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第9章「美乃理(みのり)と父さんと母さんと」

「ほら、みのるここが今日から私たちの家よ――」

「わあ、凄い大きい!」


 初めてこの家にきた日のことは、まだはっきりと覚えている。

 まだ体が五、六歳くらいで小さかったせいもあったか、その大きさに驚き、感動した。

 その前はどこかのアパートで暮らしていたと思うが、その辺りの時代の記憶は、幼かったため、ほとんど無い。

 ボク――みのるの人生は、この家で始まったと言っても過言でもない。


「パパが、みのるのためにって、この家を作ったのよ」


 大きな庭があった。沢山部屋があって、大きなキッチンにリビング。

 この辺りは、元々一戸建てが立ち並ぶ閑静な住宅街だ。

 その中でも稔の家は大きい家だった。

 稔が生まれてたから、新築の家で新しく暮らそう、と建てた家だったと聞いた。


「ここがみのるの部屋になるのよ」

「わあ!」


 部屋だけでなく、ベランダも出窓も押入れクローゼットも、何もかもが大きかった。

 大きな窓から部屋に差し込む光がとても眩しかった。

 今では当たり前になってしまった光景も、何もかも新鮮だった。


みのるも、もうすぐ小学校だから、いっぱい勉強しないとね。もうすぐ学習机も買ってあげるわ」

「うん」


 でも――

 父と母は、その後何か引越しの手続きがあるからと、ボクを残して出て行った。

 ポツン、と残されたとき、何故だから少し寂しさを感じたんだ。


 やがて、引っ越してからこの家で暮らすようになると、稔は違和感を感じるようになった。

 少し孤立感があった。

 理由は、この家に稔以外の二人がいる時間が少なかったからだ。

 この大きな家の中で一人、ボクは過ごしたんだ――。

 鳥かごの鳥のように、稔は、ずっとここで一人だった。








「じゃあね、美乃理ちゃん」


 美乃理は忍と別れ自宅に着いた。

 そこはみのるの記憶と違わない佇まいだった。

 背負っているピカピカの赤いランドセルを翻した。

 鍵の場所は知っている。みのるは、いつも小学校の頃、同じところに入れていた。

 ランドセルの中の一番奥。


「あった」


 色が黒くても赤くても、入れている場所は同じだった。

 鍵を開けて、ガチャリ、と戸を開く。


「ただいま――」


 美乃理は、そう帰宅を告げたが、返事はなかった。

 家の中は静まりかえっている。

 シューズを脱ぐ。

 誰もいないのはわかっていた。

 父さんも母さんも仕事だった。


 新築の匂いがまだ微かに残っている。

(ああ、昔はこんな感じの匂いがしたっけ)

 昔の記憶が呼び起こされる。


「母さん――」


 美乃理はポツリ、呼んだけれど、やはり返事は無かった。

 廊下、台所、居間。何も記憶と変わっていなかった。

 若干テレビやパソコン、電子レンジが、10年前使っていたものになっているぐらいだった。


 階段をトントン、とあがっていく。


「ボクの部屋……」


 そこはみのるが使っていた場所と同じだった。

「美乃理の部屋」という可愛い文字体で描かれた表札がかかっていた。だからここが自分の部屋であることはわかったが、こんな可愛い系のアクセサリーやインテリアは使ったことはなかった。

