第5章「美乃理(みのり)と女子トイレ」
楢崎忍
彼女は稔が花町小の小学生だった時、同学年にいた女子だった。
花町小で過ごした6年間、何度か同じクラスになったことがある。
それだけの間柄で、おかっぱ頭で、ぽっちゃりしてて、大人しめな子。それ以外の印象はなかった。
外見のために、一部の男子児童からは、からかわれたりもした。
でも実際は、肥満と言うほどではなかったし、そのふくよかさは、可愛さがあったと記憶している。
卒業間近の時期には成長の早い女子よろしく身長が伸び、背の小さい男子よりも大きくなったし、馬鹿にするのもなくなっていた。
特筆すべきは、彼女は誰に対しても優しかった。
のけ者にする児童はなく、困ったことがあれば楢崎さんに相談していた。
ほとんど会話を交わしたことはなかったが、一つの印象深い思い出があった。
2、3年生の時だったか、運動会の練習時、かけっこをした時。
5人ずつ、運動場のトラックに設けられたコースを走るやつだ。
稔は一着でゴールした。
「すっごーい、稔君って足速いんだあ、いいなあ」
ゴールして息を切らしている時、なぜかこの時は楢崎忍が珍しく寄ってきた。
事前に、やった女子のかけっこでは、楢崎忍は、3位だった。
「稔君、凄いわ。意外。あんまり外で遊んでるのをみたことなかったけど、建一君に勝っちゃうなんて」
ちなみに建一は、稔の幼なじみ。
「楢崎さんの方こそ、3位っていいじゃん」
楢崎忍は、運動が苦手で、いつもビリのイメージがあったが、そうでもないようだった。
「うんーあたしだって、運動もやってるのよ? これでも」
「ふーん」
ねえ、運動って何をやってるの? とは聞けなかった。
あのころの稔はそういうことに無関心だった。
ついでにいうと、運動は小さい頃は得意な方だったけど、あまり鍛えなかった。
そのうち、野球にしろ、サッカー、バレーにしろ、本格的に部活などが始まると、練習で上達する生徒がでてきて、いつの間にか運動面では目立たなくなっていた。
両親から通うように言われた進学塾が忙しかったせで、稔はますます運動には興味を失った。
その楢崎忍が、何故か今目の前にいる。
記憶に残っている小学生の姿のままで――本当なら忍も、今は女子高生になっているはず。
「もう、探しちゃったよ、美乃理ちゃん、先に帰ったかと思っちゃった」
親しげに、話しかける楢崎忍だったが、美乃理は呆然としていた。
目の前にある鏡、そこに映る自分の姿は、どっからどうみても小学一年生の自分の姿。
そして、楢崎忍の黄色い帽子は、小学一年生が付ける帽子。
つまり、今は10年前。
(つまり、ここはボクが一度卒業した花町小学校。そしてボクは、女の子になってるというの?)
いつの間にか、楢崎忍が、顔をのぞき込んだ。
「みのりちゃん、どうしたの? 気分が悪いの? さっきからずっと深刻そうな顔……」
「い、いや……」
「あ、そうか、美乃理ちゃんトイレに行ってたんだ」
ポンっと手のひらを叩き、合点が行ったように頷いた。
「ちょっと待って、あたしも行ってくるから、美乃理ちゃんもここで待ってて」
ジャンパースカートを揺らしてトイレに入ろうとする。
そこで美乃理は思い出した。
さっき、楢崎さんに、呼び止められてできなかった大事なことを思い出した。
大事なこと、自分の大事な部分がどうなっているか……。
「そ、その、実はボク……もまだなんだ、楢崎さん」
一瞬妙な顔つきになった。
「え? まだだったの?」
「う。うん……」
「じゃあ、一緒に行こう、美乃理ちゃん」
一緒にトイレへ踏み入れようとする。
「ちょっと、美乃理ちゃん!」
一瞬強い口調になったのでビクっとした。
「そっち、男子トイレだよ」
さらに楢崎忍は、怪訝そうな顔になった。
「え? あ……そう……だっけ」
勝手が違いすぎて、稔はさらに頭がパニくっていた。
女子トイレに入るのは人生で初めて――。
足がどうしても、恐る恐るになってしまった。
当たり前だが、女子トイレの中は個室が整然と並んでいるだけ。
第一印象は、無味乾燥な光景だった。
「どうしたの?」
楢崎忍は、ごく自然に個室トイレの戸を開いて、中に入る。
そして、ガサゴソと中で身支度する音が聞こえた。
もう誰にも邪魔されない。じっくり確かめよう。
意を決して、美乃理も個室トイレの戸を開いた。
そして、ガチャっと鍵をかけた。
もう誰にも邪魔はされない。
美乃理は注意の意識を穿いているスカートの、その中のものへと向けた。
実は、ほぼ確信しているー
さっきから、股間に妙な感覚がある。
すっきりしたような、でもなんとなくせつない感覚……。
あれがない?
そして、別の何かがある?
その何かを確かめないと……。
ゴオオォォォ、と隣で水を流す音が聞こえた。
美乃理も一応和式便器横のレバーを押して、水を流しておいた。
同じように
そして……ゴオオォォォという流水音
美乃理は、自分が穿いている赤いスカートの裾を左手で摘み、そっとめくった。
そして、右手を股間へと。
そして美乃理はついに、その証拠を確認した。自分の身に起きた現実を……。
女である証が自分の体に。
「あああああ!」
さすがに予感があったとはいえ、それをはっきり知った時は衝撃だった。