第3章「稔(みのる)と仮部員」
翌日の放課後。
「……」
体育館の第二ホール前に立っていた。
稔は、約束通り新体操部にやってきた。
周囲には言いにくかった。
女子の部活のマネージャー……。それも男子禁制の新体操部。
クラスの男子の奴らに知られたら、なんて言われるかわからない。
周囲の人目を避けるようにしてここへやってきた。
「ほら、何立ってるの?」
ポン、と肩を叩いた。
振り返ると、制服姿の部長高梨礼華が後ろに立っていた。
「あっ部長。よろしくお願いします」
後輩とみられる制服姿の女子生徒達が挨拶をしつつ、追い越していった。
「君も元気よく、よろしくおねがいしますって挨拶するのよ」
体育館の戸を開ける。
まだ冷たい体育館の空気。
既に部にやってきていた女子部員達が、一瞬振り返り、稔をみる。
視線を浴びたため、一瞬固まりそうになった。
勇気を振り絞り、ふるえる唇を開いた。
「よ、よろしくお願いします!」
一斉に稔の方をみた。
「よろしくお願いします!」
「お願いします!」
一斉に元気の良い、丁寧な挨拶の返事が少女達から返ってきた。
無視されたら、冷ややかな目で見られたらと不安だったが、反応が得られたことで 少し緊張の糸が緩む。
続々と授業を終えた部員たちがやってきてにわかに活気づく部室。その日の練習の準備が始まる。
「じゃあ、あなたの役割をお願いするわ」
そして、稔は部長の高梨の指示通り練習前の準備、道具を倉庫から引っ張り出す。
「ほら、マットをそこに引いて」
「御手洗さん、これお願いします」
一年生の女子部員が苦労して運んでいた道具一式を引き受ける。
「ありがとうございます、御手洗さん」
運び終えてジャージ姿のその子にペコリと礼をされると、稔にも嬉しさがこみ上げてきた。
「助かるわ、男子の手があって」
「いえ、そんな……大したことやってないですよ」
部員に混じって物を運んだり、道具の準備をする稔。
部長はそんな稔に後ろから見守っていた。
早くも部の一員として、周りの役に立っていることを改めて確認していた。
「手が開いたら、練習の見学は自由よ。本当はここは部外者立ち入り禁止、見学禁止だけど、あなたは部員だからリラックスしてみてなさい」
ほどなく準備が終わり練習が始まった。隅っこで女子部員たちの練習の様子を眺めていた。
柔軟体操。
リボンを回す。
ボールを体に滑らす。
クラブをくるり、と回す。
何度も何度も繰り返す。
どの顔も真剣そのもの。
団体演技だろうか、数人が固まって息を合わせて1つの技を繰り返す。
「凄い……」
情熱。
女性としての美、歓喜があった。
女性として花開こうとしている、その若い肉体を綺麗なレオタードで包み、そして舞う。
優雅に時に激しく。
この瞬間に、その身を捧げる少女達の情熱が美へと昇華されていく。
より高いところを目指して。
体育館はいつの間にか熱気に包まれていた。
「どう? 稔君。何か感想はある?」
再び高梨が稔の元へやってきて、一人の女子部員を指した。
「は、はい。礼華さん。綺麗だと……思います」
何か褒めようと言おうとしたが、上手く言葉にできずにいた。
「ふふ、そうね、最初はそんな感じの感想になるわね」
「す、すいません」
「謝る必要はないわ。あたしもレオタードって綺麗だけど大抵は最初に着たときに、自分でもちょっと恥ずかしいなって思っちゃうのよね」
思い出を語った。
「わたしはね、小学校の頃、たまたまテレビで見た新体操の中継番組で、レオタードで舞う姿に憧れて、始めたの。地元のレッスン教室に……」
最初に着たときは恥ずかしくてたまらなかった。
でも鏡に映った姿を見て、変わったのだという。
「自分で自分をかわいいって思っちゃった。新体操には魔力がある、って思った」
もっと綺麗に、もっと美しく――。
「皆同じ。美しく舞うあの魅力に取りつかれた子ばかり。あの子たちの新体操への情熱は、何よりも尊い。稔君も、女の子だったらきっとその魅力に取り付かれたわ」
「……」
はっと口をつぐんだ。
今までに無いある感情が起こったのを始めて感じた。
「あの履いてるもの、なんですか?」
なおも尋ねた。
つま先だけを包んで踵を紐で止めている、不思議な履き物。
リボンで渦巻きを作りながら、脚を大きくあげた。
包まれたつま先が天へ届けとばかりに
柔らかな体、脚線美に目を奪われた。
「あれは、ハーフシューズよ」
「そう、足を保護するために履くの」
「変なの……」
「そう、最初履いた時は変な履き心地だったけれど、あれは新体操をやっている証でもあるの」
逐一説明してくれる部長からは真剣さと愛している様が伝わってくる。
「取り敢えずこんなところだけど、どうかしら? あんまりピンとこなかったかな? 」
首を慌てて振った。
「そんなこと無いです、みなさん、本当に凄いです」
稔の知らない世界が確かにここにあった。
