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第41章「美乃理(みのり)と笑顔とハーフシューズ」③

 みのるも幼稚園では他の男の子の園児みたいに人目もはばからず走り回り、転び、擦り傷だらけになったこともあった。手に豆を作ったこともあった。

 みのるのやった一番大きな怪我は小学校一年の時。ジャングルジムから飛び降りて着地に失敗して腕の骨にヒビが入ったことだった。一ヶ月近く包帯をしていた。

 勢いよく走って躓いて膝を大きく擦りむいたこともある。けれども傷薬を塗って絆創膏を貼られた時も泣かなかった。


「流石男の子ね、泣かないで偉いわ」


と保健室の先生に褒められた。

 遊ぶ時に怪我をするのは男の子にとっては名誉だった。


 だが美乃理になって、女の子はそれは違うのだと美乃理は実感した。

 朝の登校中に、意地悪な男子たちから忍の帽子を取り返そうと、とっくみあいの喧嘩をやったときに印象に残ったことがあった。

 その時に顔や腕ををひっかいた宮田に高学年の女子が烈火のごとく怒っていた。


「傷が残ったらどうするのよ! あなた、謝りなさい!」

「あたしたち見てたからね、証人になるから――」


 少し痛かったから顔をそっとさわった。

 それを見て高学年の女子児童達が、まるで自分自身が傷ついたかのように、辛そうな痛そうな顔をして美乃理に同情した。

 ちょっと頬がいたいので、小さく赤くなっているだろう。


「可哀想……」


 胸に手をあてて心配そうに顔を見つめられる。


「大丈夫だから泣かないでね」


 そのうちの一人は美乃理の肩を抱き頭まで撫でられた。

 暖かさを柔らかさを感じながら美乃理は驚いていた。

 ちょっと顔をひっかかれたぐらい別に泣くどころかなんとも思っていなかったので美乃理はむしろ戸惑ったくらいだった。

 みのるの時はもっと大きな怪我をしたこともある。

 それなのに今美乃理はこんなに小さな怪我ともいえない怪我なのに、こんなに心配される。

 今のボクは少女だから――美乃理が少女だから、これぐらいのことでも心配してもらえるんだ。

 そして気が付いたのは、女の子にとって顔への傷も体への傷も一大事だということ。

 美乃理の顔に跡は残らなかった。







 その日のレッスンももうすぐ終わり。


 片方の足を軸にバランスをとりながら回転をする動作に挑戦した。

 まずは柏原コーチが見本をみせてくれた。

 勢いをつけて片足をあげて回転する。綺麗で美しい。

 何度も何度もコンパスのように正確でメリーゴーランドのように華麗に回った。

 それをみてみると簡単にできるようにも思われた。


「さあ、みんなやってご覧なさい」


 早速クラブ生の女の子たちは試してみる。

 だが簡単なようで難しかった。綺麗にできる子はほとんどいなかった。

 隣の亜美はかろうじて4分の3ぐらいは回れた。

 美乃理も片足をあげ、軸足を使ってよろめきそうになりながら、亜美よりは小さいくらいの回転をした。


「あら、麻里ちゃん流石ね。元々やってたのかしら?」

「はい」


 朝比奈麻里はもっと上手に回転していた。これもバレエの動作と同じだと思われた。

 また差を付けられた。

 女の子としての経験はあの七歳の麻里に美乃理は負けているのだった。

 みのるだった高校生としての時間が優勢になるわけではないのだ。

 ここで負けるわけにはいかない。


(がんばらないと)


 美乃理は自分を叱咤する。

 今ここであきらめたら、じぶんが美乃理になった意味などない。

 恥ずかしいという気持ちはある。未だに新体操をすることに戸惑いがないわけではない。

 だが今自分ができることは練習に打ち込むことだった。

 他の子は不器用でも前回の宏美に目覚めた情熱のもとで一生懸命取り組んでいる。

 ここで臆したら麻里どころか他の子にも後れを取る。忍も練習している。

 意を決して小さな幼い足を蹴った。

 美乃理の体がくるりと回転した。

 レオタードに付いているスカートがふわっとめくれた。

 ここにいるのは仲間……そして競う相手。



 そして何度も何度も繰り返してようやく一回転できそうになった頃。


「みんな、集まって」


 コーチが手招きして練習している少女たちを集めた。

 素直にかけより、コーチを囲むように半円をつくり体育座りをする。

 流石の少女たちも今日の練習はより大変だったようで髪も乱れ気味の子もいた。

 それをかき分けて整えたり汗を手で拭ったりする。

 だがその目は前回よりも輝きを増していた。

 

