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第49章「美乃理(みのり)と厳しく楽しいレッスン」①

 その日もみのるは、書類の管理や器具の整理――を終え、体育館で新体操部の練習風景を眺めていた。


 練習の見学も顧問の三日月から命じられた仕事だった。

 男子禁制で本来立ち入ることができない練習場へ特例として許されている。

 部員の子達は、嫌がる様子は無かった。それどころか、むしろみのるが恐縮するくらい受け入れてくれた。

 今日も正愛学院新体操部が専用に使っている体育館の中の練習場に入った途端に、既にジャージに着替えてストレッチをしていた部員たちから盛大な挨拶を受けた。


「あ、御手洗君、こんにちは」

「今日もよろしくね!」


 細い身体とは思えないぐらいに大きな声が練習場に響き渡る。


「あ、こ、こんちには……」

 

 小学生以来ほとんど男子校状態の環境にいたみのるにとっては、女子部員たちに話しかけられることには戸惑いがあった。

 だが挨拶を返すぐらいには慣れた。

 そして端で適当に椅子などに座りながら練習を見守る。


 みのるがよく見入っていたのは一人の女子部員だった。

 清水敦子。

 みのると同じ学年であり、その2年生の中ではエースといってよい存在だった。


 みのるが部にやってきた当日にいきなり「君って童貞?」とか聴いてきた子だった。

 それだけでなく、その後もやたらと見学しているみのるに絡んでくることが多かった。

 見学するみのるの腕を引っ張って、「あんたも、そんなとこで見てないでこっち来なさいよ」と女子部員たちのとこへ無理やり連れて行こうとしたりするのはしょっちゅうのこと。


「ふふん、いいでしょ?」


 とわざわざレオタードのスカート部分をヒラヒラさせてみのるにみせつけることもあった。


「な、何するんですか」


 その敦子の胸、膨らみ、括れなどが目を逸らしたみのるの瞼にまだ焼き付いている。

 そんなみのるがどぎまぎする様子を見ると、敦子は


「どう、元気になった?」


とさらにからかうのだった。

 学年一、二の美女と噂される外見のイメージとは裏腹に奔放なところがあり、妙な雰囲気のある女子部員だった。

 けれども、練習はまじめだった。

 朝練、放課後には誰よりも早く練習場に入り、練習に取り組んでいた。


 彼女の演技はとにかくダイナミックで、圧倒される。

 身長はみのるよりやや大きいくらいで、女子の中では大きいほうだった。

 ただ大きいだけではなく、スタイルも抜群だった。胸もお尻も女性らしく膨らんでいるが、その割には腰はほっそりしていて、脚も長い。

 生徒の多い正愛学院でも屈指の美女とも言われていた。

 そしてたいてい細くて控えめな体型の方が有利とされる新体操ではハンデを抱えていた。

 だが体格のハンデなどはものともせず、舞台を華麗に舞う敦子のその演技は、回転、ジャンプ、捻り、1つ1つがとてもダイナミックで他の部員にもない魅力を持っていた。

 みのるは密かに楽しみにしていた。

 リボン、ボール、フープ……華麗に大胆に舞う彼女の姿に……。



「どう、みのる君? あの子気になるの?」

「あ、せ、先生……」


 そんな敦子の練習を見ていたみのるに三日月が突然話しかけてきた。


「彼女の演技、どう思う?」


 みのるがあまり見入っているから注意されるかと思ったが、そんなことではなかったようだ。


「はい、その……凄いです」


 みのるにはそれぐらいしか浮かばなかった。


「どこが凄いと思う?」

「そ、その……」


 みのるは、口ごもった。華麗な動き、すばらしい技、だけどそれ以外の言葉が浮かばない。


「ごめんなさい今のあなたには、難しい質問だったわね」


 返答に困っていたみのるの様子に、三日月は苦笑をした。


「これは実際にやってみないとわからないことだけどね」


 今度は、僕にも見なさい、とばかりに別の部員を指さした。


「新体操は美しさを表現し、競う競技。ただ技をきめればいいというわけではなくて、芸術性や、表現力を問われるの」

「は、はい……」


 説明されたのは、新体操が他の競技と一線を画す美しさについて。

 美しさが無いと駄目である。

 一つ一つのスキルが要求され、さらにそれを組み合わさったとき、初めて美しさを表せられるのだという。


「その子が辿ってきた過去、思い、夢。1つの演技に多くのものを込めていて――そうね、その子の作る世界があるのよ。いま、あの敦子ちゃんの演技に引かれたのは、あなたがあの子の表現する世界に引かれたからなの」

