第47章「美乃理(みのり)と宏美(ひろみ)と新体操」①
「一緒にお話しましょうよ」
そう言って現れた龍崎宏美に美乃理は、驚いた。
龍崎宏美は言うまでもなく花町新体操クラブ育成コース生。
クラブでトップの力量を持っているとされ一番の期待されている。
何かを感じていて、前々から直接話してみたいと思っていたが近づけなかった。
だがその龍崎宏美が、向こうからやってきたのだ。
「い、いいんですか?」
「もちろんよ。さあ」
自分の下に来るように促され、美乃理は緊張しつつも頷いた。
歩道を横に並んで歩く。
「前から直接あなたと話したいと思ってたけど、なかなか機会がなかったから、今日は直接来たのよ」
クラブでチャンスを伺っていたが、他のキッズコースの子たちに囲まれてしまって、近づけなかったという。
それだけ宏美はクラブの星だった。
クラブ生の憧れ、尊敬だ。
「龍崎さんも、ですか?」
「ええ。そうよ。美乃理ちゃんも話たかったのでしょう?」
美乃理は改めて龍崎宏美の姿を見た。
横で歩く龍崎宏美は、名札は無かったが麗光大学付属の小学校の制服だった。胸に校章を象った刺繍が施されている。
一目で育ちの良さが見て取れ、すれ違う人もどこのお嬢さまか、と思うだろう。
身長も美乃理のすぐ横にくると大きかった。話しかけるには見上げないといけない。背負っている赤いランドセルも、今の龍崎宏美のは背負うには小さく感じた。
昔、男子の稔が小学校に入学した時、五年生、六年生がとても大きく感じた。
なんて大きいんだろう。怖い。
自分が六年生になったらあんなに大きくなれるのだろうかと。
(付け加えると、稔が6年生になったとき、大きくなった実感は感じなかったのだが)
そう、今の美乃理はあの時の感覚をもう一度経験しているのだ。
だが今感じているのはそれだけじゃない。今、相対している龍崎宏美はもっと他の色々な部分が成長している。
ただ体が大きいだけじゃなく細く滑らかで綺麗だ。
胸の膨らみ、腰の括れ。女になり始めている。思春期の少女らしく成長している体だった。
今の自分は本当にこの人と同じ女性なのだろうか。
美乃理はそんなふうにも思ってしまった。
「美乃理ちゃんは、この先の住宅地にすんでるのでしょう?」
「は、はい……龍崎さんは?」
「わたしはもっと離れたところ……だから車で送ってもらっているの」
二、三会話を交わした後、美乃理は一瞬黙ってしまった。
前々から龍崎宏美に対して美乃理が持っていた疑問があった。
言いたかったことはいっぱいあるはずなのに美乃理は声が出ない。
今の龍崎宏美に、美乃理と同じものを感じない。
あまりにも自分からかけ離れた深層の令嬢、そして天才新体操少女。
やっぱり自分の思い違いかもしれない。
だって……ひょっとしてボクと同じ男子だったのですか? などとても聞けなかった。
龍崎宏美は誰もが憧れそうな理想の女子だ。
「ああ、そうそう、自己紹介がまだだったわね」
まだ戸惑っている美乃理を置いて、先に口を開いたのは龍崎さんだった。
赤い唇が動いた。
「あ、あの……」
「私は龍崎宏美、もう知ってると思うけどね。育成コースのクラブ生なの」
「ぼ、ボクは……いや、わたし……」
あわてて出そうになった男言葉を引っ込めた。そして自己紹介をした。
「み、御手洗美乃理、今はえーっと、七歳で、あれ違うかな。誕生日はまだ先だからいいのか……家族は父さんと母さんの三人で」
たどたどしく思い出しながら、自己紹介。
自分の年齢も上手く言えない。恐る恐る龍崎宏美をみてみると、その美乃理の様子をおかしそうに笑みを浮かべていた。
「ふふ、花町小学校。ふうん一年2組なのね」
美乃理の胸に着けている名札をのぞき込んで言った。
「あ、はい……そ、そうです」
一年2組、御手洗美乃理とかかれた胸の名札を龍崎に指差して示した。
「ふうん、じゃあ――」
龍崎はそこで一瞬間をおいた。
「……前の名前は『みのる』だったのかな?」
はっと顔を上げた美乃理。宏美はまだ笑み浮かべていたものの、美乃理をじっと見据えていた。
「!?」
言葉が出なかった。
あっさり真実を告白してきた。
だが、美乃理の驚きの表情が答えを知らせたようだ。
「やっぱり、あなた……そうなのね?」
対して宏美さんは、あまり驚きという表情ほぼ確信していたようだった。
「……じゃ、じゃあ龍崎さんも……」
「宏美でいいわよ?」
そして龍崎宏美は美乃理の頭をそっと撫でた。
「私もあなたと同じなの。私が以前呼ばれていた名前は龍崎 宏。それも麗光大学付属高校の正愛学院の生徒ですらなかったのよ」
歩いているうちにいつしか通学路の途中にある公園にさしかかった。
話が深いところまで差し掛かったので、美乃理と宏美の足は公園の中へと向かった。
そして宏美と美乃理は脇の公園のベンチに座った。
ここは良く学校からの帰り道、途中でおしゃべりに花を咲かせた花町小学校の女子児童がおしゃべりにさらに花を咲かせるベンチだった。別名特等席。
