第52章「美乃理(みのり)と厳しく楽しいレッスン」④
「ありがとうございました!」
レッスンの最後に花町新体操クラブキッズコースの少女が集まって礼をした。
「今日はこれでおしまい。また来週ね」
コーチの柏原が少女たちにバイバイと手を振る。
「はい、またお願いします」
周りの子が一斉に返事をするので、美乃理も返す。
解散になると、一斉に帰宅の準備が始まる。すぐ親元へ戻っていく子もいれば、まだしばらく練習の余韻に浸ってその場にいる子がいる。
「今日は難しかったねえ」
「家に帰ったら練習しなきゃ」
着替えはスポーツクラブの女性更衣室まで行かずに、その場で着替えることも多かった。
美乃理もその場で着替えを始める。
練習の間着ていたレオタードを脱ぐ。
ネックの部分を大きく引っ張って肩を出す。そして上半身が出た状態になったらそれを引きはがすように、腰まで下げる。
伸縮性の強い生地は、伸びて形が崩れることはない。
一瞬だけ美乃理は下着姿になった。
体つきも子供でまだ男の子と大差ないとはいえ女の子ではあることの自覚はある。
すぐにジャージズボンを履いた。
踵のゴムひもを外しハーフシューズを脱ぐと、ふたたびつま先に床の冷たさが伝わってくる。
ピカピカだったハーフシューズは早くも激しい動きで擦れ色が変わっていた。
美乃理のデリケートな少女の足を守ってくれたことの証だった。
(あれ? これってどうやって洗うんだろう……)
疑問はさて置いてとにかくバッグの中にしまう。
靴下を穿き、靴を履く。
ジャージに着替えると、心の中の熱が引いていくのがわかった。
レオタードに包まれているときの昂ぶる感覚も、ハーフシューズを履いた足で床を踏む感触もなく、素の自分に戻っていく。
素になると、さっきまでリボンを振り、体を躍らせたレッスンが夢のようにも思われた。
まだまだ今の美乃理としての生活になれたわけでもなく、レオタード着ることも、その姿で舞うことに恥じらいもなくなったわけではない。
でも真剣に打ち込めるのは、忍や亜美、そして同じレッスン生の子たちのおかげだ。
共有している。共に分かち合う。
美乃理の瞼にかつての光景が蘇える。高梨さん、清水さん。練習を終えた時のあの清清しさはあの時の女子部員達と同じ
(ボクは今、あそこにいるんだろうか……)
とても暖かく清清しい。
最初の頃の緊張感は今は和らぎ、今は一体感の昂揚が覆っている。
(なんだろう、この心地よさ……)
レッスンは大変だった。でも気持ちが晴れ晴れしている。
ボクは、あの時の先輩と同じ顔をしているのだろうか。
新体操をやっている少女として同じものを持ってるのだろうか。
心の中で呟いた。
「美乃理ちゃん、時々目を閉じてなにかつぶやいているけど、何をしているのぉ?」
既に着替えを済ませた亜美が聞いてきた。
「何か思い浮かべてるのかな?」
(す、鋭い……)
亜美の質問に美乃理は、ややたじろいだ。
「し、失敗しないようにおまじないをしてるんだ」
「へえ……どんなふうに? いいおまじない? 美乃理ちゃん、教えてよ。あたしも何度もミスしそうになちゃって。発表会で失敗したくないもん」
「そ、それは……」
答えに窮した。まさか男の子だった時のことを思い出していた、とはいえない。
「ちょっと、御手洗さん、本番になったら失敗しないでよぉ」
近くにいた麻里がこっそり聞いていたのか口を挟んできた。
「う、うん……失敗しないよ、麻里ちゃん」
二人のやりとりに一瞬周りの同じレッスン生の子たちがおしゃべりを止めた。
麻里と美乃理はやはり、このレッスン生の間では注目されているのだ。
「発表会でミスしたら、あたし許さないから」
そして、いよいよ発表会が近づいている。
多くの人の前で演技する。
父や母の前で、忍の両親の前で。そして知らない人たちの前で。
そう思うと胸が高鳴った。
美乃理は、こっそり気付かれないように再び目を閉じた。
正愛学院新体操部の先輩たち、そしてまだ新体操をみることしかできなかった自分――稔の顔を。
美乃理にとっての発表会は、さらに広がる新しい世界でもあった。




