第83章「試練①」
「イチ、ニ!」
二列に並び、校庭の外周をランニングするジャージ姿の新体操部員たち。
10代の少女たちの張りのあるかけ声が遠くまで響く。
朝練は主に体力作りの為の基礎的なメニューが多かった。
陸上部のような走り込みではなくペースは比較的ゆっくりなものの、そのかわりに、声をあわせ、足並みをきれいに揃えるのが新体操部のランニングの特徴であった。
演技の正確性や団体の演技を意識して部員の気持ちを1つにさせる意味もあった。
広大なグラウンドを3周し、その後も基礎トレーニングを続けるので、決して楽ではなかった。
「お、新体操部だ」
「ああ、可愛い子が多いよなあ」
他の部の男子たちが手を止めて見入っている。
中には露骨に見ているのもいる。
「あ、あれは御手洗さんよ」
「綺麗よね」
女子も見入る。
新体操部は正愛の中でも最も活発な部として注目されているのだった。
だが、そういう視線を美乃理は練習中は、まったく気にしない。
いつも華麗なレオタードを着て練習をするわけではなく、むしろ他の部でもするような地道なトレーニングを欠かさない。
美乃理はふと気づいた。校舎の前を通ったとき、特進コースがある教室をちらり、と見たときに、川村らしき姿を見かけた。
(また、見てる……)
他の生徒からの視線は気に留めなかった美乃理も、それだけは心に残った。
「皆、あと一周、声を出して」
だが、いつまでも気にしてもいられない。後ろを振り返って一年生に声をかける。
その中でも美乃理は辛そうな表情をみせず、むしろ楽しんでいる様子すらみせる。
「はい!」
「は、はい!」
けれども――。
ランニングが一段落したら、縄跳び、腹筋などの筋力トレーニングが続く。
軽い準備体操とランニング、そして柔軟体操、整列してかけ声とともに、一定のテンポでバランスやつま先立ちなどを繰り返すといったメニューが続く。
一体どこからあんな気力が湧いてくるのだろうか、一年生たちは不思議だった。
「はあ……ふう……」
いつも練習に真摯に向き合う美乃理を1年生部員たちは、自然に慕うようになった。
美乃理を慕う一年生部員の一人、筒井早紀は思う。
とても辛い――。
あんな柔軟の1つ1つが何の意味があるんだろうって。
他の子は日曜日になれば街で遊んでいるのに、学校に来て平日よりももっとたくさん練習をする……。
なのになんで自分はこんなに打ち込むのだろうか。
「そっか私女子だから先輩と新体操ができるんだ」
早紀は、美乃理を見て思った。
一年生の頑張りは、結果上級生たちの予想は外れた。
月曜から金曜日まで放課後も練習はぎっしり。
土日も練習。休養日として練習が無い日がたまにあるぐらいだ。
きつい練習に音をあげて、辞める部員も珍しくない。
入ってほんの一月で半分以上減ってしまうのも珍しくない新体操部で、
今年はまだ脱落者は一人もいなかった。
校舎の脇、陸上部や野球部の練習グラウンドの脇、一番遠いサッカー部の練習場所をぐるりと回る。
体力をつけるのも、大事なメニューだった。
無駄な脂肪を落とし必要な筋力をつける。
「ラスト、もっと声を出して!」
「は、はい!」
ランニングもようやく終わりに近づいた。
だが、一つの小さな事件が起きた。
「御手洗さん、ほら――」
ゴールの体育館にもう少しで到着する時、すぐ隣で走る高梨部長が美乃理に目くばせをして、後ろを振り返った。
遙か遠く、部員の一人が遥か後ろで遅れている姿が見えた。
のろのろ、ほとんど歩いているような速度で――。
同時に同じ二年の林さんからも声がした。
「御手洗先輩、また好子が遅れています」
後ろをみると遙か向こうでのろのろと、走っているというより今にもよろけそうなジャージ姿の女子がいた。
「あたし、行ってくる! 皆は先に体育館に戻って始めといて!」
「あ、御手洗先輩!」
