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第4章「転生~稔(みのる)から美乃理(みのり)へ」



 そして一ヵ月後が過ぎ稔は再び放課後に職員室に呼ばれた。


「よく頑張ったわね、稔君」


 一ヶ月前と同じように三日月の前に座った稔はその時のように泣き崩れてはいなかったが、その背はややしょんぼりしていた。


「ありがとうございます……」

「今日が約束の一ヶ月よ。短い間だったけれどよく頑張ったわ。あなたはきちんと部に顔を出して、仕事もこなしてくれた。今回の事件については、学校として、これでやることは終わり思ってるわ」


 あの日、涙に塗れた稔の瞳にはもう淀んだ暗いものは消えていた。


「本当にあなたは頑張った。部長もみんなもあなたのことを認めていたわ」


 新体操部に出入りする稔に陰口を叩く声もあったことを三日月は知っていた。だがみのるはそれにも耐えた。


「あ、あの……」


 みのるは唇を振るわせた。モゴモゴと言葉にならない言葉をつぶやく。

 だが新たな悩みがそこにあった。

 欲求。

 もっと活躍したい、羽ばたきたいという、ある意味健全な若者の欲望があった。


「なあに、稔君。先生に聞かせて」


 三日月はみのるのその告白を待っていたかのように、さらに促した。


「ぼ、僕、とても悔しいんです。勉強では味わえない熱くなれるものがあるって……どうして、今まで知らなかったんだろうって」


 みのるはそれが何だか上手には言えないことが口惜しかった。

 たった一ヶ月新体操部で見聞きしただけで、まだ全てを捕らえることができなかった。

 けれど、みのるは1つだけわかったことがあった。


「僕の高校生活って一体なんだったんだろうって」


 その瞳は悔しさで滲んでいた。もう取り戻せないものへの悔恨の涙だった。

 そして、ついにみのるは言い放った。


「僕は……もし僕が女子だったら新体操部に入っていました」


 その瞬間に三日月の目が光った。そして頷いた。


「本当? もしあなたが女子だったら――。入ってくれた?」

「え? あ、は、はい」


 念入りに聞き返されたのでかえって稔は驚いた。


みのる君、短い一ヶ月であなたの中に新しい思いが芽生えたのなら、もう十分よ」


 言葉に上手く現せられなかったが、三日月はみのるの思いを受け止めた。


「その報い、といっては何だけど……」


 少し口調を和らげた。


「稔君、あなたの望みを1つ叶えてあげようと思うの」

「ほ、本当ですか?」

「ええ、頑張ったご褒美よ。1つ言ってみなさい」


 突然いざ言われると迷う。


「もちろん食べたいものでも欲しい物でもいいわ。あ、でもその場合は先生の多くないお給料で賄える範囲ね」

「あ、はい、ちゃんと考えます。でも……」


 三日月のユーモアにつられて稔はようやく笑った。

 稔はとっさに考えた。

 僕の願いは――

 ゲーム? カード? いや、そんなおもちゃはもう卒業している。違うものがいい。

 ついこの間の稔の目標は大学受験。何より成績を上げてよい大学にいくことがひたすらみのるの望みだった。


「……成績を……あげて、進学して」


 呟いた。

 いい学校へ行って……行って……。

 でも、それからどうする?

 言葉に力が籠もらなかった。

 これまでの自分に戻るだけだ。

 そんな目標に突き進んできた先に今の自分があるから――


 考えがまとまらない。

 願いが1つ叶えられるとしたら……。

 ただ1つの僕の願いは……。


「ふふ、ごめんなさい。むずかしい質問してしまって。でも先生は、あなたの本当の願いを知ってるのよ」

「え? 僕の願い?」

「こっちへ付いてきてくれるかな?」


 三日月は、立ち上がると、稔を誘った。

 今度はどこへ僕を連れて行くのだろう?

