第20章「美乃理(みのり)と初めてのレッスン」①
違う……。
なんでだろう。なんか違う。
美乃理は何度も心で繰り返した。
稔が通った塾とはまったく違うのだ。
放課後行われる習い事。
だがこの新体操クラブの雰囲気は、違った。
集合の時刻を過ぎた。
いよいよ、始まる――。
「御手洗美乃理ちゃん」
「楢崎忍ちゃん」
一人一人、柏原先生が、名前を読み上げる。
そして呼ばれた順に、生徒となる子供は、体育ホールの中央に整列させらる。
受付を一人で済ませた美乃理も家族でやってきた忍も、その列の中に入れられた。
そして付き添いの家族関係者はその後方に固まって集められる。
最初は保護者へ向けての、簡単な挨拶があった。
クラブに申し込んでくれたことに対するお礼、謝辞。
続いて今後のクラブ活動の簡単な方針やガイダンスが行われる。
形式的な挨拶が終わると、親たちは隅に追いやられる。
脇で練習を見学するためだ。
そして、子供達の方はその間、期待と不安入り混じる顔でレッスン開始を待っていた。
それから妙な対抗心。
競争相手と共にしているような、楽しいだけでは済まない空気だ。
この空気、なんだろう。
クラスの子達と一緒にいるのとは偉い違いだ。
楽しく過ごすだけでは終わらない場所……真剣さがあった。
「あたし、朝比奈麻里。あなたは?」
すぐ隣にいた女の子が話しかけてきた。
子供ながら、目つきの鋭さ、言葉のはっきりした口調が印象的だった。
「え?」
長い髪は美乃理と同じだが、やや先っぽがカールしていて、そしてやや薄茶色。
「え? ボク、いや、わたしは、美乃理、御手洗美乃理」
とっさに自分のことを「ボク」といいかけて、「わたし」といいかえたが、きょどったのは隠せなかった。
「大丈夫? あんまりみんなの足を引っ張らないでね。ま、よろしくね」
口元は笑っているけれど、目は笑っていなかった。
この子、朝比奈麻里は花町小学校の子じゃない。
続いて忍も自己紹介をした。
「あたしは、楢崎忍。美乃理ちゃんと友達なの。あなたは……どこ?」
森山小という名前を口にした。忍はまだその学校を知らないようで、首を傾げた。
「結構、遠いんだね」
美乃理は知っていた。少し離れている学校である。
「車でママに送り迎えしてもらうことになってるのよ」
「それは凄いね」
「それは当たり前よ。ここの柏原コーチ、全国大会で優勝経験もある有名な選手だったのよ? ここで選ばれたら育成コースに進んで、新体操の選手として育てられるの」
だからわざわざ離れたところから通うことにした、ということらしい。
そんな凄い
「そんなことも知らなかったの?」
ただキッズコースで簡単な練習をする、とだけしか聞いていなかった。
「あたしは、ここでレッスンをして、選手に選ばれるのよ」
そういえば、さっきお母さん達の間でもそんな会話をしていたような気がする。
「へ、へえ……」
「あなたたちも選ばれたいなら、一生懸命練習した方がいいわ。選ばれるのは、一人か二人だって。あなたたちは?」
言外に、忍には無理そう、というちょっと底意地の悪い本音があるような気がした。
「あ、あたしは、無理かな」
やや残念そうな口振りで、忍はあっさり応えた。
元々忍は、ぽっちゃり体型で苦手意識の克服のために、このクラブに参加した。だからいさぎよく本音を言った。
「でも……きっと美乃理ちゃんなら選ばれると思うわ」
流石にこの子のもの言いにむっときたのか、麻里に言い返す。
そして、美乃理の手をぎゅっと握った。
「ね、美乃理ちゃんならきっと、このクラブの一番になれるわ――」
忍は、耳元で、ね、美乃理ちゃん、と返事を促した。
「え? う、うん」
「……そう、じゃあ頑張ってね、二人とも」
そういうと、麻里は一度ボクらを見つめた後、別の子に話しかけた。
「あの子……美乃理ちゃんを意識してたのよ」
忍は、麻里が去った後、ボクにそっと耳打ちした。
「え? ボク? シノちゃんじゃなくて?」
「違うよ、美乃理ちゃんだよお」
もう、気がつかなかったの? といいたげに、忍は呟いた。
「美乃理ちゃん、いかにも運動できそうだし、体細くて可愛いし……絶対、美乃理ちゃんをライバルだと思ったんだよ」
ライバル? この新体操クラブで、まだ始まってもいないのに、もう争いがある?
