第66章「発表会③」
皆が集まってホッとしたのもつかの間。
廊下を抜けて発表会場となるメインホールに入ると再び気を呑まれる。
「凄い――」
皆と一緒に会場入りすると、そこには、さらに同じ年頃の女の子たちとその保護者たちがいた。
二つ三つの集団ではなくざっとみても八つ九つぐらいの女の子の集団があった。
そのいずれもジャージやレオタードを着ていて間もなく始まる発表会の準備に取り掛かっている。
この子たちが皆新体操をやっている子ばかりと思うと、その裾の広さを思い知った。
クラブの練習だけでも女の子だけの場にいることに、まだ十分に慣れきっていないのに……。
会場を見回した。
(新体操をやっている子が、こんなにいるんだ……)
この世には新体操と女の子以外はないかのような錯覚さえ覚える。
これまで想像もしえなかった世界だが、確かにここにその世界があった。
「あれは泉山クラブ。有名選手を何人も出している名門クラブなのよ。そこにいるのは桜ヶ丘西クラブで、あっちは新東町クラブ……」
他のクラブは人数もずっと美乃理たちの花町クラブよりも多かった。
既にジャージのままでリボンやボールを使って練習を始めている。
その練習も気合いが入っている上に、規律が取れているようにも思えた。
「あのグル―プは、もう少し上のクラスだから気にしなくていいわよ」
美乃理たちのいる体育館の片方の端とは正反対の壁際に集っている一群のグループの子たちのレオタードは色彩も豊かでもっときらびやかだった。
「表現の世界は奥深いのよ。いろんなアプローチの方法がある。レオタードをどのような装飾、色にするのかも重要よ」
目を丸くするキッズコース生達。宏美は一々丁寧に説明してくれる。
「ほら、あそこはリボンの色までレオタードに合わせてるでしょ?」
練習のためにスティックを操りながら練習をしている光景をさして解説する。
「本当だ……」
緑と赤と黄色、リボンもその3色にちりばめられている。
振ると虹のように綺麗だった。
それをみるとファッションにも化粧にもまったく知識も関心も持ってこなかった美乃理でも、自分たちが見劣りするかもしれないと感じた。
やや気に呑まれがちになっていたキッズコース生をみて宏美は苦笑していた。
「柏原コーチはね、シンプルさを好むのよ。その方が演技やその子の持つ美しさを引き出せるって信念でね。私も同じ考え方よ。あなたたちのようなキッズコースぐらいの子には女の子の本来の可愛らしさもあるから、決して負けてなんかないわ」
しゃべりながら、一瞬宏美は美乃理の方をみた。今の言葉は 自分に向けての言葉なのだろうか……。
「あの子たち、こっちを見てるね……」
会場を見渡して、神田亜美が呟いた。向こうもチラチラ見ている。
「う、うん……」
既に会場にいた大人も子供も会場に入ってきたばかりの美乃理たちをみつめている。
そのうちに、その視線が必ずしも自分一人に向けられているわけではないことがわかった。
「見て、龍崎宏美よ」
美乃理たちも会場で場所を確保して練習の準備に取りかかる。
集まった視線の先は龍崎宏美だった。
他の新体操クラブの子や、コーチ、そして他のクラブの親達も宏美を見てささやき、こっそり指差す。
「あれが噂の龍崎宏美ね」
「花町新体操クラブの龍崎さんだ」
「新体操のジュニア部門で優勝したのよ」
「龍崎グループのご令嬢……有名私立小で、成績も抜群で、新体操も一流なんて神様は不公平ね」
などやっかみまじりの賞賛も聞こえた。
「早めに会場に来たのね。今日は小さな発表会なのに、気合いが入っている理由はなにかしら」
龍崎宏美の一挙手一投足に注目が集まる。
「さすがね、龍崎宏美――できればうちのクラブに来てほしかったわ」
他のクラブコーチたちの注目も独占している。
宏美がこの近辺の新体操クラブ界隈で評判だという噂は聞いてたが、その威力を初めて思い知らされた。
宏美はまるで花園を飛び交う蝶たちの女王のようだ。
そしてその女王の秘密を美乃理は知っている。
龍崎宏美の正体は荒れた日々を送っていた龍崎宏という男子高校生が転生した姿。
幼い時に母を亡くした悲しみ、家に戻らぬ父、そして不良として暴力に明け暮れた日々。それらの想いがすべて新体操へのエネルギー昇華された込められているのだ。
「あれ龍崎宏美の花町新体操クラブよ」
宏美に集まる視線の一部はそして美乃理たちクラブ生たちにもその注目が向けられている。
「す、凄いね」
「私達も龍崎さんの演技に恥ずかしくないようにしなきゃ――」
麻里の気合いもますます高まっていた。
皆緊張で硬くなりかけていたが、気持ちが引き締まった。
そして美乃理はさらに、複雑な思いにかられた。
自分の目指すべきところはあそこなのだろうか。
「さあ、皆で準備体操を始めましょう」
「は、はい!」
宏美の提案で、早速準備体操をすることになった。
発表会当日は、あまり練習の時間が取れないという事前の説明だった。
さらに空気も冷んやりしている。少しでも体を温めておく必要があった。
皆それに素直に従った。
「さあ、美乃理ちゃんも」
「あ、は、はい!」
会場の空気に圧倒されつつあった美乃理も、床に腰を下ろして足のストレッチを始める。
準備体操でも宏美は注目を浴びている。
同時にこの花町クラブの様子も周囲は気にしている。
「さあ、次は開脚。足を伸ばして」
集まる視線に改めて美乃理の身が震えた。
これが発表会なんだ。
世界がまたさらに広がっていく――。
ストレッチ、柔軟そして簡単な技や演技のステップを始めた。
なんか変だな……。
美乃理は今日のこの発表会の場に来て初めて自分の心境の変化を感じていた。
忍、亜美、そして麻里も。クラブの皆が傍らにいることに安心感を覚えていた。
大勢の誰も知らない他のクラブ、他のチームの少女に囲まれていると、一緒に練習し、一緒に過ごした仲間がいて、一緒であることに。
(なんだろう……)
美乃理の心の中で何かが起ころうとしているような気がした。




