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第77章「新しい日々③」

「ありがとうございました!」


 重なった声が大きく体育館に響いた。

 授業開始20分前になり、集合して一礼で朝練が終わりを告げる。

 急いで更衣室に戻り、制服に着替える。


「ねえ、一時間目って世界史だっけ? 宿題やった?」

「え? 何それ?」

「ほら、課題のレポートをつくるってやつ」

「ええ、後でみせてよ」


 会話をしつつ、ジャージを脱ぎ、下着姿になる。

 女子更衣室は短い喧噪につつまれる。

 美乃理もその中に混じっているのだが、今はなんとも思わなくなっている。

 男子のときに抱いていた天国というやつでもないし、かといって幻滅するほどあけっぴろげというわけでもない。

 むしろ女子の必死さがわかる時間でもあった。

 短い時間で、着替えと身だしなみを整える努力に恐れ入る。

 汗をふき、タオルで身体を拭き、髪を櫛でとかし、ジャージを脱ぎしわにならないように気をつけて制服を着てスカートを穿く。

 それはもちろん自分のためもあるが、新体操部の名に恥じないような清潔さを維持するという目的があった。とにかく四苦八苦しているのだった。

 鏡に向かって髪の乱れや、服装をチェックする。

 一般の生徒の中にはこっそり化粧水や道具を持ち込む生徒もいるが、新体操部にはいない。

 露骨な化粧や、髪染めも禁止している。練習で汗と埃でまみれても、身だしなみは清潔で――。


(苦労してるんだ)

 美乃理も、同じように髪留めをはずし、頭を振って髪を一旦ほどく。

 髪を櫛で通した後に、後ろ手でポニーテールに縛りなおす。手入れといっても、眉毛や産毛を若干手入れする程度で化粧もしない。原則すっぴんだ。

 なのに一番清潔感がある。

 

「御手洗先輩が羨ましいなあ」

「どうやったらあんなに綺麗なのか教えてもらいたいなあ」

 後輩たちの遠慮のない視線と声に、美乃理はただ苦笑いした。


 ニキビやそばかすを気にする――。

 

 美乃理の体にも少女らしい成長の兆しがある。

 膨らみのあるその胸に、まだ慣れない手つきでブラジャーを着けた。

 後ろ手でホックをつけ、形を整えた。その上で制服のブラウスどブレザーにそれぞれ腕を通す。

ブレザーとネクタイ、そして赤と紺色のチェックにプリーツスカートを穿く。

 正愛学院中等部女子の制服を着た。

 最後に部室備え付けの鏡に向かって前と後ろをさっと見てチェックをする。

(うん、いいかな)

 声を出さずに美乃理はうなづいた。


「先輩、また!」


「じゃあね、美乃理――」


 制服に着替え終わると、一旦後輩や他の部員と分かれ、教室へ向かう。

 あと少しで朝の授業が始まろうとしているので、皆足を早める。


 体育館から校舎へは渡り廊下でつながっている。

 もうすぐ始業時間だ。

 渡り廊下を皆と歩いていると、練習の熱気が朝の風で心地よく冷まされていく。


 そして――ふと美乃里は思い出した。

 既に校舎からは登校してきた生徒たちのざわめきが聞こえてくる。

 入学当初はなにもかも新鮮だった光景も、二年生以上にとってはもう見慣れた光景だ。

 一ヶ月前に入ったばかりの一年生ですらも、もう既に見慣れつつある光景だ。

 けれども、……今この女子の制服を着ている美乃里にとっては、何度見ても思いが巡る光景だった。


 特に校舎の一番隅にある教室。冷暖房は完備されてて設備は良いし日当たりもよい場所だ。

 だが校内では一番近寄りにくい場所であった。特に普通科のクラスの子にとっては……。

 そこは特進コースの教室が入る場所だった。今日も特進コースと思われる生徒が教室に入っていくのをみる。

 男子が多いせいか、制服の黒が目に付く。

 かつての自分がいた場所が……。ここを通る度に、学生服を着たあの男子の姿が目に浮かぶのだった。


(この時間特進コースは朝の小テストの時間だっけ……)


 昔の思い出が巡る。

 

「あら、みのりん、どこ見てるの?」


 吉田さんが、美乃理の肩にもたれ掛かるように手を置き、美乃理の見ている方向に視線を送った。


「何? あそこって……灰色コース? 誰か知っている人がいるの?」


 勘の良い吉田さんは美乃理の視線を言い当てた。


「ん……ううん……?」


「まあいるわけないよね、あそこって本当、別の学校みたいだもんねえ。しかもテスト三昧らしいしかわいそうよねえ」


「そう……だね」


 通る度に自分がいるような気がするのだった。

 毎日勉強に明け暮れた日々が7年の歳月が経っても蘇る。

 美乃理はみのるとの狭間にいた。

 仲間が……いた。


「あ、あれは……川村君?」


 特進科の教室の前の一人の男子生徒が目に留まった。

 ガラス越しに、なんか向こうもこっちを見たような気がした。


「そっか……いるのは当たり前だよね」


 一人納得したように呟いた。

 川村裕太――。


 御手洗(みのる)が特進科ですごした5年余りの月日の中で数少ない親しい間となった生徒だった。 親しいといっても休み時間に話をする程度の間柄だけだった。

 しかしみのると同じく特進科で成績が落ちこぼれた生徒だ。

 落ちこぼれではあったが、みのると違って陽気だった。

 そして、中学が終わると川村君はそのまま別の高校へ行ってしまった。「俺にはここは合わない」が口癖だった。

 何度か職員室に呼び出されたこともあり、ゲームセンターなどちょっと風紀の悪そうな場所にも繰り出して遊んでいる。

 非行とまではいかないが自由きままだった。


 散々な試験の成績をまったく悪びれることもなく、逆に周囲にひけらかすかのようだった。

 むしろそれを誇るかのようであった。

 クラスでもやや目立っていた。

 そしてやたらとみのるに絡んできた。 


「なあ、みのる、お前もやめちまえよ」


 その頃、両親から示された道を歩くだけだったみのるにとって、やめるなどは思いもよらぬことだった。

 最後に三年の終業式。大半の生徒は中等部から高等部にあがることになるが、川村裕太はエスカレーターですすまなかった。

 公立なら卒業式があるが、正愛学院中等部の三年の三月は特にごく普通の終業式のごとく何もなく過ごす。

 川村のことはクラス内に知れ渡っていたが、事情が事情であり、お別れ会といったようなものもなく、みのるともじゃあなといって別れただけだった。

 喧嘩したわけでもなく、仲が悪かったわけでもなく、男子同士のさっぱりした別れだった。

 その後、メールでのやりとりもなかったので、連絡は途絶えた。 


「どうしたの? 美乃理!?」


 今の自分には何もない……何もないはずの場所だ――。


「う、ううん……なんでもない」

 

 川村裕太が自分をみつめていたような気持ちに囚われたと思ったが、心の中で否定した。

 そして美乃理は自分の今の場所である二年C組の教室へ向かう。

 スカートが風に揺れた。

 まだ中等部の校舎ではあるが自分は正愛学院にいる。

 あの時とまったく変わらない景色。

 でもそこでふれあう人々はまったく違っていた。


あれ? 小学生編にいたあの男の子は? と思った方がいましたら、この後思いっきり出てくるので大丈夫です。

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