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第21章「美乃理(みのり)と初めてのレッスン」②

 仮入部の期間に一度だけ高梨礼華が練習を見ていただけの稔に、練習に使っていたリボンを実際に持たせてくれたことがあった。


「ほら、みのる君。これがリボンよ」


 体育館で、既に他の部員の子たちが帰って二人きりだった。

 手招きされて寄ってきた稔に渡した。


「触ってみる?」

「い、いいんですか?」


 とても長い。

 おずおず受け取った。


「長い……」


「6mよ。正式に競技に使うものだからね」


 いつも礼華が使っていて、軽々と扱っている。


「振ってみていいよ」


「は、はい……」


(うわ!)


 持ってみて思ったのは、意外に重たいことだった。

 いつも軽々と持ち演技では華麗に使っている様子をみていたから、自分もそんなふうに簡単にもてると思っていた。


「ああ……駄目だ」


 試しに振り回してみた。

 長いリボンはぐいっと重力がかかったように感じる。

 礼華がやっているように、大きく振って、らせんを描いたり綺麗な円を描いたりしようと大きく振る。

 だが思うようにならず、リボンは、くちゃくちゃになってしまう。

 形も汚く、めちゃくちゃ。

 しかも少しでも手の動きを緩めると、床についてしまう。


 床に着けてしまうと減点になることは以前教えてもらった。

 でだが、リボンを振るだけでも、難しいし体力を使う。

 さらに、これを踊りながら、体を動かして演技をする。

 どれだけ大変なんだろう。

 すぐに汗も出てきた。


「ふふ……けっこう大変でしょ? みのる君」


 目から鱗になっている稔の様子を礼華は笑った。


「ありがとうございました」


 礼華は稔が返したリボンで、練習をしてみせた。

 礼華はリボン演技を得意とする。

 するとリボンが息を吹き返したように、綺麗に華麗な動きと形を描く。

 すでにこれまでに何回かみせてもらっていた先輩の演技が、また新鮮に見えた。

 あの華麗な演技は、見えないところでの努力と鍛錬でできあがった賜なのだ。


 自分よりも細い腕と手。

 楽しいだけじゃない。華麗なだけじゃない。

 厳しい練習とそれに耐えた努力の成果。

 その練習に耐えかねて、やめていく部員も多いと聞いたが改めてその言葉が思い起こされた。


 その日からまた稔は練習する正愛学院新体操部の女子たちへの見方が変わった。

 華麗、美しさの影に隠れた彼女たちの努力と涙を知った。



 だから、美乃理は日々の練習の大切さを知っていた。

 新体操クラブでレッスンを始まった今、改めて思い起こされた。

 すぐには美しくはなれない。


「はい、もう一度最初から」


 体育ホールには、足音が響いていた。

 何度も繰り返す、ステップや、柔軟。

 意外に地道な動作の繰り返し。

 その日の練習はまだ準備運動的なものばかりだった。

 手拍子のリズムに合わせて、少女たちは指示通り、一生懸命体を動していた。

 少女たちの中に、忍、そして美乃理もいる。


 美乃理は充実感に満ちていた。

 まだ、単純な練習をしているだけなのに、



「はい! 皆集まって!」


 何度も基礎的な動きをした後、コーチの柏原が幼い女の子たちを集める。

 コーチをを中心に半円になって床に座る。


「結構大変だね」


 少し息があがっていた忍は美乃理よりも汗がにじんでいた。


「うん、でも楽しいかも……」

 

 美乃理の返しに、忍もそうだね、と小さく呟いた。


 コーチは、集まった美乃理たちに、いくつかの柔軟の運動を教えてくれた。

 足とつま先を鍛える柔軟や、開脚し前屈して柔らかく上半身を床に倒す姿勢、そして特に片足のつま先でバランス立ちつつ、もう片方の足を持って直立する形にはみんな目を見張った。

 先生の体は、片足あげは、綺麗に体とほぼ垂直に、上がる。


「凄い……」

「綺麗」


 周りも子もそして、親からも歓声があがる。


「さあ、皆もやってみて」


 先生に促され、女の子たちも、一斉に真似をする。


「ああ、だめ」


 隣で可愛い声があがった。

 忍が実際にやろうとしたが、足を途中まであげたところで、バランスを崩してしまった。

 体が堅い忍では、そこからあがらなかった。


「難しいな……」


 失敗してしまった忍が、ぼやいた。

 そして、こっちを見た。美乃理ちゃんは? と目がいっている。


 美乃理は大きく息をした。

 今までの基礎的な練習とは違う気がした。

 これは新体操の本格的な動きだ。

 先生は、自分たちを試しているのだろうか?

