第51章「美乃理(みのり)と厳しく楽しいレッスン」③
「御手洗! お前はどうだった?」
花町光栄進学塾の教室で、返ってきた模擬試験の結果表を見ていた稔は、近くで声をかけられて振り返る。
そこには男子たちが集まって結果を持ち寄って見せ合っていた。
塾では多少は知り合いもできていた。
中学受験専門の塾だったので、自然と受験の話題が多かった。
カードやゲームのことを話すこともあったが、大抵はあそこの学校の傾向はなんだとか、進学実績やら偏差値といった話題ばかりだった。
特に模擬試験の結果が返ってきたときには盛り上がりを見せた。
当然成績の良いのが、一番注目される。
「う、うん……」
稔は持っていた結果表を素直に見せた。
「すっげー御手洗は全部Aかよ!」
差し出された紙を手に取った黒縁眼鏡の男子は、他の塾生に聞こえる声で叫んだ。
おお、という感嘆の声が漏れた。
その志望校が書かれた一覧にはAが並んでいた。
この時の模擬試験では稔は調子が良かったのだ。
「うちから成朗中に行くのは葛西と御手洗だな!」
羨望と畏敬の視線。
誇らしくはあった。
受験にやりがいが全く無かったわけではない。
良い成績を取った時は嬉しかった。努力の結果だと思うと頑張る気になった。
けれども……。
塾が終わった後、暗くなった花町ビルから三々五々散っていく。
塾の帰りの送迎バスに乗って窓越しにみる景色を眺めた時、窓に映った疲れ切った自分の顔に気がついた。
ふと美乃理の胸にあの時の夜の塾の光景が蘇って心で呟いた。
「はい、止め!」
柏原コーチの声に美乃理の意識は、戻される。
激しくうごめく色とりどりのリボンが周囲を埋め尽くしている。
レッスンを受ける子たちは、その動きを止め一斉にほっと息をつく。
体を動かしながら新たにリボンを振る動作が加わり、練習は一段複雑で難しくなった。
今日のレッスンはこれまでと比べて特に大変だった。
「はぁはぁ……あたし、疲れちゃったよぉ」
忍はスタミナが切れてしまったのか、汗がびっしょりで息もきれかかっていた。
「ふう……はあ……」
美乃理もレッスンで初めて、疲れを感じた。
腕が重い。
必死にリボンを振ると、腕に負担がかかる。
最初は軽く感じたリボンのスティックが、今は重く感じられた。
「今日はここまでにしましょう」
よく運動したからと、最後は整理体操もかねたストレッチだった。
「御手洗さん、今日も頑張ったね」
隣の女の子が美乃理の方を見て笑った。
「そ、そうだね」
忍とも亜美とも麻里とも違う子だった。美乃理と同じピンクのレオタードを着ているおさげの子。
この子の名前なんだっけ。後で聞かないと……。
その隣の子もそのまた隣の子も、皆顔が輝いていた。
それを見て、大変だった練習を終えた充実感と一体感が美乃理の胸に広がっていった。
そして美乃理は最後の柔軟体操をしながらふと思い出した。
稔が受験勉強で得られなかったものはこれなのか。
受験にやりがいも誇らしさもあるにはあったけれど、足りなかったものは、これだ。
(共に分かち合う仲間)
この新体操を通じて初めて気づかされた。
そうか、これが三日月先生が言っていたボクに欠けていたものの1つなのか。
美乃理の胸にあの日の夜の塾の光景がよみがえった。
(……あの時のボクは結局一人だったんだ)
結果を求めてそれに向かっていく。それだけではダメだった。
良い成績を取ること、合格することが全てになってしまっていた。
ボクは間違っていた。




