第60章「美乃理(みのり)と再び始まる新体操」
健一たちと遊んだ翌朝、美乃理は目が覚めて眠い目を擦りながらトイレに行った。
(あ、まずい)
美乃理は慌てた。
立ったまましそうになったのだ。
降ろしたパジャマを慌てて引き上げる。
そして改めてやり直し。
この失敗は久しぶりだった。
頭が寝起きでまだねぼけていたせいだと思うことにした。
そしてトイレを終わらせた後、洗面台の鏡の前で就寝中にできた寝癖をとかして、髪を纏めてポニーテールを作るのにいつもの倍近く時間がかかってしまった。
「母さん、いってらっしゃい」
ようやく髪のセットを終えてリビングに出ると、既に出勤の支度を終えた母がちょうど家を出ようとしていた。
いつものことだ。
父はとっくに家を出て、母もギリギリで会えるか会えないかのタイミングだ。
「あら、美乃理、おはよう」
慌ただしく準備をしていた母も起きてきた美乃理に気付いた。
「頭の髪の毛、ちょっと乱れてるわよ」
美乃理の隣に寄ってきて苦労して纏めた髪を一旦ほどいて、また結びなおす。
「あ、ありがとう、母さん」
髪のセットは繰り返しているうちに慣れてきて、ここ最近はそれなりに上手に纏められるようになっていた。
何事も経験を積めばそれなりになるものだと自信を持ちはじめたところだった。
(今日はいつもと違うな……)
花町小学校の休み時間。校舎内はざわめきに満ち、一年2組の教室もあちこちでおしゃべりの声が満ちている。
「御手洗、昨日は楽しかったな、またやろうな!」
「うん、またやろうね」
健一とその取り巻きが、美乃理に話しかけていた。
「え? どうしたの?」
女子の吉村さんが話に割り込んできた。
「昨日御手洗とサッカーやったんだ」
「そう、凄かったんだよな。御手洗がゴール決めて……」
健一と秋本が頷き合う。
「えー、あたしも行きたかったな」
「泥だらけになるぞ!」
「そ、そうなの? 美乃理ちゃん」
美乃理がそうだよ、と頷くとやっぱ無理、と反応する。
そして美乃理ちゃんも案外男の子っぽいところあるんだね、と笑った。
別の休み時間の時、さやかと忍とトイレに行った。
さすがに男子トイレと女子トイレを間違えることはなかったが――
さやかと忍が会話している時、美乃理は手を洗ってハンカチで拭いた。
その時、ふと髪が気になった。
髪の毛が邪魔に思たのだ。
「髪の毛切ろうかな……」
と何となく呟いた。
女の子だから髪が長くてはならないという理由はない。
クラスにも新体操教室にも髪が短い子はいくらでもいる。
面倒だから短くしてもいいか……とふと思ったのだ。
「えー! みのりんの髪、綺麗で可愛いのに」
「そ、そうかな。でも洗うの大変だし」
お風呂で洗うことも、朝セットすることも、日中髪が乱れていないか確認するのも、切って短くすれば手が省ける。
「私も……美乃理ちゃんの長い髪好きだな――」
「うーん……」
美乃理も二人に反対されて迷った。
そしてさやかと忍がそっと会話を交わす。
「今日の美乃理ちゃん、ちょっと男の子っぽいね……」
美乃理は今日はスカートではなくて半ズボンを履いてきていた。
「あ、あたしもそう思ってたんだ。どうしたんだろう?」
忍の耳打ちに、さやかも相槌をうった。
放課後、また下校時刻になった時、忍はすぐさま一緒に帰ろうと美乃理を捕まえて声をかけてきた。
帰りがてら、忍は昨日家族とでかけた話をした。おばあちゃんとも一緒に外食をしたらしい。
「美乃理ちゃんと一緒に新体操をやってるって話したらおばあちゃん、凄く嬉しそうに聞いてくれたんだ。一度私と美乃理ちゃんがやってるとこを見てみたいって言ってたよお」
家族と出かけた話を楽しそうに忍は話してくれた。
美乃理も健一たちとのサッカーの話をしたところ、興味深く頷いていた。
だが、一端家へ帰る別れ際。
「美乃理ちゃん!」
忍がその手を強く握った。
「今日のレッスン、また一緒に行こうね!」
「う、うん……もちろんだよ」
忍のいつもより真剣なまなざしに美乃理は驚いた。
そして忍と別れて一旦自宅に戻った美乃理はしばらく後に出発。
花町新体操クラブのレッスン場所であるスポーツクラブの練習ホールに入った。
練習場に入ると、いつもどおり開始前にはレッスンを受ける女の子たちが集まっている。
既に着替えている子、美乃理と同じく着いたばかりの子。
「う……」
美乃理は思わず呟いた。
ほんのちょっと間があいただけだったが、妙に緊張感を覚えた。
新体操、そして他の女の子たちの空間と時間に慣れつつあったが、今日はまたレッスンが始まった最初の頃に気持ちが戻ってしまったようだった。
最初の頃よりは減ってはいたが娘をみつめるギャラリーの保護者大人達。
レオタードに包まれた少女たち。
緊張感と自尊心と、好奇心、と笑顔。
またこの少女たちの世界へ美乃理は戻ってきた。




