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第46章「宏(ひろし)と宏美(ひろみ)と新体操」②

「……ということで、彼は今日1日見学をすることになった龍崎宏君。よろしくね」


 一斉に鳴り響く拍手に龍崎宏は戸惑いを隠せなかった。

 どんな相手にも臆することはない性格とはいえ、流石に特異な状況である。

 目の前には正愛学院新体操部の女子部員たちが半円を描くように集っていて、レオタード姿の部員たちの前に、学生服姿の自分が一人。

 興味深々に自分をみつめる目。

 紅一点ならぬ黒一点状態に、たまらず宏は隣の顧問の教師、三日月知代にささやいた。


「せ、先生……これってなんのつもりですか?」

「昨日言ったとおりよ。あなたのお母さんの様子をみせるって言ったでしょう?」

「だからってこれは違うんじゃ」


 三日月にかつて母が所属していた新体操部の見学に誘われた。

 亡き母の軌跡を訪ねたいと思って約束通り、練習の見学に訪れた。

 練習の様子を脇でそっと覗く程度だと思っていたので、本格的に自己紹介させされるのは予想外だった。

 顧問も、部員も全員女子生徒のこの場に男子の宏は明らかに場違いで、なんとも居心地の悪さを感じた。


「本来練習場は男子禁制なの。事情を説明しておかないと不審者になってしまうから」

「で、でもさ……」


 どの生徒も自分をじっと見つめている。

 ヒソヒソ声が聞こえてくる。


「すごーい! 麗光付属の生徒!?」「結構かっこいい子よね?」「あの傷どうしたんだろう?」


 目の前の女子部員たちの集まる視線と咲かせる噂話に、流石の宏も恐れ入った。


「大丈夫よ、これまでもこの部はあなたみたいな男子の見学を何人もやってきたから、その辺は理解してくれるから」


 一度練習が始まると部員たちは脇の宏のことはさほど気にもかけずに、自分達の練習メニューに励む光景が繰り広げられた。

 そのまま柔軟や筋力アップの練習に励む部員や手具を扱う部員。

 練習場となっている体育館に熱気が広がっていく。どの部員も真剣で、いきいきした顔だった。

 不思議な高揚感に場が包まれる。

(同じだ……)

 宏は思った。少女たちにはあの母の写真と同じ輝きがあった。


 特に一人の少女をじっと見つめていた。

 その他に練習場の中央に設置された十三メートル四方のマットの上で、一人の女子部員が舞っている。

 赤いレオタードに身を包み清々と流れる音楽に合わせてクラブを巧みに操る。

 もちろん顔や体型が全て似ているというわけではないが、ちょうど母と同じぐらいの背格好だった。

 少女と、かつて新体操部で演技をしていたという母のあの写真が重なったのだ。

 直にみる新体操の演技は、画面や写真では伝わってこない生き生きとした表情……躍動感があった。

 ふと涙が出そうになった。

 ここにいると母の息づかいが聞こえてくるようでもあった。


 宏は端から見ると物質的に恵まれていた。

 人に会うと、いつも家柄を驚かれ羨ましがられる。

 近寄ってきた者は老若男女を問わずどこか媚びるような態度。そして利益や見返りを求めてくる。

 だが皆知らない。

 家族の下にほとんど帰らず不在の父に、ほとんど会話を交わさない弟と継母。

 いつしか、心は満たされない飢えを感じていた。


 しかしここにいると、妙な胸の熱さが湧き上がってくる。


 「宏君。あの子、高梨さんって子なんだけど、あなたより年下の子よ」

 「先生……そうなんですか?」

 「今は中等部二年生、小さい頃からやってるのよ」


 自分よりも下の学年の生徒が、あんなに輝いているのを見ると、夜の盛り場をあてもなくうろついてくさっていた自分が恥ずかしくなる思いだった。


「俺は……」


 環境が環境とはいえ、スポーツでも何でも何かに打ち込んで実らせることは不可能ではなかったはずだ。


「でも華やかなだけではないのよ」


 ポツリと三日月先生が漏らした。


「ここ二、三年、特に部員が少ないの。最初はそれなりに入部するのだけど、厳しい練習についてこれなくて辞めてしまったのよ。ま、遊びたい盛りだからしょうがないけれど」


 そういえば広い練習場を使ってる割には部員は少ない。定員よりも少なく使っている。


「去るものは追わないのがこの部の主義なんだけど、年々減りつつあってそのうちに団体競技にも出られなくなるかも。この練習場も他の部に明け渡さないといけなくなるわ」


 母さんがいた部がなくなるかもしれない……。


「あなたが入ってくれれば凄く心強かったかもね。あなた結構線が細く見えてしっかりしてるから体操競技に向いてるわ」

「は!?」


 そっと耳元に囁かれた言葉に宏は反応した。あまりにも現実離れした例えだった。


「馬鹿なことを――俺は正愛学院の生徒じゃないし、そもそも女子新体操は……」

「でもーもしあなたが女子だったら新体操部に入ってくれたかしら?」

「お、俺がもし女子だったら!?」


 突然のたとえに面食らったが何故かこの時、宏は考えた。

 母の過ごした時間、場所、そして空気。

 母の軌跡を辿ることはつまり母の確かな生きた証を自分の中に宿らせることなのかもしれない。

 そして宏は思った。

 もし自分が女なら……新体操をやってみたかった。

 そうすることで母と共に過ごすことができるのかもしれない。

 例え会えなくとも、それは自分にとって新しい道しるべになるのかもしれない――。


「俺が女だったら入ってたかも、しれないな」


 ふと漏らした言葉を聞き逃さなかった。


「そう。その言葉が本気なら、考えてみるわ」


 三日月先生は笑顔だった。けれども瞳は真剣だった。


「え?」

「こっちへいらっしゃい――」

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