「世界……」

「そう、世界。特に彼女に特徴的なのは、女性の繊細さとはまた違う力強さ、ダイナミックさ……独自の世界があるの。敦子ちゃんの演技にあなたが引かれたのも偶然ではないのかも、ね……」

「え?」

「いいえ、こっちの話よ」


 三日月は、清水敦子から目を離し、みのるへと目を向けた。


「そして自分の世界を創る――これこそが、あなたに必要なものなの」


 単純に学校の成績だけを追い求めてきたみのるにとって途方もないものだ。


「きっと他のスポーツもそうだけど――特に新体操は、練習をがむしゃらにやっても上手にならないし、美しくならない。常に自分自身を見つめなければいけないわ。何を魅せたいのか、表現したいのか、自分は何を求めているのか――」

「大変なんですね……」

「ええ。そして私はね……新体操にはあなたにとって欠けていたもの、必要なものがすべてあると思うの」


 ただがむしゃらにやるのでは駄目。

 みのるは思い浮かんだ。がむしゃらに突き進んだ受験、勉強の日々。同じ間違いを犯さないために。

 あそこに僕のないものがあるというのか。まだその言葉に実感はなかった。

 美しさを表現することの素晴らしさは知ることはできない。

 美しさを表現するということ。みのるにとっては、縁の無い話にしか思えなかった。










 そして今。


 場内に響く手拍子に合わせて、まだ幼い少女たちが皆一斉に片方の脚を軸にして体を回転させる。

 その勢いにレオタードのスカートがふわっと捲くれあがるが、それぐらいは気にしない。

 もう何度もレッスンで繰り返し練習される動作だった。

 簡単そうに見えるが、綺麗にするのは難しい。

 最初の内はほとんどの子が、ぶれたり、よろめいたりする。コツを覚えるまでは体が上手に動かず一苦労だった。

 けれども当初バラバラだった動きは、回を重ねるごとに徐々に揃ってきていた。

 小学校低学年の女子児童が中心のキッズコースは無理に難しい技を教わったりしない。それでもきつい動作も含まれていた。

 回転の次は、片足をあげてのバランス姿勢、そして二人1組で行う柔軟。

 

「さあ、みんな、次はバーレッスンよ」


 柏原コーチが声を張り上げ指示を出す。

 レッスン中の女の子たちは、一斉にバーに掴まった。

 バレエにもある綺麗な姿勢と足使いを覚えるためのメニューだった。


 その中に美乃理もいる。

 バーに掴まって、周りの少女たちと同じく指示された動きを小さな体をめいいっぱい使う。

 他の少女と同じく美乃理の体も、小さい。まだ不安定だ。汗がにじんだ。


「ほら、美乃理ちゃん、テンポがずれてるわよ」

「す、すいません」


 駄目なところを厳しく指摘される。

 自分では気がつかないところはいくつもあり指摘されるたびに、一つ一つ修正していく。

 何度も何度も同じ動作を繰り返す。しつこいぐらいに何度も。

 脚を伸ばしハーフシューズに包まれたつま先に意識を込めた。


「でも今日の美乃理ちゃん、今足がつま先までしっかり伸びていて綺麗よ」


 コーチはしっかり褒めてくれた。

 みんなから褒められたことで、自覚が芽生えた。

 綺麗な足だというのなら、それをちゃんとみせたい。


「みんな。美乃理ちゃんを見習いなさい」

 

 コーチの呼びかけにみんなの視線が集まる。わらわら駆け寄ってくる子もいる。


「美乃理ちゃん、足が綺麗」

「ほんとう、もっとみせて」


 皆手を止めて片足をあげた状態の美乃理に見入って褒めたたえた。

 この間から履くようになったハーフシューズでより美しさが映えるようになったせいもある。


「もっと誇っていいのよ。美乃理ちゃん」


 柏原は囲まれている美乃理にささやいた。

 だいたいの女の子は褒められると喜ぶのだが、美乃理は戸惑っていて今も目を白黒させている。

 不思議な子だと柏原は思う。


「美乃理ちゃんは元々足が細くて膝や足首も歪んでなくて、すらりと綺麗なのよ」


 そして、後から思い返すとこの時から、もう柏原コーチは今から素質を見抜いていた。

 新体操をやる上では足の美しさは重要な要素。そしてどうしてもそれは努力ではどうしようもない生まれつきのものでもあった。

 美乃理にはその美しい足という素質が備わっている。


「あ、あはは……」


 足を伸ばしてあげるポーズのままかたまっている状態の美乃理。

 どう反応したらいいかわからず、愛想笑いしかできなかった。褒められるのは悪い気がしない。しかし自分が女の子たちから羨ましがられることへの戸惑いはこの後いつになってもなかなか慣れることができなかった。




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