 再び一か月前と同じように稔は三日月の後について職員室を出た。


「こ、ここは……」


 また新体操部のある体育館に連れていかれると思ったが違った。

 連れられて歩くこと10分。三日月についてくるように命じられて、稔が連れてこられたのは、学院の広大な敷地の普段生徒もあまり近づかないようなずっと奥まったところだった。

 鬱蒼と生い茂る木々の中に現れたのは、煉瓦づくりの二階立て校舎だった。


「こっちへいらっしゃい」


 三日月に促され、その入り口とおぼしき、鉄製の扉の前に稔は立った。

 扉に厳重に付けられた南京錠を持っていた鍵で外す。

 ギィっという重そうな音と共に、扉が開いた。

 そこは、フロアだった。

 贅沢なインテリアは無いものの、古めかしい厳かな雰囲気があった。

 二階へ続く階段の脇に胸像が設置さられている。

 若い女性の胸像だった。修道服を着ていた。


「この学校の創設者よ」


 肖像だろうか……優しく微笑んでいた。


「ここは旧校舎よ。この学校がかつて女子校だったころ、戦前の女学校からずっと使われていたの。立ち入りは禁止しているけれど、今も当時そのままに保存されているのよ」


 こじんまりしているが、きちんと整理、手入れをされていたよく管理されていた。

 そのまま廊下を歩いていくと、音楽室や、美術室と書かれた表札がかかれた部屋があった。教室は二階にあるとのことだった。

 一番奥に突き当たりの部屋の前まで連れていかれた。すぐ隣の部屋は学院長室と掲げられている。

 小さな、開かずの間のようにひっそりとしたたたずまいの部屋だった。

 案内されなければここに部屋があることさえ気づかないかもしれない。

 そこの部屋の小さな扉を三日月先生は開けた。


「入りなさい」


 促され、部屋に足を踏み入れた稔は立ち止まり、唸った。


「うわあ……」


 そこは、部屋いっぱい壁や床、そして天井まで、所狭しと並べられ敷き詰められた時計の部屋だった。

 壁掛け時計、目覚まし型、カレンダータイプの時計、綺麗な細工の施された置物時計もある。

 古時計だけでなく、デジタル時計や電波時計もあった。


 部屋中、コチコチ……と秒針を刻む音や、あるいはピッピと電子音もする。


「ここは……」


 その不思議な、神秘的な雰囲気のする部屋に圧倒される。


「ここは、因果と時の部屋――と私達は呼んでるわ」

「因果? 時?」

「そう、ここはね、時間と因果が交差する部屋なの……」


 その真ん中に、椅子が置いてあった。


「稔君、そこへ座りなさい」


 やや訝しむ稔だが、従った。


「この部屋は学院の初代院長が作った部屋。お気に入りだったこの部屋で院長は学校や生徒のことを案じ、また時には世界の無事を祈った」

「偉い人だったんですね……」

「稔君、校歌を知ってる? 我ら学院生、青春の情熱に命燃やさんー、正しい道をゆきて、清き正しき大人とならんーこれは院長先生が思い込めて作った歌」

 昔風の唱歌のような旋律で、始業式と終業式、記念行事の時に歌うが、それ以外は歌う生徒はいないし聞く機会もなかった。


「あ、あれは……」


 壁に古めかしい筆の字で、校歌の歌詞が書いてあった。

 すぐに、気がついた。

 清き正しき「大人」が、清き正しき「乙女」になっている。

 共学になったので歌詞を変えたのは容易に想像がついたので、質問はしなかった。


「でも同時に、院長は、理想と現実の違いも知っていた。様々な事情で、青春を謳歌できなかった生徒、貧困、複雑な家庭環境。私たち教師も一人の人……人の力では助けることができないこともあった。そういう生徒達にも手をさしのべたい、青春を謳歌させ、再び清き正しい乙女に生まれ変わらせたいーそんなことを願い、この部屋で過ごしたの」

「この部屋が……?」


 確かに変な部屋ではあるが、それが生徒の指導と何が関係するのか、稔にはわからなかった。


「稔君、あなたにも、あなたの本来あるべきだった姿に戻るべき。青春、失われた時間を、院長先生の力で清き正しい乙女へー、校歌のとおりに」

「で、でもそんなの……」


 説明の内容が理解できず、稔は大事なことを聞き漏らしていた。

 清き、正しいーその先の言葉を――。


「あなたは何もする必要は無いわ、そう、ここへしばらく座っているだけでいいの」

「座ってるだけで……いいんですか?」

「ええ。頑張ってね、稔君、あとはあなた次第よ」


 わたしは終わるまで待ってるわ。とだけ言い残して、三日月は部屋を出て行ってしまった。

 稔は部屋に一人ポツン、と取り残され時計に囲まれ、座っていた。


 意味のよくわからない言葉だった。

 新体操部の女子がうらやましい、などとうっかり言ってしまったせいで。




 コチコチ……。

 三十分は過ぎただろうか。

(いつまでここにいればいいんだろう)