 意を決して、ゆっくりと片足を床から離した。

 延ばした脚が弧を描く。


「!?」


 レオタードのスカートもめくれてしまう。

(う……)

 はっきりいって、股間部分が丸出しになってしまった。

 美乃理の女の子になった股間がレオタードを着ているとはいえ、露わになった状態に。

 仄かに胸が熱くなったが、それでも足を天井へ向かって大きく延ばした。

 これに近いポーズは、新体操部の部員の皆がよくやっていた。

 あの天へ届けとばかりに、足を延ばす姿勢だ。


 あの時の先輩や部員の子たちを思い浮かびながら、裸足の美乃理の足を あげた。延ばした。

 もっと、もっと足を上へ。


「美乃理ちゃん、凄い!」


 多分忍が叫んだ。

 周りの子も、美乃理をみて、凄い、と声をあげた。

 ほとんどの子は断念したり失敗していた。

 そんな中、美乃理だけは成功させた。

(やった)

 周りの子の反応を見て美乃理も成功した、という実感があった。

 先生も美乃理のそばにやってきていた。


「凄いわ、美乃理ちゃん」


 笑顔だった。だが、その眼は真剣で、美乃理の姿勢をじっと見ていた。

 分析するように、冷静な眼だ。

 だがみんなから視線を浴びることに美乃理は恥ずかしさも覚えた。

 やや美乃理の姿勢が、乱れた。


「はあ……はあ……」


 終わった後、流石に疲れた。


「凄いよ、美乃理ちゃん」


 恥ずかしい……でも嬉しい。

 それは、複雑な感情だった。

 自分を、めいいっぱい見せたことに対する満足感。

 女の子にしかわからない喜び――。



 その時。


「凄い!」


 別の場所でも再び声と拍手が上がった。

 その中心は、あの少女だ。さっき美乃理に高飛車に話しかけてきた少女、朝比奈麻里だった。

 その麻里も同じように足をあげて、バランスをとってポーズを決めていた。

 同じようにレオタードのスカートがめくれて。

 同じポーズでも麻里は、より綺麗だった。

 ピン、としていて、凛々しかった。優雅な雰囲気があった。

 一体この違いは……

 同じようにしているだけのはずなのに。


「麻里ちゃん、あなた、バレエをやっていたの?」


 先生の問いに、はい、とうなづいた。


「そう。だからきれいなのね、あなたが一番よ」


 後で知ったのだが……これはバレエでも定番のポーズらしい。

 それで麻里は新体操だけでなく、バレエもやっていたこともわかった。つまり美乃理たちよりも先をいっている。

 麻里がこっちをチラっと見た。美乃理も気がついた。


 皆の拍手は、今度は麻里へ送られていた。

 周りの女の子たちも、周囲で見ている大人たちも。

 ちょっと悔しいかな……。

 小さなナルシズムが芽生えた。


「美乃理ちゃん、つま先よ。つま先まで意識するのよ」


 柏原先生が、麻里を見ていた美乃理にアドバイスしてくれた。

 さっきの美乃理の動作を見て分析したらしい。


「そうすれば、もっと綺麗にできるようになるわよ」

「は、はい!」


 結局、一発で綺麗にポーズを決められたのは、麻里と、美乃理だけだった。

 その他の子は途中で堅くて足が上がらなかったり、バランスを崩したり。


「!?」


 一瞬、周りから自分への羨望の眼差しを感じた。

 麻里が稔にみせた対抗心と同じものだ。

 女の子の自分が一番可愛いという自尊心があって、負けまい、とする意地。

 その空気に一瞬、美乃理はたじろぎそうになった。

 可愛いレオタードを着た妖精たちの揺らめく闘志を……。

 麻里もあの視線をまともに受けているはずだ。

 だが麻里はどこまでも涼しい顔だった。


「今日覚えた動作を忘れずに家でもやってみてね」


 レッスンもだいぶ過ぎもうすぐ終了時刻。

 最後に次回以降の挨拶があった。

 年に何度かクラブが集まっての発表会があること。また、市民祭のイベントでステージにあがることも予定中だと。

 それに向けて頑張りましょう、と激を飛ばされ少女たちはいっと元気な返事をした。


 そして、今日はまだ簡単な動作だったが、リボンやボールなどの手具も、少しずつ学んでいく予定だとか。

 少女たちの顔が輝いた。


 帰りの仕度が始まった頃。


「美乃理ちゃんっていうの? あたし、神田亜美! よろしくね!」



 終わると、クラブの子たちが、美乃理の周りに集まってきた。

 そして、麻里の下にも集まっている。早くもクラブ内で現れた二人の有望な練習生を巡って、探り合いが始まる。


「忍、よかったよ」

「えへへ……」


 忍ちゃんは、見学していた両親の元で、今日の練習を無事終えた祝福を受けていた。


「美乃理ちゃんも可愛かったよ。後でママに二人の撮った写真送るからね!」

「残念ね、せっかくの練習日なのに、お父さんとお母さんが来なくて……」


 忍の両親から言葉をかけてもらった。


「あ、ありがとうございます」


 ぺこり、一礼。

 これで今日はようやく終わり。

 レッスン場は帰りのざわめきに包まれる。

 やっている最中は無我夢中だったが、終わってみるといろいろ胸に思いが込み上げてきた。


(本当にボクが新体操を……やったんだ)


