第53章「美乃理(みのり)と厳しく楽しいレッスン」⑤
レッスンが終わり大半の子は迎えに来た親に手を引っ張られて、あるいは仲良くなった子同士で帰っていく。
練習場からホールへ出ると、スポーツクラブの関係者や会員の大人たちが行き交っている雑踏だ。
いつも美乃理も忍と一緒にその流れに乗って帰っていくのだった。
「あ、お父さん、お母さん!」
忍が両親を見つけて手を振った。忍のお母さんが迎えにきたのだ。
大半の練習生は両親かどちらかが迎えにくる。両親とも忙しい美乃理は忍と一緒に帰ることにしている。
「どうしたの? 美乃理ちゃん、帰ろうよ」
手を握ってきた。そして、いつものように帰ろうと誘ってくる。
しかし……。
危なかった。練習の昂揚に酔いしれて、大事なことを忘れそうになっていた。
「ご、ごめん。シノちゃん。そ、その……この後の練習もみようかと思って」
美乃理は小さな女の子たちが去った練習場をチラリ、と見た。
「龍崎さんに誘われてるんだ」
視線の先の練習場には既に入れ替わるように、別のレオタードを着た少女たちがいた。
キッズコースの子たちよりも一回りも二回りも体格が大きい少女たちであった。大きいだけでなく女性らしい体つきである。
その中に、青いレオタードを着て既に準備体操を始めているレッスン生、龍崎宏美がいた。
宏美の方もおそらく美乃理をちらり、と見たように思えた。
「え? そうなの?」
驚いたように目を丸くする忍。
一緒に帰れず、がっかりしたらどうしようと美乃理は心配した。
けれども、忍は一瞬だけ考え込むように視線を美乃理に注いだ後、にっこり笑った。
「じゃあ、私も見たい!」
そして逆に美乃理を驚かせた。
「ええ?」
「あたしも龍崎さんのレッスン見たかったんだ、お母さんにちょっと待ってってお願いしてみる」
握った手を一旦離し、既に迎えに来ていた姿が見えていた忍の母親のところへ駆け寄っていく。
会話の様子は聞こえないが、残って見学をしたいことを伝えているようだった。
美乃理や、練習場の方に指を指しながら説明する忍に聞き入る忍の母。
やがて嬉しそうに忍が笑顔で飛び跳ねた。
どうやらOKが出たようだった。
「家でご飯作らないといけないから、途中までって。それならいいって!」
戻ってきた忍は美乃理の手を握った。
「じゃあ一緒に二人で見学をしよう……か?」
龍崎宏美に忍も見学する件を伝えようとした時だった。
「あたしも見学する!」
「うわ! ま、麻里ちゃん?」
突然入った横槍に美乃理はびっくりした。
「ね、いいでしょ? 御手洗さん」
すぐ横に立っていたのは、奥の方で黒いスカートに子供用の白いブラウスに着替えて、とっくに帰っていたはずの麻里だった。
どうやらこっそり美乃理たちの様子を見ていたようだった。
そして美乃理と忍の二人が龍崎宏美のことで集っているのを見て、寄ってたのだ。
「いいでしょう?」
もちろん拒否を許さい口調である。
おそらく駄目だと言ったらどんな騒ぎ方をするかわからない。
忍も目で、しょうがないねと言っている。
「う、うん、いいよ? でも遅くなっちゃうから、麻里ちゃんのお母さんが許してくれないと……」
「大丈夫よ。今ママには、言ってくるから」
何の迷いもなく、そう言い切った麻里はすぐに身を翻した。
「朝比奈さん、美乃理ちゃんの様子しっかりみてるんだね」
母の許しを貰うべく一旦麻里が離れると、忍がそっと美乃理に耳打ちした
「あれが、麻里のお母さんか……」
離れた場所からみる麻里のママは、やや年を取った感じの女性だった。おそらく美乃理や忍の母よりも10は上のようにも思われた。
身に着けているコートやバッグも、どこかのブランドか美乃理にはわからないが、おそらく高級品だろうということはわかった。
ただ逆に庶民的な雰囲気も感じた。
龍崎宏美が漂わせている、住んでいる世界がまるっきり違う気品とは違う。
髪を茶色で染めているのは、単にファッションというだけでなく、おそらく白髪を隠すためとも思われた。
麻里はその母にややおねだりするような視線や仕草をする。忍と同じくどうやらお願いしているようだ。
困ったような顔をしたが、麻里の母も頷いた。
やはりOKを貰えたようだ。
「じゃあ、これでいいわね?」
戻ってきた麻里は、これで文句はないだろうとばかりに美乃理に報告する。
「う、うん」
そうこうしているうちにもう一人加わった。
「何々? 龍崎さんのレッスン見学するの!? あたしも見たい!」
まだ残っていた神田亜美も話しに乗ってきた。
総勢四人。美乃理、忍、麻里、亜美。
この時の四人が後々までこれからの新体操の運命を共にする間柄になることは、誰も予測していなかった。




