第33章「美乃理(みのり)と発表会への道」
※この小説は男性から女性への性転換を題材にしています。それらの表現、描写がありますので、ご注意ください。
「悪い、稔。今度父さんは海外出張で家にいないんだ」
運動会や合唱祭といった学校の行事に稔の両親はほとんど欠席していた。
たまに母がなんとか都合をつけて来ることはあれども特に父が来た記憶は特に無かった。
「お父さんも忙しいのよ。我慢して頂戴」
「うん……」
稔が頷くと頭をなでた。
「偉いわ。稔はさすが男の子ね」
そして、あのお決まりのあの言葉。
「ごめんなさい、稔。この埋め合わせに何か欲しいものを買ってあげるから――」
家にはカードやゲームなどのおもちゃが溢れていった。
それにともなって家に飯山たちがよく遊びにきたが、稔の心は満たされなかった。
頷いたのは、ただの諦め。
本当の稔の気持ちは来て欲しかった。
そして……。
多分今回も、無理だろう。
練習から帰り、入浴した美乃理は、湯船に浸かりながら思っていた。
「別にいいよ……」
そして自分の身体を抱えるように抱きしめて、一人つぶやいた。
稔が美乃理だったとしても両親の仕事が変わったわけではない。
十七年間、そして高校生にまでなった男子稔の日々の中で、気持ちを抑える術は身につけてきたつもりだった。
迷惑をかけることはできない。
それより。
美乃理は湯船にうずくまって目を閉じた。瞼に今日の練習の光景が映る。
今日の練習は体力以上に、精神的にとても疲れた。
前回は初めて経験する緊張だった。今回はそういう緊張こそ無かったが、もっと練習をしなければならないという気持ち、焦りが大きくなった。
特に宏美の演技をみた周囲の反応に、胸が痛くなった。
綺麗になりたい、もっと美しくなりたい。女の子のそういう欲求が情熱に変わる瞬間を目の当たりにしたショックは大きかった。
そして自分はその熱いものがこみ上げていない。
とはいえ。それでも美乃理は思う。
(いつの間にか……ハマってるな)
早くもここまで美乃理自身を、のめりこませようとしているのも確かだった。
他の子もそうだった。
一生懸命練習をする周りの子たちの姿。
まずは麻里。
自分よりも上であることを痛感させられた。
男子高校生の知識と経験など、有利に働かない。
それどころか、美乃理は他の少女たちにも情熱の面で負けそうだ。
(こうしちゃいられない)
湯船から出ると、ザバッっと水のはねる音。
そして……鏡に映る自分の姿。
髪からも体からもしたたり落ちる水滴。裸の少女――。
鏡の少女が、小さく拳を握った。
そして体を急いで拭いてパジャマに着替えて自分の部屋に向かう。
「そうか、クラブの発表会か……」
「そうよ、なんでも3ヶ月後に同じコースの子たちと一緒に演技をするそうよ」
その頃、母と父がテーブルで会話をしていた。
「あら、美乃理、お風呂から出たみたいね」
母が一階の廊下から階段をトントン登り自分の部屋に向かう美乃理に気付いた。
「そうだな、しかしその時期は……」
ちょうど父、五郎にとって忙しくなる時期で、毎年出張も多くなる時期だった。
しかし口を噤んだ。
「あなた、お願い」
いつになく強い口調の妻の勢いに押された。
「美乃理、あれだけ一生懸命やってるみたいだし。それに、娘の晴れ舞台……私にはよくわかるわ」
五郎は思った。
妻が女として娘の気持ちをくみ取っているのだろう。
これが男の子だったら、微妙な気持ちの食い違いがあったかもしれない。
母が立場を代弁してくれる。美乃理が女の子で良かったと思った。
「なんとか都合つけよう――」
「ありがとう、あなた」
お風呂に入った後、自分の部屋でパジャマのまま美乃理は体を動かしていた。
レッスンで教わったバランスの姿勢をしてみたり柔軟体操をしたり足をあげたポーズをしたりした。
コーチがいったようにコツを忘れないようになるべく家でも体を動かすように。
「ん?」
部屋のドアが空いた。
父と母が見ていた。
「あ……」
柔軟の姿勢のまま目が会った。
「一階まで音がするから……ちょっと見に来たの」
静かにやっていたつもりが下に振動がきていたようだ。
「ごめんなさい、今やめるから」
「いいのよ、気にしないで続けて」
「あ、ありがとう」
見られるのは恥ずかしいという気持ちはあったが、そんなことよりももっと上手にやりたいという気持ちの方が上だった。
練習を続けた。
バレエもやっていた麻里の方がもっと沢山練習をしている。
それに追いつくには、練習をもっとやらないと。
それに、発表会がある。沢山の人たちの前でやることになるのだから。
「頑張ってるな、美乃理」
片足をあげた美乃理は、父の自分をみつめる真剣な顔を見つめた。
あまり喜怒哀楽は見せない方だが、その表情に柔らかいものがあることに気づいた。
(こんな表情の父さんは初めてだ)
娘をみる父の目に美乃理は、新鮮な思いを抱いた。
「クラブに通わせて良かったわ、姿勢もよくなったみたい」
新体操を始めることに当初積極的でなかった母が、今はまるで違う。
「綺麗よ、美乃理」
言われて美乃理の胸が熱くなった。
まだ女の子らしさを褒められることには恥ずかしさもあった。
(心も体も、まだまだボクは女の子じゃないんだけど……)
やがて、父の口が動いた。
「今度の美乃理の発表会、なんとか父さんも行くよ」




