第78章「新しい日々④」
放課後が始まった。さらに練習が行われる。
再び練習場に集まった部員たちの準備体操の「イチ、ニ、サン、シ」の掛け声が体育館に響きわたる。しかもひたすら基礎練習が続いた。
まだ初心者もいる一年生はもちろん上の学年の部員も同じメニューをこなす。
特に一年生部員は、新体操に適した体づくりから始まる。
難易度の高い技はまだまだ当分先であった。
基礎練習は時に2、3時間以上することもあり、さらにそこから各個人やグループの課題練習にうつるのだった。
さらに――今年は新入部員が多いおかげで、その指導もあった。
その練習の厳しさに、最初の1ヶ月で部員は半分に減るというのが、先輩たちの予想だったが、まだいなかった。
つま先立ちの練習やバーレッスンで身のこなしを覚えるメニューをこなし、さらに基礎練習は続く。
「ごじゅう、ごじゅういち、ごじゅうに――」
100を数えるまで足を広げ続ける練習が行われる。
練習場にジャージ姿の女子部員が、床にはいつくばるように、足を広げている。
「ご、じゅう……さん」
皆声を出すのも必死で、途切れがちな部員もいた。
柔軟という言葉から受ける印象に反し、その中にはきついものも多々あった。
完全に足を180度に開けるようにするのが目標だ。
床に座り脚を大きく開いて体を床に着ける。
「ほら、背中を丸めちゃだめ!」
「お臍が床につくぐらいに!」
指導役の二年生たちから声が飛ぶ。柔軟性は新体操の要の1つである分、その練習は想像以上に厳しい。
正愛学院の柔軟体操は毎日継続することで身体を柔らかくしていく独自の体操だ。関節をじっくりほぐし、新体操に適した体に変えていく。
これでも緩い方と言われているのだが、新入生にとっては過酷であることに違いはなかった。
「あなたうちでもやってる? この間と比べてあんまり柔らかくなってないけど」
「ご、ごめんなさい……ここ最近テレビみちゃって……」
「しないと、ずっときついままよ。次のステップへいけないよ?」
「は、はい……」
先輩部員の厳しい注意がとぶ。しかし、まだこれでも緩い。
他の新体操部の有力な学校では身体が固い子や向いていない子には入部テストを課したり、わざと過酷なまでの練習を課して排除してしまう。
身体能力が無い生徒は去っていく。正愛学院の新体操部はそこまでしないし、できない生徒の面倒もみる。
けれども厳しい練習は同じだ。
気の遠くなるように続く柔らかい体を作るための練習。
部員たちから悲鳴があがりはじめたころ――。
「今日はここまで。これ以上やると関節を痛めちゃうから――」
ようやく与えられたしばしの休憩に一年生たちは、ふうっと一息ついた。
「家に帰って寝る前にもやるのよ。そうすれば徐々に柔らかくなるから」
しばしの休憩に皆体を崩して楽な姿勢になる。中には仰向けに大の字になってしまう部員もいた。
「お母さんに最近姿勢が正しくなったって言われるようになったんだ」
「あたしも! 歩く動きが前より優雅になったって。さすが新体操始めた成果ねっていわれたの」
新入部員にも厳しいながらも練習の成果を実感し始める部員も出てきた。
「変わるものなんですね……女子って」
そんな様子を眺めて呟く美乃理の横には、中学生の部長を務める高梨がいた。
「ええ、あなたたちもあんな感じだったのよ。まあ美乃理は最初からちょっと違ってたけどね」
ついこの間まで子供っぽさが多分にあった一年生は、もう大人びた顔つきに変わっている。
中学校という環境に加え、新体操の厳しい世界に入ったことにより成長をしていたのだった。
「一年生、こっちに集合!」
「はい!」「は~い!」
続いて、一年生はひとかたまりに集合するよう指示される。
美乃理自身がその指導にあたった。指導を受ける一年生部員は美乃理のみせる見本や動きのコツや注意点を目を輝かせてみる。
「リボンのスティックはぎゅっと強く握るのではなく、手にすいつかせるように持つの」
見本をみる食い入るような真剣な視線が集中する。
「こうやって中指を伸ばして――」
くるくるとその場で回りながら、大きく円を描いて見せたり、螺旋にしたりする。紋様のように綺麗に描かれるリボンの動きにわあっという声があがる。
「美乃理がやってるのを見ると簡単なように見えるけど、床につかないように、かつ綺麗な形でやるのは何度も練習を続けてこつをつかまないと行けないのよ」
美乃理と同じ二年生部員の一人、林さんが指導の補足をした。
「腕だけ動かすのではなく肩や腰を使って全体を動かします」
大きく腕を振り、リボンを綺麗な8の字を作る。
今度は拍手が起こった。
「足をつかったり、動きを組み合わせていくけど、まずはこれからよ。きちんと手に持って操作できるように……」
