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第75章「新しい日々①」

「おはようございます!」


「おはようございます! 先輩!」


 若くはつらつとした声が広い体育館に響きわたった。

 声の主は青いジャージ姿の二人の女子生徒。正愛学院新体操部中等部1年の筒井早紀と大久保藍子だった。

 二人は正愛学院に入学してまだ2ヶ月。ついこの間まで小学生で、まだいくぶん顔立ちに幼さを残しつつも、早くも絞まった表情をしていた。

 私立という新しい環境で始まった中学生活で、慌ただしく過ぎていった4月が終わり、ようやくクラスにも慣れてきた。

 授業や行事も最初のガイダンスの時期を過ぎて、通常モードになりようやく本格的な学生生活が本当の意味でスタートしたのだ。

 そして厳しいことで知られる新体操部に入った二人は今日の朝練にも早くから来て参加しようとしていた。

 周囲に少しでも熱意をみせるべく、一番乗りを目指してやってきているのだ。


 だが、早紀と藍子の二人は一番乗りとばかりに入った早朝の体育館で、既に登校していた部員をみつけた。

 先客は既に体育館の鍵を開け、倉庫から道具を取り出していた。

 そこにいたのは自分たちの先輩だ。

 中学になると新しい人間関係が発生する。それまでの友人、親、教師といった関係ではない人物の存在。先輩と後輩という関係――その先輩がいたのだ。

 誰よりも早く来たはずが、既に先を越されていたことに驚いた。


 体育館の倉庫から持ってきた練習用のマットやリボン、フープなどを抱えている。


「おはよう、早紀ちゃん! 藍ちゃん!」


 二人に挨拶を返した赤いジャージ姿の先輩女子生徒のポニーテールが揺れる。

 一旦足を止め、腕にクラブやボールといった練習用の手具を抱えながら二人の方を振り向いた。

 天窓から差し込む朝の光がまぶしい。


「二人とも早いのね」


 朝練の準備にやってきた二人を労った。


「御手洗先輩こそ、いつもこんなに早いんですか?」

「うーん今日はたまたま早く目が覚めちゃって……」

「ええ、いつも御手洗先輩は朝早いって皆いってますよぉ」

「うん、御手洗先輩は実は家に帰らず体育館に泊まり込んで練習してるっていってる先輩もいたし」

「もう大げさな」

 呆れた顔をしたが、後輩二人ももちろんそれは大げさな冗談であることは承知だ。

 そして練習への打ち込みかたが群を抜いていることの証でもあった。

「私たちも先輩のようになりたいから、練習をもっとやりたいんです」

 瞳を輝かせながら見つめた。


「さあ、早く着替えて、早速始めちゃおうよ」

「は、はい!」

「嬉しいなあ、御手洗先輩と三人だけで一緒に練習できるなんて」

「朝早く来て良かったね」


 藍子と早紀の二人ともいそいそと制服姿のまま更衣室へ向かった。

 正愛学院中等部の制服である緑色のプリーツスカートと、白いブラウス、そして校章のエンブレムの入った刺繍が右胸にある紺色のブレザーだ。

 その姿がいったん消え、パタパタと上履きの足音だけが聞こえる。

 新体操部の朝は早い。

 まだ空気の冷たい時間から、すでに始まる。

 校内でみかけるのは、真っ先にやってきたその女子部員の1年生二人のみ。

 ほかには、グラウンドでは野球部と陸上部が校庭で準備している様子がみえるだけだった。いずれも正愛学院では比較的優秀な成績を残している部活だ。

 どの部もそれだけ練習も厳しいということだった。



「わたしも手伝います!」

 ジャージへ着替えを済ませた早紀と藍子は美乃理が重そうに運んでいたマットの一端を持って中央に敷くのを手伝った。

「ありがとうございます、御手洗先輩」

 やや小走りでピンクの髪留めでまとめられ、結ばれたポニーテールが揺れた。

 赤いジャージの女子生徒は御手洗美乃理(みのり)

 正愛学院中学2年、そして新体操部員――でもあった。

 

