第54章「美乃理(みのり)と厳しく楽しいレッスン」⑥
育成コースのレッスンはキッズコースのレッスンが終わった四十後に始まった。
育成コースは人数も少なく龍崎宏美以外は数名、広々とした中でレッスンが行われる。
宏美と同じく胸や腰のくびれなど、女性らしさが現れつつある思春期の少女の体だが、細く長い手足など、新体操のアスリートらしさがあった。
「み、みんな育成コースなんだよね、あの人たち」
「せんぱい、だよ、あたしたちの」
育成コースの凄みがあった。
ついさっきまでもっと多くの幼い女の子たちがいて歓声を張り上げていた同じ練習場とは思えないほど雰囲気が違っていた。
「ねえ、あの子たち、キッズコースの子? 宏美」
育成コースの一人が、美乃理たちに気がついて視線を送りつつ宏美に耳打ちする。
「ええ、今日見学することになったの」
「宏美は、人気ねえ。あんな小さな子まであなたに憧れるんだから。ま、私もあなたのファンなのは同じだけどね」
「ふふ、こっちへいらっしゃい」
宏美が答えつつ美乃理たちに手招きした。
「きゃあ、龍崎さんがあたしを呼んでる」
麻里は相変わらず龍崎命で、はしゃいでいた。
「全員だよ」
それを呆れた顔を浮かべる忍。
呼ばれた四人は駆け寄った。
育成コースたちが準備体操を止めた。
「は、初めまして……センパイ」
緊張している四人を代表に忍が口を切った。
「今日は練習をみさせてください」
美乃理も続く。
「よろしくお願いします」
亜美も挨拶。
そして麻里は。
「あ、あの……麻里っていいます。あたし、ずっと憧れていました」
思いのほか緊張でしゃべれないのは麻里だった。
だがその分麻里の気合は伝わってきた。
体の大きく、雰囲気もまるで選手の育成コース生たちを前に心がいっぱいになってしまったようだった。
「しっかり見てってね、おちびさんたち――」
宏美たち育成コース生は、その様子を見て微笑ましそうに手を振った。
そして美乃理と忍、麻里に亜由美の4人は隅で練習の模様を見学した。
「違うね……」
「うん」
これが育成コース。
驚いたのは、キッズコースと違い、コーチからの指示がないうちから既に練習が始まっている。
おのおの、練習用のレオタードに着替えて練習場に立ったすぐ直後から柔軟体操を始め、体を慣らした後に、各自技の練習を始める。
一人は、ジャンプを繰り返し、また別の一人は手具を使って練習をする。
それも美乃理たちキッズコースなど及びもつかない難しい技をあっさりやってのける。
動きも滑らかで美しい。
どのレッスン生も、宏美に決してひけをとらなかった。
一番の驚きはコーチの細かい指示が無くとも、各自が自分で考えて練習に取り組む。
最初の挨拶から手足の動きまで何から何まで手取り足取り教えられるキッズコースと違う。
美乃理は思い出した。そうだ、正愛学院の練習もこんなだったと思う。
いちいち顧問の三日月先生の指示を受けなくても練習内容を部長たちが考える。
高梨先輩、清水さんもそうだった。
これが美乃理たちが目指すべき高みなんだ。
本格的な練習が始まると、さらに圧倒される。
キッズコースの時には、終始優しく笑顔だった柏原コーチの表情が違っていた。
失敗しても上手くいかなくても、励ましてくれた優しい人であった。
だが、育成コースでみせるコーチの顔は違っていた。
「各自、発表会に向けて自分の課題に取り組みなさい」
語調も強かった。
「はい、コーチ」
そういわれると細かい指示を受けるまでも無く育成コース生各自が再び練習を始める。
宏美は、ボールを使いながら体に滑らせたり放り投げ、ジャンプをした後に体でキャッチする。
高度な技の連続に美乃理たちは目を奪われる。
美しい……。
美乃理は思った。
そして美乃理は今その理由が明確にわかっていた。
ただ技をするだけではなく、見られることを意識した微妙な体のひねり。リズム、1つの動作にさらにいくつもの要素が含まれている。
それらが組み合わさって優しさや、温もりが伝わってくる。
宏美は自分の世界を表現している。
それを感じ取った美乃理は感動すら覚えた。
けれどもコーチの反応は違った。
「滑らかさが足りないわ」
「もうすこし体を反らせた方がいいわよ」
「回転の軸がぶれているわ」
「もっと早く! テンポが遅れてる!」
「ジャンプが足らない! もっと大きくジャンプしないと駄目!」
「あなたの力を出し切れていないわ……動きが鈍い」
「あなたらしさがでていないわ」
パンシェ? ルルべ? シェネ?
美乃理にはわからない言葉も飛びかう。
「あれは、バレエ用語よ」
麻里が得意げに解説した。そっか、麻里はバレエもやってたんだっけ。
「たしか……回転は、新体操で基本で重要な技。演技の中に組み込まなければいけないのよ」
したり顔で麻里が説明する。
そういえば、同じ動きをキッズコースの練習でもやっていた。
何度も何度も足を器用に使って回転する技だった。
あれは、ここで生きてくるんだ。そのためにつま先を鍛えなさい、美しく伸ばしなさいと何度も言われた。
一方の指導を受ける宏美。
「はい! コーチ!」
「すみません!」
「ありがとうございます」
「わかりました」
矢継ぎ早に飛ぶ指示や指摘。強く叱咤する場面もあった。
けれども、それに動揺する素振りもなく、あくまで冷静に答え、技の改善を図ろうとする。
他のレッスン生も厳しいコーチにまったく臆する様子も無く、練習を続ける。
穏和で優しい面しか見ていなかったコーチの厳しい練習姿勢、そしてそれを受け止める宏美の真剣な眼差し。美乃理は驚いた。
育成コースのレッスンには、キッズコースの練習にある遊び要素や笑顔も笑い声もない。
けれども練習中の空気はとても清清しかった。
宏美のはつらつとした顔に胸を打たれる。
表情はとても凛々しく、笑みさえ浮かべている。辛そうな表情は微塵も見せない。
「すごい……」
「これが育成コースなんだ」
四人は皆息を呑むように見入った。
誰もが真剣で、なれ合いも、甘えも無い真剣勝負の場だった。
高い技術の世界だった。
美乃理はゾクゾクした。
もし新体操を続けるとしたら、自分の目指すべき場所がかいまみえたような気がした。
小さな細い脚が少し震えていた。
自分は今目の前のあの子たちと同じ少女である。
ただ美しいと見とれるわけにいかない。
同じ場所、同じ練習場に立っている。
稔ではなく、今は美乃理という少女。
同じ見学する立場でもこうも違ってみえた。
少女になったから――レオタードを着たから新体操を始めたわけではないんだ。
身が引き締められる。
女の子になって新体操を始めた。それで何かが達成されたわけじゃない。
まだスタートに過ぎない。