 帰ったら母さんになんて言おうか。楽しかった。これからも頑張るよ。

 言葉を考えた。

 そして帰る準備をしようとした。

 その時、クラブ内に突然どよめきが起きた。


「!?」


 また別の場所で、視線を浴びた存在があった。

 いつの間にか、体育ホールの中心に一人の少女がいた。

 レオタードに着替えていて、既に練習の準備に入っている。


「あ……」


 身体が一回り大きいので上の学年だ。

 おそらく四年生か五年生。

 ボールを持ってホールに佇んでいた。


 早熟なのか既に女性らしい。

 体の線が細く優しく……ウエストも細く締まっている。

 そして、胸にはふくらみがあった。既に思春期に入った少女の体だった。

 着ているレオタードは、今の美乃理が着ている無地のレオタードとは違って、綺麗な刺繍が施されている。

 そして足のつま先には、ハーフシューズ。

 あれは、まだ美乃理は履いていない。


「龍崎宏美さんよ」


 キッズコースたちの少女たちが思わず見とれていた、その様子をみて柏原が教えてくれた。


「彼女は育成コースのクラブ生。今まで別のクラブに所属していたけれど、うちに来たいってやってきたのよ」


 わあ、凄いと幼い少女たちは歓声をあげる。 

 彼女は、あと三十分後から始まる育成コースの練習生。

 コーチに言われずとも、早めに練習場に入り自主的に練習を始めているのだ。


「龍崎さんってあの龍崎さん? 全国ジュニア大会で優勝した、あの!?」


 麻里が驚いた様子で叫ぶ。


「あら、よく知ってるわね。色んな競技会で優秀な成績を収めて将来を期待されてるのよ」



「凄い、龍崎さんと同じクラブにいられるなんて……」


 興奮した様子の麻里。


「美乃理ちゃん、知ってる?」

「ううん」


 一方、忍も知らなかったらしい。美乃理も首を振った。


「あなたたち、そんなことも知らないの?」


 麻里に聞かれてしまった。さっきも聞いたセリフをまた言われる。


「あ、うん。まだ全然知らなくて……」


 麻里はやはり相変わらず厳しい。


「あの人は龍崎グループの令嬢でもあるの」


 食品会社や、建設会社とかで、その名を冠した会社がいっぱいあって、地元ではちょっとした財閥のようなものだった。

 美乃理も一度は耳にしたことがある。


「へえ……そんな人が……」


「素敵……憧れる。わたしもあんなふうになりたい」


 麻里はそんな呆気に取られている美乃理たちを放って手を組みキラキラした瞳で憧れの人を見つめていた。


 龍崎宏美は本当に華麗だった。

 ホールにはまだキッズコースの子供たちと保護者たちが残っていたが、その前で臆面もなく練習を始めた。

 そして見ていた人たちを惹きつけた。

 迷いもなく、透き通るような美しさだった。

 動きがまるで違う。ずっと洗練されていて、手具に使用したボールと戯れるよう……。

 苦しい様子は待ったく無い。

 比較にならない。


 そして動きはずっと激しい。

 あんなに体を動かしたら、凄いきついだろう。

 でも、そんなそぶりはおくびにも出さない。ひたすら優雅に演技を続ける。


 さっき柏原先生が言っていたことを思い出した。

 今ならわかる。

 あの龍崎宏美という少女は、手の指先、つま先まで意識して舞っている。

 体全体の動きだけでなく、ハーフシューズに包まれたつま先をじっとみていた。

 まっすぐ伸びている。

 指先足の先まですべてが一体となって体を動かしている。

 美乃理とはレベルがまるで違う。

 どれだけ練習をしたのだろう。


「わあ、凄い」


 忍も思わず、こぼした。

 どこまでも透き通るような美しさだ。

 みている人々を惹きつける。


「えっ!?」


 美乃理の身体が揺らいだ。


 あの龍崎宏美という少女が、一瞬チラっと自分をみたような、そんな気が美乃理はした。


「きゃあ、今、わたしを見た」


 隣の麻里が嬌声をあげた。やはり視線をこちらに送ったことに気付いた。

 ほっぺに両手をあてて顔を紅潮させた。

 麻里は自分だと思ったらしい。


 だが、美乃理は確信していた。

(違う、今ボクをみた)

 龍崎宏美は今、確かに自分を見た。そして視線を送った。

 同時に何かのメッセージを送った


 わたしは美乃理あなたのことを知っている。

 あなたの正体が何かを知っている。


 

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