 準備が終わり、ジャージ姿のまま3人で柔軟体操を始めた。

 簡単な上半身の屈伸から――


「二人の方こそ今日は早いね」


 重いマットを3人で運ぶ最中も下の学年の二人に声をかける。


「はい。だって県中学新人大会が待ち遠しいんです」


「早く上達したいんです」


「そっか……二人とも、初めて大会に出場するんだよね」


「先輩たちに、成果をみせるんですから」


「練習したもんね。絶対に成功させます」


 二人は顔を見合わせ頷いた。

 早紀と藍子の二人は共に中学生になってから初めて新体操を始めた。

 入部希望者を集めた体験入部の時も熱心に指導に耳を傾け練習を食い入るようにみていたことを美乃理は覚えていた。


「先輩の技、すごい興奮した」


「私も絶対にやりたいって心に誓いました」


 二人は話す。

 二人とも同じ1年C組。二人の話によれば――。

 藍子と早紀は、迷っていた。中学に入ったら何かをやりたい。ただ友達同士でわいわいやってなんとなく過ごすのではなく、正愛学院での学生生活で何かに取り組んでみたかった。

 そんな時目に留まったのは、部活紹介でやった美乃理たちのデモンストレーションだ。

 それで二人は入部を決めたのだという。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 一ヶ月前、正愛学院の新入生の部活紹介が行われた。


「続いて女子新体操部の紹介です」   


 司会役の生徒会副会長の進行に従ってプログラム順に各部の紹介が行われる。

 

 舞台の上にレオタード姿の女子部員が現れる。


「私たち新体操部は、総勢16人。大会に向け毎日練習に励んでいます」


 紹介文を二年生の二人が読み上げる。


 おおっという声が体育館で体育座りをしている一年生からあがった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 本番よりずっと短い時間だったが、音楽に合わせていくつかの技を披露した。

 特に美乃理のリボンの演技は技を決めるたびに歓声があがった。

 女子生徒たちの輝く目とそして男子生徒の口を半開きにした顔を覚えている。

「凄い!」「誰? あの綺麗な人――」「二年の御手洗さん」

 自分たちとわずか1年違いの少女がおりなす、ダイナミックな動きと繊細な技の美に酔いしれた。

 テレビや録画でみるのではなく生でみる迫力と美しさが新入生たちに広がった。


「素敵だったなあ」


「私女の子なんだから、やらないでどうするって思ったんです」


 入部希望者が三十人を越えたのにはさすがにたまげた。

 まさにその年の各部活の中で入部希望者数のトップだった。


 二人が熱い胸の内を語る姿に美乃里も打たれた。

 かつての自分と比べる。

 あの時のみのるはただなんとなく学校の時間を過ごしていた――

何かをやろうなんて考えても見なかった。

 そう考えてみると、自分はまだ道半ば。道の上を歩いているだけだった。

 床に腰を下ろして、足や間接、腹筋背筋を伸ばす柔軟をする。

 既に要領がわかっている三人はかけ声もなく進める。


「先輩は小学生の頃かやってたんですよね」


「うん、小学一年生の時からね」


「凄い、私ももっと早く始めれば良かったぁ」


 羨ましそうに語り合う二人を見て、美乃理は思う。

 ちょっとしたきっかけだったと思う。

 楢崎忍。

 忍が声をかけてくれた。新体操を一緒にやろうよ――。

 みのると三日月先生の約束があったからこそ、あの機会を逃さなかった。

 遡ったのがあの日だった。

 美乃理が最初から少女だったとして、新体操をやっていたかどうかはまったくわからない。

 自分一人の力ではないことがわかっていた。

 あの7年前の日の出来事――。 

「そっか……もうあれからそんなに経つんだ」

「?」


 藍子と早紀は、先輩の妙に想いにふけっている様子に、やや不思議そうな顔を浮かべていた。

「ううん、なんでもない」

 美乃理は脚を百八十度左右に広げたまま、身体を床に倒す。後輩もそれやや苦しそうにしながらに続く。

 簡単な柔軟を終えた後、さらに腰を曲げたり身体を倒したり――

 見た目の優雅さからは想像できないがダイナミックに動くため、怪我の恐れは常につきまとう。

 準備体操や柔軟は念入りに行う。



 忍に誘われることで始めた新体操。

 

 綺麗な姿勢、綺麗な体つき。いまや新体操のアスリートとしてその道を確かに歩いてきた美乃理――

 その眼を閉じた。

 自分が御手洗美乃理(みのり)となって既に7年が経過していた。

すべてが順風満帆でなかった。

 苦しみや悩みがなかったわけではない。

 けれども……自分に与えられた時間と自分の使命が、今の自分となっている。

 みのるが三日月先生と交わしたあの約束……。

 そして正愛学院高等部の新体操部に入ること。

 その約束は着実に実行に移されようとしていた。


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