 色々考えているうちに、いつの間にか瞼が重くなってきた。

 部屋に流れるリズム音はやがて眠気を催させた。

 コチコチ、コチコチ。


「ふわ……」


 稔は、大きな欠伸をし、目を擦ったが、全身を覆う睡魔には勝てなかった。


 眠気に目を擦った時、ふと、時計が飾られている合間に小さな額縁が掲げられているのに気付いた。

 肖像画だ。

 若い綺麗な人だった。

 優しく微笑んでいる。

 絵だけでも綺麗な人だったのがわかる。

(あれ? この人……)


 だが――次の瞬間には椅子にもたれ掛かり、すやすやと眠りに落ちた。


 突然部屋中にボンボン、ジリリリリー、ピピピ、時計の時を告げる音が一斉になった。

 その音は部屋中の空気を震わせるほどだった。

 だが、稔はまったく目を覚まさなかった。

 それほど、深い深い眠りに包まれていた。

 やがて、一斉に時計が逆回りに回り始めた。


 コチコチ

 コチコチコチ

 コチコチコチコチコチコチ

 コチコチコチコチコチコチコチコチコチ


 時計の発する音は、どんどんはやくなり、部屋中が激しいリズムを刻む。

 すさまじい早さの逆回転をみせる。

 デジタル時計の日付はどんどん日を遡り、月もまたいだ。

 それでも、止まらず、ついには年を遡った。


 そして稔は、その中で心地よい眠りに落ちていた。

 稔は、夢を見た。 

 暗闇の中、僕は誰かに手を繋がれ、どこかへ連れてかれて行かれる。

 暗く長いトンネルの中をどこまでもどこまでも。

 一体この人誰だろう。

 女性だ。若い女性。綺麗な人だ。

 僕をどこかへ連れて行こうとしている。

 その人の顔をよくみてみると、あ、さっきの肖像画にある人……。そしてこの人は……。


「僕をどこへ連れて行くんですか?」


 女性に尋ねると、答えた。


「あなたのあるべき時と場所へ――」


 優しげに微笑んだー。

 行く手に光が見え、徐々にこの身を照らしていく。


「さあ行きなさい、私の可愛い生徒」


 どこかへ運んでいく――


 真っ白な光


 まぶしい……





 そして――

 キンコンというチャイムの音が、稔の意識を目覚めさせる。


「うーん……」


 こんなに心地よい眠りは、久しぶりだった。

 大きく伸びをして、突っ伏していた机から体を起こした。

 どうやら、いつの間にか眠っていたらしい。


「?」


 あれ?