「美乃理ちゃん、頑張ろうね」
言外にあの子に負けたくない。でも忍だけでは対抗できないから、美乃理の力を合わせてやりたい、とばかりに手を握り、体を寄せてきた。
「美乃理ちゃんと一緒で良かった――」
そして。
レッスンが始まった。はじめは準備体操からだった。
ジャージを脱ぎ、着替えるように指示され、みなジャージに手をかける。
皆本とんどあらかじめ着てきていた。美乃理もそうだった。
「あ、可愛いね」
お互いに言い合った。
次々にレオタードに包まれた小さな体が現れる。
体育ホールが、色鮮やかな色彩に彩られる。
レオタードを着た少女たちで埋め尽くされた。
みんなお互いの姿をみやり、また自分の体をみている。
ジャージを脱ぎ捨てた美乃理も、レオタードに包まれた姿になる。
少女たちの中に混じって、その小さな体を晒す。そしてすぐに恥ずかしさで身を縮ませる。
「うう」
広い場所で沢山の人がいる中でこの姿になるのは初めてだ。
「わあ、可愛い……美乃理ちゃん」
すぐ、横で、忍の呟きが聞こえた。
「シノちゃん……」
忍もあらかじめ着ていたようで、ジャージを脱ぐと。すぐにレオタード姿になった。
忍のレオタードは水色である。
忍もいつもと印象が違って見えた。
あまり意識していなかったが、忍もいつもの何倍も可愛いくみえる。
他の子も……そうだ。
皆さっきまで普通の女の子の集まりだったのが、レオタード姿になった今、何よりもきれいで愛らしい姿となっていた。
皆まだ子供で、どれもまだ女性らしい身体の特徴は無い。
胸も腰も、お尻も小さい子供の体。
しかしレオタードに包まれたその姿は何倍も可愛いかった。
そして、美乃理も、その中の一人だ。
やはり小さな女の子の体でレオタード姿。
スカートがひらひらと腰で揺れる。
「まずは体を柔らかくしましょう」
早速練習開始。皆、並んで柔軟体操。
足を開いて、床に体をくっつける動作をする時だ。
そこかしこで、一生懸命体を折り曲げようとする少女たち。
一心不乱に取り組む。
「いたた……」
体が固くて、上手くいかない忍に、柏原先生は優しく、背中をさすった。
「あら、美乃理ちゃん、素晴らしいわ」
難なく床に体をぺたんとくっつけた美乃理をコーチは賞賛した。
徐々に動きのある動作が多くなる。
二人一組になったりステップを踏んだり、片足で、バランスを取ったり。
裸足で動き回る。
その中に美乃理もいる。
「みんな、さんはいで脚を大きく上げて」
パン、パン、パパン。
手拍子のリズムに合わせて体を動かす。
みんな一斉に同じ動作をする。
美乃理は、心の中で妙なすがすがしさを覚えた。
恥ずかしさはまだあるが、皆で同じことに取り組む。
ちょうど片足をあげたり、ジャンプをしている時だった。
ふいにカシャっという音が聞こえる。
その方をちらりと見たらカメラを構えている親子がいた。
さっき会った忍の両親だった。
写真を撮っている。昨日美乃理の父がそうしていたように。
「パパ! あたしのパパだ。もう……」
忍が小さく呟いた。
忍の母も、赤ん坊を抱きながら、こっちに向かって手を振っている。
多分このアングルだと、美乃理も入っただろう。
可愛いよ忍、綺麗だよ忍。そんなふうに、忍の両親は、言っているような気がした。
「後で美乃理ちゃんにも、撮れた写真、あげるね」
そっと呟いた。
「ありがとう……」
そして不思議に感じた。
こんなピンクの衣装を着ているところを、みんなが見ている。
しかも体の線はくっきり。
スカートはついているけれども、太股丸出し、お尻も見えてしまう。
だが悪い気はしなかった。
このドキドキは、ゲームや漫画読んでいるときにはなかった。
(なんだろう)
この爽快な、気持ちよさは。
その胸の鼓動は、かつてあの時感じた鼓動とは、全く違う。
店のものを盗りスリルを味わった、あの時の黒い快感とは違う。
もっとさわやかで心地よい。
気持ちが澄んでいく。
受験による孤独で、心の底に澱のようにたまっていたものが、吹き払われていく気がした。
すぐ横でややぎこちなくも、必死に動作をする忍に何気なく視線を向けた。
忍が微笑んだので、ボクも微笑み返した。
少女たちの情熱に美乃理も染まっていく。
(高梨先輩、三日月先生)
美乃理は心で呟いた。
ポニーテールの髪が揺れた。
(まだ始まったばかりだけど、ボクは、今、新体操しています。約束通りに)
大きくあげた足でスカートがひらりとめくれる。
ボクは今、レオタードを着ています。
そしてステップをリズムよく踏んで、可愛いポーズを決めた。
自分は今、まぶしく尊い、少女たちの情熱がほとばしるあの舞台と同じ場所に、たっている。
そしいつか、正愛学院新体操部の先輩たちがいた、あの場所に向かうために歩みはじめた。
(待っててください)
まだ小さな体と足を、美乃理は、一生懸命に動かす。
美乃理の着ているレオタードが、汗で湿っていく。
レッスンが行われている練習場は、熱気に包まれていく。