下手をすると夕日が差すまでしゃべっている。
「わかる。ここに来るまでに、美乃理ちゃん(あなた)にもいろいろあったのでしょう。辛いことも悲しいことも……」
「は、はい」
宏美がやっぱり美乃理と同じ境遇にあると知れたことで、自分が見てきたことを決壊させるように伝えた。
受験に疲れ果てた学生生活、万引きに手を染めたこと。
学校に事が知れたが、停学処分は免れた。生活指導担当の三日月は寛大な処分を下す代わりに、新体操部のマネージャーを命じられたこと。
そして……最後に連れて行かれた部屋。目が覚めたら稔は美乃理になっていた。
「そう、じゃあまだ1月も経ってないのね。よくそこまで頑張ってるわね」
「ありがとうございます。でも……なんでこんなことになったのか、本当に今のままでいいのかもよくわからなくて……」
「それでいいのよ」
宏美は美乃理の頭を撫でた。そして宏美も美乃理に自分の身の上を教えてくれた。
「私は今はこう見えても、不良少年だったのよ――」
高級な革を使っていると思われるランドセルを膝の上に抱え宏美は語りかける。
よく手入れされていて美乃理のランドセルと同じく鈍い光を放っている。
「沢山の人を傷つけたし、自分も傷つけた。どうしようもない男子だった」
あまり美乃理に深刻にとらえて欲しくないためか、痛い思い出をあえて明るく語りかけた。
母を亡くし、その後にやってきた継母とうまくつき合えず、ぎくしゃくした関係ーー父は子育ても使用人任せ。
いつしか家は居づらい場所になった。
複雑な家庭の事情は、宏美の心を荒ませ、中高生の頃には不良グループともつき合うようになった。
喫煙、飲酒、深夜の彷徨――もやった。
満たされない心の飢えを癒すために、とにかく周りの者に反抗し噛みつくばかりの日々を送っていた。
「でも結局、名門の学校、良家の出だから不良達も便利、役に立つ奴と思われただけだったみたい」
真に仲間と言えるような存在はなく、孤独は益々募るばかりだった。
「居場所は結局どこにも無かった……」
そんなある日、ある喧嘩がきっかけで正愛学院の職員を通じ三日月に出会ったという。
宏美は、亡き母が正愛学院の生徒でしかも新体操部員だった。
亡き母の足跡を辿ること、それが一度道を見失った自分にとって未来への道標にも思えた。
「新体操部を見学しろ――ってね」
美乃理と同じだった。新体操部を見学した後、直接問われた。
「そして私は言ってしまったの。自分がもし女だったら正愛学院の新体操部に入っても良かったって。思えばきっとそれが決め手になったのかもね。三日月先生(あの人)と約束してしまったのだから」
そして宏美になり数年の時間を女子として過ごし、今こうして新体操クラブの育成コースのクラブ生となっている。
「そ、そうなんですか……」
美乃理はショックを受けた。同じように少女となって新体操をする者の存在に驚きもあったが、同時に安心感も覚えた。
自分だけじゃない。
誰もいない町でようやく巡り会った救世主のようにも思えた。
だが――それとともに胸が痛くなった。遙かに宏美の方が置かれた環境や耐えてきた苦痛は上だ。
母の軌跡を辿るための新体操……。
目的も崇高に思えた。
受験勉強が上手く行かずむしゃくしゃして、万引きに手を染めてしまった自分が過ちを直すために、新体操に取り組んでいることがちっぽけにも思えた。
その上に宏美は、今は新体操クラブの育成コースのクラブ生として将来のアスリートとして成長している。
花の蕾になろうとしている。
対して美乃理はまだほんの階段を上り始めたばかり。
龍崎宏美ははるか先を行っている。
一方の美乃理は。
反省の想いの一方で戸惑いながらも、いろいろふざけたこともした。
今の自分は女子児童としてまた小学校一年生なのだから、少しぐらい楽しまないと。
服を着たときにちょっといいかも……とわざとらしく笑顔を作って見せたこともあった。
誰も見ていないところで――
お風呂で自分の体を興味深げに自分自身でいろいろ試してみたりしたことさえあった。
そんな自分が妙に恥ずかしく思えた。
そして同時に美乃理は思った。
(一体何故三日月先生はこんなボクを女の子にして新体操をさせようとしたのか?)
新たな悩みを得た美乃理の様子を見て取ったのか、宏美がささやいた。
「美乃理ちゃん、今はそこまで真剣に考えなくていいのよ? 今を楽しんでいいのよ。いずれあなたは気がつくことになると思うから。三日月先生があなたに与えた役割に」
「や、役割!?」
「そう、あなたの役割。正愛学院の悩みや問題を抱えた生徒を誰も彼ものべつまくなしに、新体操部に誘っているわけではないの」
「一体何ですか!? それは」
知りたい。自分が今こうしている理由を。
「それは私にもわからないわ。でもあなたは、まだその小さな足で歩き始めたばかりなのよ? 長い長い道を一歩一歩踏みしめていけばいい。でも――でもいずれ気がつくわ」
足といわれて美乃理は、自分の小さくなってしまった幼い少女の足を見つめた。




