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第59章「美乃理(みのり)と放課後とサッカー」③

 男の子や女の子とか関係なく激しくぶつける体と心。さわやかだった。

 ただサッカーボールを蹴り合う、それだけだったが美乃理がこんなにさわやかな気分になったのは久しぶりだった。

 すっかり自分が今どういう状況なのか、どこから来たのか、これからどうしたらいいのか、そんな難しいことはすっかり頭から消えてしまった。

 ただ、サッカーボールを通じて、一人の子供として。今を無邪気に楽しんでいた。


 やがて。


「ハァハァ……」

「ふう……疲れたなあ」


 日が暮れてきて空気が少し冷えてきた頃。

 誰かがゲームセットを宣言したわけでもなく、地面べたや、ベンチに座り込んで、ゲームが終了した。


「よし、ここまでにしようぜ」

「今何対何だっけ……」

「さ、さあ」


 皆正確な勝敗も途中からどうでもよくなっていた。

 何点取ったとかどっちが勝ったとかも、わからなくなるぐらいに楽しんでいた。

 やや美乃理たちの方の側が多いようにも思えたが――。


「そろそろ帰ろうか」


 誰とも無くそんな雰囲気になっていった。

 休憩して体を止めると急に疲れと空腹感を覚えてきたからだ。

 体をめいいっぱいまで動かし続けたことで、疲労というよりはエネルギーを出し尽くしたことによる燃料切れといった感じだった。


「うん、お腹も減ったし……」


 美乃理も空腹を覚えていた。

 その日のエネルギーを燃焼しきったかのように、疲れ切っていた。

 気がつくと、健一の足やシャツは埃と土だらけ。

 自分の靴や足も泥だらけだった。


「いつもより楽しかったな」

「御手洗のおかげだよ」

「そう、本当にびっくりしたよ、あのゴール!」


 口々に皆がみのりのことを誉めた。

 そして美乃理に視線が集まる。


「そんなことないよ、秋本君がパスしてくれたから」


 賞賛されることになれていない美乃理は、恥ずかしそうに逸らした。

 だが、その実とても嬉しかった。サッカーをやって皆に称えられることはみのるの時に心に秘めていた思いだったから――

(健一たちとサッカーをやれたんだ……)

 心の片隅にあったサッカーへの思いがより大きな充実感を与えた。


「どこ行くの?」


 遊び疲れてへとへとに座り込んでいた健一や秋本君たちはやおら、立ち上がりどこかへと向かう。


「トイレだよ」

「俺もトイレ行ってくる」

「あ、じゃあボクも行こうかな」


 自然美乃理もついていった。

 まだ充実感に胸いっぱいに浸りながら――

 向かった先は、公園にある公衆トイレだった。

 夕方になってひんやりと寒くなってきたため、また緊張感が抜けたせいか皆催してきたようだった。


「おい美乃理、こっち男子トイレだぞ――」


 秋本君に注意されて美乃理は気がついた。


「あっ!」


 健一たちの流れに任せているうちに美乃理は男性用トイレに足を踏み入れてしまった。


「こっちですればいいじゃん」


一人がからかうように言った。


「馬鹿、御手洗は女子なんだから、こっちは駄目だろ」


 美乃理は俯いた。

 スカートをはいているボク――

 今この瞬間美乃理はみのるになっていた。

 それも、高校生のみのるではなく、小学生の男の子のみのるに。

 だが再び美乃理は今の自分の置かれている現実に戻った。

―ボクは、なんで女の子なんだろう―

 無意識に一緒に男子トイレに入ろうとしていた。

 すっかり自分が今女子であることを忘れていた。


「おいおい、いくらなんでも自分が女だってこと忘れんなって」

「御手洗?」


 一瞬、健一の抱えているサッカーボールが新体操のボールに見えた。ボールを使って優雅に舞う龍崎さん――

 高梨さん――

 清水さん――


「馬鹿! からかうんじゃねえよ」


 秋本君がやや語気を強めて、からかった男子を咎める。

 その子はばつの悪そうな顔をした。


「御手洗、気にすんなって」


 健一も気を使うように美乃理に声をかける。

 美乃理がからかわれたことを気にしたと思ったのだろう。

 また、ついこの間健一が美乃理を男みたいと口をすべらせたことも引きずっているのかもしれない。


「ごめん、間違えちゃったみたい」


 再び美乃理は顔をあげ、わざと笑ってみせた。

 踵を返して隣の女性用トイレへ向かった。

 一人ぽつんとトイレを出た美乃理に、さっきの忍の言葉が呼び起こされた。


「でも、明日は一緒に新体操のレッスンに行こうね」という忍の声が――



 帰りは、皆で暗くなってきた道を家路と着いた。

 途中まで健一たちと一緒に帰った。

 一人一人「じゃあな」といって別れる。


「御手洗、お前、絶対素質あるって! サッカーやろうぜ。きっとすごく強くなるぞ!」


 途中まで健一と一緒に帰った。しきりにサッカークラブの話をした。


「ごめん、健一。新体操、やめられないんだ。発表会もあるんだ」

「そっか……じゃあさ、その新、体操の発表会っての、頑張れよ。俺も応援するからさ」


 ややがっかりした健一だったが、一方で美乃理の新体操にもまた興味があるようだった。


 美乃理の家からさらに先の自分の家へと去っていく健一を見送った。

 別れ際、一度振り返ったので、美乃理は手をふった。


「また明日な!」

「うん、また明日ね!」


 健一が叫んだので美乃理も叫んで返した。

 サッカーをやる女子……それを目指してみてもよい。

 ひょっとしたら、美乃理がサッカーをやっても悪い理由はないだろう。けれど――

 それは約束だ――

 自分がもし女の子ならば新体操をやる。

 だから今ボクはここにいるんだ。


「ただいま、お母さん」


 家へ帰ると母が既に帰宅していて、美乃理を出迎えた。


「お帰り、美乃理、今日は外で遊んでたのね」


 今日は早く仕事が終わったようで、夕食の準備をしていた。

 母さんに泥だらけの洋服をみせて驚かれた。


「あら、随分汚れて……男の子みたいね」


 やや呆れたような口調だったが咎めることは言わなかった。


「でも怪我しちゃだめよ?」


 脛や脚に傷までとはいわない、微妙に擦った跡があることに気がついた。

 確かに……男の子みたいだと美乃理は思った。


「先にお風呂に入りなさいね」


 美乃理は頷いた。

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