 ということは……中もだいぶ変わってるとも思われた。


「あ……」


 部屋にはいると、予想通り、青だったカーテンが綺麗な花柄模様になっていた。

 ベッドの毛布やタオルケットも、赤やピンク、

 本棚には、マンガや本がいくつかあるが、それらも全部女の子向け。

 エジソンの子供向け伝記が、ナイチンゲールの伝記になっている。

 鉄道図鑑が、花の図鑑に変わっている。

 変わっていることは間違いなかった――

 クローゼットや机の引き出しはどうなってるだろう、と美乃理が思った時だった。


 リリリリリリリリリリリリーン

 突然家の固定電話が鳴った。

 赤いランドセルをそのまま床に放り出した。

 早くでないと留守電に切り替わってしまう。

 美乃理は電話を取った。


「はい、御手洗です」

「あ、美乃理ちゃん――わたしよ」

「母さん!?」


 声でわかった。美乃理が覚えているよりも、随分若い声に聞こえたが、間違いなく美乃理の母だった。


「今日、急に夜勤が入ることなっちゃったから、夕食は何か自分で食べて頂戴。冷蔵庫にあるもの、何か適当に食べておいて」

「え!?、あ、あの……」


 母が自分を美乃理と呼んでいること、そして、平然としていることに驚いた。


「お父さんも週末まで北海道へ出張だから帰ってこないから……っていったでしょ?」

「今日は……母さん、父さんも帰ってこないんだ」

「ごめんなさい、お詫びに今度何か欲しいものがあったら、買ってあげるから、今日はお願いね」


 それ以上は言わなかった。そう、この頃からみのるの父と母は仕事でいなかった。父が出張して帰ってこなかったのは――記憶通りだ。


「じゃあ、あとは頼んだわよ、美乃理――」

「あ、お母さん……」


 ふと美乃理は新体操クラブのことを思い出した。忍からお願いされたこと。

(ボクは、あそこに行くべきなのだろうか――今ボクがすべきことは……)

 新体操クラブの見学に行くには、母さんの許しを取らないと、と思ったが、すでに、ツーツーと電話の電子音が受話器の向こうで鳴っていた。


 記憶のままの母さん、そして父さんだった。

 だが短いやり取りで、少なくとも、とりあえず、父も母も、美乃理を女の子、娘と認識しているらしいことはわかった。

 だから自分が男の子から女の子になっていることで驚かれ騒がれることは無さそうだ。最初からそういうことになっているのだから。

 美乃理はそっと受話器を置いた。


 受話器を置いた途端、ある感覚がわきあがった。

 主に下半身の奥の方から――。

 熱い。


「なんだろう……」


 スカートの中で脚をもじもじしてしまう。

 ようやく、この感覚の正体に気付いた。

 男の子の時と少し違うので遅れてしまった。


「うう、漏れちゃう」


 ようやく気付いた美乃理は決壊寸前で体を強張らせつつトイレに向かった。

 入った後も、どのような姿勢でどのような力の加減か。しばらく格闘が続いた。


「ああ……」


 ようやく戸惑いと安堵の声をあげた。

 そしてようやく美乃理は女の子になっての初体験をした。


「本当に本当に女の子なんだ……」


 いろんなことが起こりすぎて混乱する頭をぶんぶん振った。

 ポニーテールが揺れた。


 夜。

 誰もいない家の中で、美乃理はそっと、お風呂場の洗面台へ向かった。

 その大きな鏡には、昼間、学校の鏡に映された少女がやはり、いた。

 少し口元に、笑顔を作ってみると、その鏡の少女も作り笑いを浮かべた。

 ポニーテールを結んでいるピンク色のシュシュを外すとふわっと髪が広がる。

 その長く黒い髪の毛をかき揚げると、少女もかきあげた。

 ストレートも可愛い。


 少女はボク

 ボクは少女


 靴下を脱いだ。

 小さな素足だった。

 スカートをフックをはずし、脱ぎ降ろした。

 穿いていたパンツを脱ぎ捨てた。

 下着も女の子用――。

 そして鏡の前には、生まれたままの姿の自分が映っている。

 そう、ボクはこの世界で、女の子として生まれたんだ。


「これがボク……」


 可愛いと思った。

 女性らしい体つきではないが、白く、細い手足。

 優しいラインの顔。サクランボのような唇……

 大人の女性とは違うが、女の子らしさがあった。


「うん、可愛い……のかも……」


 一言だけつぶやいた。

 静まりかえった家の中では、小さな声もよく響いた。自分の声もよく、耳をそばだてると、黄色い女の子っぽい声だ。


「ああ……」


 どこも、すべすべで柔らかく心地よかった。



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