そして部員たちに実際にやらせてみた。
慣れない手つきでリボンのスティックを握り、振ると絡まったり、床についてしまったりとハチャメチャな形になってしまった。
「ええ、どうやったら御手洗先輩みたいに綺麗にできるのぉ」
新米部員たちの屈託のない声がした。
「もっと腕だけで振るのではなくて肩や腰を使うのよ」
後輩たちの必死の質問に美乃理は丁寧に答えた。
さらにその部員に駆け寄って腕や肩を掴んで位置やタイミングその動きを細かく教える。
「こうやるの。動きにあわせて、肩を大きく旋回させて、腰も動かして……そうそう、その調子」
指導を受けたその部員の動かすリボンの動きがよりメリハリのついたものになる。
「わあ、できた。ありがとうございます」
直々の指導でこつを少し掴んだその女子部員は、はしゃぐように歓声をあげた。
「先輩! 私にも教えてください!」
「あ、あたしも! お願いします!」
たちまち一年生部員たちの質問や助けを求める声の嵐が美乃理に届く。
「あ、ちょっと待って――すぐ行くから」
美乃理は直接の指導を求める声に応えるために忙殺される。
「ふふ、あれはやり過ぎだよ」
後輩の指導に忙殺される美乃理を離れた場所で見つめながら、やや冷めた言葉を発した女子部員がいた。
身長は女子にしては大きく、また各部は女性らしく発達しており、レオタードには大きく膨らんだ胸がきつそうに収まっている。
細身の多い新体操部では比較的見ない体つきだった。
ショートボブも特徴的だった。
大人っぽさの漂う雰囲気から、美人ということばが似合っていた。
振り返った。
「あんまり親身するのも本人たちのためによくないんだけどね」
その傍観する様子に高梨部長は咎めた。
「あなたも見てないで手伝ったら?」
「おっと、こっちは個人戦のための練習ですよ、部長」
声の主は清水敦子――
自らは悠々とストレッチに励んでいた。
マイペースと評判の清水敦子はあまり二年生の指導に入らなかった。
「まったく、あなたはマイペースね」
しばらくすると、急に後輩たちがざわめいた。
「龍崎先輩が来た!」
「龍崎さんよ!」
練習場の部員の視線が、しばし一人の人物に集中する。
龍崎宏美――。
今や正愛学院新体操部の中心にいる存在であり、ここまでの発展を成し遂げさせた存在でもあった。
そして、彼女たち部員にとって絶対不可侵の神聖な存在であった。
その龍崎宏美が入ってきた。
高等部の制服を着た龍崎は、昔と同じ黒いロングの髪を後ろでまとめていた。
元々出会ったころから宏美は美しかった。しかし今になってその美しさは、加速度的に増していた。
体はアスリートらしく細く筋肉質である一方、体つきは、女性らしいなめらかな曲線を描いていた。
校内中にその存在が知られる、女王だった。
新体操を知らない素人でも、彼女の演技を見れば、見とれさせる力がある。
ましてや新体操部では女神のごとくの扱いだった。
人数が多いため、高等部と中等部は分かれて練習を行っていた。
そのため、直接一緒に練習をすることは普段はなかったが、会話を交わすぐらいの交わりはあった。
学校の校門から入ったらすぐに校舎から垂れ下がっている垂れ幕には新体操部(高等部)全国大会優勝と祝・龍崎宏美最優秀選手賞受賞と掲げられていた。
ジュニア大会優勝――新人大会優勝――。
「龍崎さん――」
美乃理は、ずっと龍崎宏美の背中を追いかけてきた。同じものを共有する者として――。
お互いの正体がかつて男子高校生が転生した姿であることなど、誰も気づくことはなかった。
追いかければ追いかけるほど離されていく気がしてしょうがなかった。
「なんだか離されていっちゃうなあ」
「美乃理、あなただってジュニア大会、中学生新人大会優勝でしょ」
「わ、わたしはたまたま……」
「嘘、花町新体操クラブ」
「龍崎先輩、よろしくお願いします!」
「よろしく、高梨部長」
簡単な挨拶をした跡、そのすぐ隣にいた清水敦子に声をかけた。
「敦子ちゃん、美乃理は?」
「ああ、あっちで一年生の指導をしてますよ」
「ふうん大変ね」
「あいつはちょっと一人で背負いすぎなところがありますからね、先輩からもいってやってください」
龍崎の前では、緊張でしゃべれなくなる子、興奮してしまう子、中には足がふるえてしまい腰砕けになってしまう子すらいたが、敦子は全くそんな、臆する様子は全くなかった。
部長の高梨は二人の間に微妙な空気が流れていることを感じ取った。
「美乃理ちゃん」
後輩の指導にあたっていた美乃理に声をかけた。
「宏美先輩!」
「後輩の指導大変ね」
美乃理は練習の指導を別の二年生部員の高田に委ねた。
「久しぶりに一緒にやろうか」
「は、はい宏美先輩!」




