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第72章「発表会⑨」

 軸足を使って一回転、また逆回転。

 演技が進行するにつれて徐々に難易度はあがる。

 さらに曲のタイミングを合わせないと他の子とずれてみっともない。

 笑顔が消えないように、必死にこみあげてくる感情をこらえる。

 今にもミスが起こりそうだ。

(あっ)

 右足と左足を間違えそうになった。

 練習を一生懸命やったことで体が覚えていたために、かろうじてミスをするのをこらえることができた。

 数回ステップをした後、大きくジャンプする。

 できるだけ大きく足を広げる。

 大きく足をあげてY字の形にした時、拍手が起こった。

 気を取られそうになるが、堪えて次の動きに移る。

 一度しゃがむ。寝た姿勢でポーズをとり、ブリッジをして起きあがる。

 ごく簡単な動きだが、徐々に動きは複雑になっていく。


「女の子らしい笑顔を」


 表情が堅いと言われていた美乃理だったが精一杯の笑顔を作り続ける。

「作り笑い」

 教えられた動きを覚えて手足や体を動かすことはできても、美しさを体で表現することができない。その第一歩の笑顔すら美乃理には難しい。

 他の子は自然に産まれながら育っている感情だが、それはみのるという少年の時間を経た少女、美乃理にとって壁のように立ちふさがる。

 まだ大きなミスは無い。

 腰に片手をあてて、手を伸ばす。

 可愛くしなければ。

 この場面では特にいつも恥ずかしそうにしたり、眉をしかめていたりしまってコーチから注意されていた。


「美乃理ちゃん、また顔がひきつっていたわ」


 練習を重ねたがまだ難しかった。

 もちろん笑ってみせることはできる。

 しかしわざとらしい、作り笑いの域をでなかった。

 柏原コーチも努力は認めてくれていた。


「今できてないと、本番はもっとつらくなるわ」


 克服できないまま本番。

 そして、今、緊張と恥ずかしさを抑えることに必死で、美乃理には、徐々に表情まで気を回すことができなくなってきた。

 頭ではわかっていても体がついていかない。

 演技が複雑になるにつれて、作っていた笑顔が消えてゆく。

(もう駄目だ)

 半ば諦めかけ、ふと観客席をやや遠目に見ていたその時だった。

(あ……)

 美乃理の父がいた。

 観客席にひしめく保護者たちの中に、一生懸命に美乃理に視線を送っている大人――。

 休日で私服やラフな格好が多い中で、一人スーツ姿で立っている。


「あれは……」


 チラリとみるとハンディカメラを持って自分を撮っている。

 声に出せないので、心の中で観客席に向かって叫んだ。

(父さん、来てくれたんだ!)

 今までの記憶では自分のために来てくれなかった父。それを責めたり恨んだりしたことはなかった。

 父の仕事は忙しくとても重要な役割。

 理由はもちろんあったから責めたことはなかった。

 だからこそ、今ここにいることが奇跡だった。

 美乃理だから来てくれたのだろうか――。

 いやハンディカメラを握りしめる父を見て、理解した。

 美乃理が新体操をするところを見に来たのだ。

 美乃理のために、新体操をやる美乃理のために来てくれた。

 自分の意志で始めた新体操に精一杯打ち込むこの姿を――父は見に来た。

 スーツのままでいるのをみると、そのまま直接駆けつけてきたのだろう。

(よかった……来てくれてありがとう、父さん)

 来れない、来るはずがないと思っていたその人が来てくれた。同時に美乃理の胸に熱いものがわき上がってきた。


 記憶が駆けめぐった。

 物心ついたころからの記憶が。

 いつもいなかった父さん。

 運動会や合唱祭、受験の合格発表の時、いつも仕事の都合でこなかった父さん。


 みのるという少年の十八年間。

 痛恨の過ち――。

 黒い感情に染まった自分の心。

 


 自分がやっていることが間違っていない。

 美乃理という少女になって新体操を始めたことが奇跡を生んだ。

 美乃理の心の緊張が瞬くうちに解けていくと同時に、頬がゆるみ、顔に自然に微笑みが浮かんできた。

(ここまで新体操をやってきて良かった)

 父に笑顔を向けた。

 こっちにカメラのレンズを向けている。

 変だ。恥ずかしいという気持ちが起こらない。

 仕事で大変なのに、やってきてくれた父さん。

 新体操を見に来てくれた父さんに見せてあげないと。

 今は、やるべきことは演技を精一杯みせることだ。

 もっと良い演技を、素晴らしい姿をみせてあげたい。

 来てくれた父さんのためにも。

 恥ずかしさも戸惑いも消えていた。

 女の子らしい可愛さや美しさをやってみせることにためらいはなかった。

 体が軽くなっていく。

 体を縛っていた見えないの鎖から美乃理の心が解き放たれた。

 緊張感や戸惑いが消えていく。





「見て――。美乃理のあんな笑顔、初めてみたわ」


 美乃理の父親と母親はささやきあった。


「ああ、可愛いな」


 カメラをアップさせ美乃理の顔を取った。

 焦点が合わせると、手に持つカメラの画面にいっぱい笑顔が映る。女の子らしい輝きに満ちた美乃理の笑顔が――。






 音楽のテンポに合わせてポーズを決める。

 片足で立ってY字バランス。次に、エビぞり、軸足を使って3回回転する。ちょうどシャチホコのようなポーズを取る。

 女の子らしい可愛らしさを出すために技の合間に腰を振ったり手を振ったりするポーズを決めるとき、いつもは恥ずかしさに顔に浮かべていた笑顔がひきつってしまった。

 けれども、今は違った。見せて上げたい。

 女の子の自分を。娘の晴れ舞台を見に来た父のために――。

 自分がみのるだったからとか、男の子だったからとか、そういう恥じらいも躊躇も今はなかった。

 女の子らしい動きをすることもごく自然にやれる。

(父さんにもっと見せたい)

 これまで練習してきたことの全てを、今の自分でできる表現をやってみせたい。


 隊列を崩して、ステップを踏み、なるべく大きくジャンプし足を広げる。

 舞台のマットの中心部に円をえがくようにならぶ。

 笑顔を絶やしていない。数分前の不安と緊張が覆っていたついさっきと違い、辛くても笑顔は途絶えることはなかった。


 いよいよフィニッシュだった。

 ジャンプとステップをしながら徐々に中心へ移動し隣の亜美と手を繋いだ。

 最も美乃理が苦手なところだった。

 片足上げ、笑顔を見せて中央に集まり、四人大きく脚をあげてポーズを取る動作を行う。

 音楽は最後のファンファーレに入る。

 美乃理と麻里で対称に、ポーズをとる。

 それを他の子が囲むように立ちの姿勢や座った姿勢、それぞれのポーズを取る。

 手をつないだまま体を反らし体重を後ろにかける。

 花びらとなって――。

 美乃理は確信した。

 花が完成した。自らが一枚の花びらになって花を咲かせたのだ。

 他の女の子と共に――。

 一斉に鳴る割れんばかりの拍手。

 カメラのフラッシュも一斉に光った。

 自分がこの女の子たち、この新体操の世界の中心にいるような気がした。

 その瞬間に心の中で何かがはじけた。


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