「みんな、頑張ったわね」


 コーチも、その輝きに満ちた少女たちの瞳に手ごたえを感じていた。


「今日やった練習と動作は発表会でもやる動きだから家へ帰った後も時間がある時に練習してくださいね」

「はい!」


 一斉に熱心にみつめる少女たちが頷いた。

 美乃理もそれにつられて返事と一緒に頷いた。


「いたた……」


 話を聞きながら座っていた美乃理は足を崩した。

 あぐらをかくような姿勢で自分の足をそっとみた。

 美乃理の小さい足の裏のそのつま先の指や付け根がほんのり赤くなっていた。

 どうやら擦れたようだった。

 なんども片足だけで回転をしたり、ステップで床を強く踏んだり……見た目以上に新体操は身体を動かす。

 特につま先に力を入れ床を擦るから、そのせいで赤くなってしまった。

 こんなことは初めてかもしれない

 自分の足の指をそっと触った。


「大丈夫? 美乃理ちゃん」


 忍が美乃理の様子に気付き心配そうに覗き込んだ。


「あ、ありがとう、でも大丈夫……」


 忍を心配させたくないので、首を振った。


「本当? 痛そう。我慢しちゃだめよ。美乃理ちゃん」


 気が付くと柏原コーチが美乃理の足をのぞき込んでいた。

 美乃理のそばに静かに腰を下ろし手を伸ばした。


「見せてご覧なさい――」


 コーチは真剣に美乃理をみつめている。


「はい……」


 美乃理が頷きそっと足を延ばす。

 コーチは美乃理の足を手に取る。

 そしてその美乃理の赤みを帯びたつま先を優しく撫でた。


「こんなに赤く……美乃理ちゃん、頑張ってたもんね」

「は、はい……」

「……一生懸命練習するのは大切よ。でもあなたは女の子なんだってことを自覚しなさい」

「え……?」


 柏原コーチが、耳元でささやいた。


「美乃理ちゃん、まるで男の子のようにがむしゃらに頑張っている……悪いことではないけれど、綺麗な手足を傷つけてはいけないわ」


 今美乃理の体はまだ幼い女の子の体。小さい足、細い指……。肌はよりやわらかくデリケートだった。


「美乃理ちゃん、ハーフシューズをつけたらどう?」

「ハーフシューズ?」

「ほら、亜美ちゃんみたいに、あれを履けば沢山動いてもつま先が痛くなることは無いわ」


 既にクラブのメンバーの何人かは既に履いている。

 亜美の小さな足……美乃理と同じくらいの大きさ……のつま先を包むそれは、まだ新しいベージュに、かすかに汚れが付いていた。

 今日の練習だけで既にかなりすれているのがわかった。

 それだけ亜美の足を守っているのだ。


「裸足で平気な子もいるけれど、これからどんどん練習で足とつま先を使うから……足がデリケートな美乃理ちゃんも考えた方がいいわよ」


 亜美は自分に話を向けられ嬉しそうに返事をし、自分の足を指差した。


「それに、美乃理ちゃんの綺麗な足がさらに綺麗に見えるわよ」


 コーチは美乃理の足を撫でながら笑った。


「美乃理ちゃんもつけようよ! きっと似合うよ」


 美乃理は裸足の自分の足と亜美の足を比べて見つめ続けた。みんなもそうだ、そうだ、と囃し立てる。

 細くて長くて小さな足。羨ましい。

(ボクの足……?)

 初めて気づかされた。

 自分の足は女の子たちからみても美しいのだと。

 少し恥ずかしかったけれど、悪い気はしなかった。

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