第24章「美乃理(みのり)と初めてのレッスンの後に」
「どうだった? 初めてのレッスン」
気がつくと白い世界。そして傍らには、あの少女がいた。
まただ。また夢の世界の少女。
どうしてこの子はそれを知っているのだろうか。
「うん、楽しかったよ」
疑問には思ったが怪しいとは思わず素直に感想を少女に伝えた。
「良かった。嫌になっちゃうかと思った。恨まれるかも知れないって」
少女は嬉しそうに笑った。
「そんなことはないよ」
これから色んなことがありそう。もう少し続けてみたいと思った。
「ありがとう、美乃理ちゃん、頑張ってね。あたしも会えるまで頑張るから」
「え? どういうこと?」
徐々に声が遠くなる。世界から、意識が遠のいていく。
まただ。
まだ聞きたいことがあるのに。
「楽しんでね、女の子の生活をもっともっと」
今日も目が覚めると美乃理は女の子だった。
ベッドから起きると揺れる髪の毛と、小さな手足。そしてトイレ。
だが、もう焦ることはなかった。
(やっぱり……じゃあ)
覚悟が決まっていた。
洗面台で鏡の前に立って美乃理は気合を入れた。
すぐに体が動く。
朝の身支度をしないといけない。時間は限られている。
もたもたしていると忍がきてしまう。
髪のセット、結び方、服の洗濯。昨日よりもかかる時間はさらに少なくなった。
そして、着替え。
(今日は何を着ていこう)
美乃理はしばし考える。自分をイメージする。
スカートを選んだ。
ズボンもあるが忍がスカートを褒めてくれる。美乃理ちゃんはその方が女の子らしくてかわいいから。
今日も忍が喜んでくれるのであれば……またスカートを選んでみようと考え直した。
穿くときに少し気合いが必要で、ズボンよりも股下がさわさわする。違和感はなくなっていない。
だが周りからはむしろ女の子らしいと褒められる。
美乃理の意識に変化を与えていた。
靴下も上に着るものも、それに合わせて選んだ。
終えた時、小学校一年生女子の美乃理ができあがる。
今日はさらに昨日の自分よりも、自分らしいイメージができたような気がした。
(少し女の子らしくなったのかな……)
少し苦笑いする。
赤いランドセルに教科書やノートを入れて準備を終えた。
出発するときに、父に挨拶をした。
「父さん、行ってきます」
前夜、遅く帰ってきて疲れた顔をしていた父さんの顔が、生気を増し綻んだ。
今日は朝遅めの出勤のようだった。
父さんは、朝食をすませて、飲んでいたコーヒーのカップを置いた。
頭を撫でた。
「美乃理、いってらっしゃい。学校頑張るんだよ」
大きな手だった。
稔が正愛学院に通うころには、もう父さんが小さくみえるくらいだったが、今は見上げるほど大きく力強い。
「悪いなあ、美乃理。昨日のレッスンは行けなくて、せっかくの練習だったのに」
母さんからレッスンのことは耳に入っているようだった。真剣にレッスンを受けそして仲間と楽しんだ。
「発表会があるんだってな、今度みせてくれ。必ず見に行くから」
顔が赤くなった。
恥ずかしい。あんな姿をみられるのは。
でもレオタード姿になった時に写真に撮って嬉しそうにするぐらい喜んでくれた。
何より新体操をやることを後押ししてくれたのは父さんだ。
報いるためにも晴れの姿は見せなければいけない。
「う、うん、でもまだだめだよ、父さん。まだ、下手だし――」
まだ、ダンスに毛が生えた程度だ。
父さんに見せるなら上手になった時の方がいいと思った。
「そうか、楽しみにしておくよ、美乃理」
より一層、頭を強く撫でた。
「あなた、せっかくセットした髪が……」
「悪い、悪い」
美乃理は感じていた。
父さんは、ボクが稔だった時と違う。
多分、父親の男の子への接し方と女の子への接し方の違いかも知れない。より直接的に子への愛情表現をしてくれる。
自分の言葉に喜んでくれる。
ピンポン。ピンポン。
親子でそんなやりとりしていると、目を覚ますように家のチャイムが鳴った。
「あ、シノちゃんだ。もう来たんだ」
慌ててランドセルを翻して玄関に向かう。
「行ってきます!」
「いってらっしゃい」「気をつけるんだぞ、美乃理」
父と母の声を背中に聞きながら、美乃理は靴を履いた。
そして、美乃理は忍と橋本さやかの三人で登校した。
赤いランドセルを背負った小さな子供三人が通学路を並んで歩く。
「ええ! 発表会!? いいなあ」
大きな声をあげたのは一番右端を歩いていたさやかだ。
「そう、そのうちに新体操の発表会をするんだって」
忍が初めての練習の時の様子を話したのだ。
「でね、美乃理ちゃん、凄かったんだよぉ。難しい技とかもあったんだけど――」
忍は話が上手。丁寧でわかりやすい。
おしゃべり上手だった。
「それで? それで?」
さやかは忍の話に聞きいっていた。
「他にも上手な子に、朝比奈麻里って子がいたんだけど――」
「それで? それで?」
忍は美乃理がまるで漫画の主人公のように褒めたたえて祭り上げる。
横で聞いててちょっと恥ずかしかった。
「バレエもやってたみたいだけど、やっぱり上手でね。可愛い子なんだけど」
しかも麻里を美乃理のライバルと位置付けている。
元々運動が苦手な忍も、麻里に身体能力があることは認めざるを得ないところなのかもしれない。
「美乃理ちゃんも負けてなかったんだよ。その子と美乃理ちゃんだけが、新しい技をできたんだもん」
「凄い!流石ね」
「う、うん、まあでも、大げさだよ」
麻里の方が圧倒的に上手いと感じているし、自分は新体操をやるだけで十分だと感じている。ライバルなんてとても。
だが二人は許してくれない。
「もう、みのりんも麻里って子に負けちゃだめだからねっ応援してるから」
さやかが美乃理のランドセルをぽんぽん叩いて叱咤した。
「すっごく可愛いかったんだよ。美乃理ちゃん……」
「そうだよ、みのりん絶対可愛いに決まってる。最近男の子っぽいけど……」
さらに頭を撫でられる。
「し、忍ちゃんも凄く可愛かったよ、うん」
やっぱり忍も、女の子なのだろう。素直に嬉しそうに笑った。
そして、ボクも忍ちゃんに可愛いといわれて少なくとも悪い気はしない。ちょっと恥ずかしさはあるが、嬉しいという気持ちも確かにあった。
「ああ、あたしも見てみたかったなあ……」
さやかは、同じ花町センタービルのスポーツクラブにあるプールの水泳教室に通っているから、流石にできないとのこと。
本当に残念そうだった。
「今度見においでよ、見学もできるんだって」
さやかが、美乃理の手を取った。
「今度、行くからね、美乃理ちゃん」
そして忍ももう片方の手を握った。
「さ、早く行こう」
おしゃべりに集中しすぎて遅れそうになった。三人足を速めた。
背中のランドセルの中の教材がごそごそ揺れる。
美乃理の耳に、高梨礼華の声がまたよみがえった。
――例え女の子に生まれたとしても、新体操ができるとは限らないのよ――
美乃理が新体操をやったことは、奇跡では言い表せない。
稔、受験に失敗、三日月先生。そして時間を逆行。女の子、美乃理、そして忍と共に新体操クラブへ。
どんな奇跡が起きても本来成し得なかったことだ。
それを無碍に捨てることは、色んなものに対する裏切りのようにも思えた。