 最初の違和感は、自分のいる場所だった。

 確か椅子にもたれかかっていたはずなのに、机に突っ伏している。

 そして、辺りを見回す。

 さっきいたはずの時計の部屋とは違う。

 整然と並べられた机と椅子、正面には黒板。


「あれ? ここは……」


 教室だった。

 教室の机と椅子で、一人寝ていた。辺りはしんと静まり返っている。

 しかも、正愛学院のものとは違う。

 教室には「努力」とか「友情」といった習字に書かれた半紙がいっぱい貼られている。

 おそらくクラスメイト人数分ある。

 しかも、教室の正面の黒板の上に、「なかよし二組」と大きく色紙で切り抜かれた文字が貼られている。

 黒板のすぐ横には、算数、国語と書かれた時間割。


「ここは、一体……」


 心のざわめきが始まった。

 胸の鼓動が始まった。

 強烈な既視感に襲われている。

 なんか……こう……どこかでみたというより。

 懐かしい。

 僕はここを知っている。ずっと前に、ここにいたことがある。

 椅子をガタっと引いて立ち上がった時、さらに強烈な違和感を感じた。

 下半身で何かがと広がった。

 それはひらひらと揺れる。


「す、スカート!?」


 その赤いものは、スカートだった。

 学生服のズボンも、上着も身に着けていない。私服だ。

 赤いプリーツスカートが膝まで広がって、揺れている。

 涼しいー

 上は、水色と英語の絵が刺繍された鮮やかで可愛いデザインのTシャツだった。


「な、なんでこんなの穿いてるんだ?」


 さらに、頭を振ると、何かがフルフルっと揺れた。頭に何かがある?それに若干重さがある。

頭の後ろに手を回して、その何かを確かめてみた。

 黒い。

 それは髪の毛だった。


「いて……」


 少し引っ張ると、頭が引っ張られた。

 紛れも無い、自分の髪の毛だ。髪が伸びている?

 それを纏めて縛っている。ポニーテールだった。


「これは……一体」


 そして目線が低い。背が低いことに気付き、それに、さっきから漏れる声も高いことに気付く。

 細かい違和感をあげたらきりが無い。

 そんなことより、もっと確認しなきゃいけないことがあった。

 ある予感が頭をよぎった。予感というよりは、ほとんど確信に近かったが―

 教室を駆け出した。

 ここ、見覚えがある。

 教室を出ると、3つ隣の教室のすぐ反対側に階段、そのすぐ隣にトイレと洗面台。

 そこに鏡がある。

 稔の記憶にあるものと同じだった。

 自分自身が過ごし、卒業した小学校と同じ。

 ここは、花町小学校?

 しかも1年生の教室だ。なんでそんなとこりに今自分がいるのかー

 それすらも後まわしにしなければいけないことがあった。


 すぐ近いトイレの前の手洗い場の鏡の前に立つ。


「嘘……」


 信じられなかった。


 鏡の前の顔は、確かに自分のものだ。

 だが、容貌は大きく変わっていた。

 稔にも薄っすら生え始めていた薄い口元の髭も、にきびも無い。顔は青少年らしいこわばった頬骨はなくなり、ふっくらとした顔立ち。

 幼い丸い顔だった。


 その頭には長い髪の毛―艶のいい髪の毛だった。

 それを頭の後ろで縛っておさげをつくっている。適当に結わいたのではなくきちんとした髪型になっている。

 赤いスカートを穿いたその子は、どこからどうみてもポニーテール女の子だった。

 右手を動かすと、鏡の少女も手を動かす。

 首を左に曲げると少女も同じ方向へ首を曲げる。

 間違いなく、鏡の少女は自分だった。


「そんな……」


 見た目はどうみても女の子になっている。しかも小さな小学生の女の子の姿に自分はなってしまっている。恐らく小学生低学年ぐらいだ。

 一体どうして?

 ついさっきまで男子高校生だったのに、時計の部屋に連れて行かれて、そこでうとうとしただけだったのに―

 一体何が起こったんだ?

 しばらく頭が混乱し考えがまとまらなかった。

 やがて。

 ある確認作業をしていないことに気が付いた。

 ここを確認しないと―自分が女の子になっているのかどうかわからない。

 自分が今穿いているスカートの裾を摘んで、右手を中に入れる。

 そのまま股間へ右手を伸ばそうとした。


「あ! ここにいたんだ。さがしたよぉ」


 いきなりすぐ後ろから、女の子の声がして、びくっと震えた。そして手を元に戻した。


「あ……君は――」


 振り返ると、そこには、小学一年生ぐらいの女の子がいた。赤いランドセルを背負って立っている。

 紺のジャンパースカートと白いブラウス。ピンクの靴下を穿いた、女の子。

 おかっぱ頭でぽっちゃりとして、でも優しげで可愛い雰囲気があった。

 稔は、必死に記憶の糸を紐解いて、この見覚えのある少女の名前を手繰り寄せた。

 

「楢崎忍……」


 その名を呟くと共に記憶が徐々に蘇ってきた。

 小学校の時、同じ学年だった女子だ。何度か同じクラスになったこともあった。

 だが、別の女子中学に進学……それ以来会っていない。同じ小学校を出た程度の間柄だった。

 その楢崎忍が今目の前にいた。


美乃理みのりちゃん、トイレの前で何しているの?」


 みの……り?


 まさか、僕は、僕は……ボクは――。


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