あっという間に遅れた部員の下へ走っていった。まだあんなに元気に走る余裕が残っていることに後輩たちが驚く。
「もう……好子の奴、また先輩に迷惑かけて……」
駆け寄って声をかける。一緒に併走する。
「ほら、好子ちゃん、あともう少しだよ!」
美乃理は、直接手を出さず、声をかける。
「は……ふ……はい……せんぱ……い」
苦しみの極みともいえる表情をうかべつつ、ほとんど止まりかけていて、前のめりになっていたその体を起こし、最後の気力を振り絞った。
歩く度に胸や腹についている脂肪がタプタプと揺れる。
ようやく遅れてゴールの体育館前につくと、崩れ落ちるように手を突いた。
美乃理はタオルを差し出した。
「す、すいま……せん」
「すごいよ、好子ちゃん。今日は最後まで完走できたんだから」
「はぁ、はぁ……」
既に息があがり、汗びっしょりだった。
シャツは汗に濡れ、床に顔からの汗がぽたぽたと滴り落ちていた。
今年新体操部に入部した一年生部員の一人、村上好子はいわゆる肥満と呼ばれる体型だった。
入部を希望した時も、練習についてこれないだろう。
おそらく3ヶ月、いや1ヶ月。一週間も持たない。それで誰が当たるか予想をしあっている有様だった。
少し離れたところで不穏な空気が醸し出されつつあった。
「また……好子ったら、先輩に迷惑かけて」
「本当、足手まといよ!」
同じ一年生達は蔑視の視線を隠さない。苦笑いする二年生と三年生。
一年生にとってはまだ自分には下がいる。
まだまだ未熟なルーキー達の気持ちを安心させているのも確かだった。
好子は最初の練習メニューで既にいっぱいいっぱいだ。
美乃理はそんな好子のサポートを積極的にする。
それで練習時間が押してしまうこともあったが……それでも美乃理は見放すことはしなかった。
「いたたたた、いたい、です」
柔軟が始まると好子の悲鳴が周囲に響いた。一年生部員はどの子もきつそうにはしているが、特に好子は悲鳴をあげた。
二年生はまた始まった、とやや呆れも混じった苦笑いをした。
「間食はしないこと。でも無理な減量はしちゃだめよ」
柔軟でも初歩の運動で、左右や前後、それぞれの腕と足を丁寧に伸ばす。単純だが、かなりきついメニューであった。
好子の身体は特に固く、少し屈んだだけで苦しい悲鳴をあげた。
「は、はい、きちんと守ってます」
他の二年生部員から聞いたところによると、好子はどうやらそれを守っている様子だった。
「10分ぐらい、アイスクリーム屋の前をうろうろしてたけど、しばらくしたら眼を背けて帰った」
又聞きではあったけれども、その様子を目撃した林さんの話だった。
厳しい練習が終わると強い空腹感を覚える。
買い食いをして先輩部員に見つかって怒られる。というのもまま耳にする話だった。
家に帰って食べなさい。
極端な減量はさせないが、しっかり食事をバランスよく食べる。それが新体操部の練習以外の掟であった。もちろん間食は厳禁。
そうは言っても年頃の少女たちにとっては誘惑は多かった。
「頑張ってね」
「は、はい……だって……ここまで頑張ったことが水の泡になっちゃいますから」
今まで運動に触れてこなかった好子にとってはやはり練習についてこれなくなる限界があった。
限界がきたと思ったときには美乃理の判断で、練習は中断させる。
たいてい、最後の方はのびてしまう。今日も練習場脇で身体を横たえる姿がみられた。
「あんなのと一緒にするなんて嫌」
「し、御手洗先輩に聞こえちゃうよ」
「あいつのせいで、私たちが一緒に練習する時間が取られちゃってるんだから」
傍らでゆっくりと一部の一年生部員の間で不穏な空気が醸し出されつつあった。
そして、傍らで醸し出される嫉妬の空気に気づいたのは清水敦子だった。
(おやおや、これは……)
後ろから数人が集まって何やら良くないささやきあいをしている様子を彼女は目にとめた。
(はじまったようだね……)