輩、だからやめてください」


 首を振った。

 美乃理は理解した。自分を変えようと、自らの足で踏み出すことができた好子に言えることなんてなかったのだ。

 そしてまた自分で去ろうとしている好子を止めるなんてことはできるはずがなかった。


「さっきもいったとおり、好子ちゃんの方がずっと強いし、凄いんだよ。今も凄く胸に打たれてる……だから」


 そして数歩先を歩いた後、美乃理は足を止めて、好子に振り返った。


「わたしからの最後のお願いを聞いて欲しいんだ」


 土手の向こうに沈みつつある太陽を背にしているせいもあるのだが、何故か美乃理に光が射している気がした。


「あと少しだけ、私に付き合ってくれないかな?」


「は、はい」


 美乃理の真剣な眼差し。好子は頷いた。

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