学校と予備校しか世界を知らない稔にとっては全てが新鮮だった。
その翌日は、部には行かなかった。
予備校があるからと部長に正直に申し出ると、あっさり許可してくれた。「予備校、頑張ってね」とあべこべに励まされた。
稔は、後ろ髪が引かれる思いに駆られた。
今日も練習に付き添いたかった。あの熱い何かの正体が気になる。
そして講義中も集中できず、併せて疲れからいつしかウトウトとしてしまっていた。
予備校の校舎から、ぞろぞろと出てくる若者達。
疲れ果て、生気のない学生服が帰宅の途についていた。
みんな、練習を終えた頃だろうか……。
時計をみながら考えた。
稔は、予備校生たちに混じりながら考えていた。
「あ……あれは」
ちょうど帰り道の大通りを歩いていたら校舎が街のビルや民家に埋もれながら、かすかに遠く望めた。
その方向に正愛学院の体育館に明かりが見えたのだ。
「まさか」
気になって周りの予備校生たちの暗い行進を逆向きに、正愛学院へと向かう道へ戻りだす。
果たして、煌々と体育館の第二ホールに明かりがともっていた。
「こんな時間まで……」
レオタードの少女達が、中央のマットで音楽と共に舞っていた。
おそらく団体演技だろう。
5人で音楽に合わせて、リボンを使った複雑な演技をしている。
にこやかにリボンを操りながら、幾何学模様を作ったり、
ものすごくきついだろう。
音楽は優雅だが、テンポが速い。
それに合わせて踊るとなると、まして5人で息を合わせるなんて。
なのに、優雅に、華麗に――。
何度も、何度も、練習を重ねた成果だ。
見事に技を決めていく。
そして、最後に、フィニッシュを決めた。
「凄い!」
素直に拍手を送った。
女子部員も稔の方を驚いた様子で振り返った。
「稔君!」
鳴り響いた拍手に、驚いた高梨部長がやってきた。
「先輩……皆こんな時間まで」
「稔君こそ、こんな時間にどうしたの? 家の人は大丈夫なの?」
「いいんです、僕の両親二人とも仕事でいつもいないし」
片づけが始まると稔は、自ら片づけを手伝った。
重いマットを片づけ運ぶ一年生部員の手を貸す。
「わあ、御手洗先輩、ありがとうございます」
先輩という単語に胸が躍った。
先輩といわれるのは初めての体験。
ずっと部活なんてしてこなかった
敬意を表される――胸が震えた。
「お疲れさま!」
「お疲れさま、御手洗君」
「先輩、さようなら」
制服姿の女子達が、集団を作りながら帰って行く。
「皆、お疲れさま!」
負けないぐらい大きな声で別れの挨拶をした。
「一緒に帰る? 私はこの家の近くだから……」
部長からは、シャンプーの香り、いい匂いがした。
着替える時にシャワーを浴びたようだった。
いい匂い。でも女の子の本来の匂いだと思いこんでいたけれど、違っていた。
今は、なんだかあの汗混じりの熱気が恋しく感じた。
確かに昼間に部長の言っていた言葉を思い出した。
「お疲れ、稔君。どう? 今日一日……」
「僕、胸にこみ上げてくるんです。今までの僕はなんだったんだって。とても素晴らしいです。それもこれも新体操部の皆さんのおかげです」
「それだけじゃないわ。あなたにはね、等身大の女の子を知って欲しかったの」
「等身大?」
勝手なイメージを作っていた。
いつもおとなしくて、整然と、そしていい匂いがする。
毎日家、学校と塾の行き来で過ぎていった日々の中で描いていた幻想だった。
新体操部、部活、女子たちが美しいのは努力の賜物なのだった。
稔は納得したように頷く。
そしてさらに質問をした。
「あ、あの……先輩昨日言いましたよね。今まで僕のような生徒を受け入れてきたって」
「ええ、そうよ」
「一体その後どうなったんです?」
「それは、三日月先生に聞いてみないとわからないわ」
高梨部長は、はっきりとは応えなかったがにっこりと笑った。
翌朝から、稔は欠かさず部に顔を出すようになった。
指示されていなかった朝練にも顔を出し、手伝った。
部の準備、活動、事務関係の処理や調整。
恥ずかしいという気持ちは小さくなり、活動に精を出す姿が見られた。
休日に行われた大会では、正愛学院の新体操部は、僅差で月見坂女子学園に負けて2位に。
一緒に涙を流した。
「どう? 御手洗君は?」
三日月は二人きりになった時に、部長の高梨に稔の様子を尋ねた。
「毎日部にやってきて活動しています。積極的な姿勢で、以前よりも遙かに明るくなりました。ただ……」
「ただ?」
「最近、女子部員の練習を見て、ため息をつくようになったんです。何か悩みがあるかって聞いても、寂しそうに笑うだけで……」
「そう……やっぱり、、見てるだけじゃ物足りなくなってくるのかしら」
「もうすぐ一ヶ月……なんだか彼に新しい悩みを植え付けてしまったみたいですね」
「大丈夫、あなたは心配しなくても良いわ」
三日月はこれも予定どおりといいたいかのように余裕の表情で笑った。