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第2章「稔(みのる)と体育館の少女達」



 稔はついてこいという三日月の言葉に従い職員室を出た。そのまま校舎を出て長い渡り廊下を渡ってゆく。

 どこへ行くのか、という質問も今はできなかった。今の自分には従うしか選択肢がない。

 ふと外を見ると既に人影もまばらだが、夕焼けに染まったグラウンドではなおも部活が続いていた。

 野球部、サッカー部。あるいはテニス部……。

 どこへ行くのか気になったが、今の稔には問いただすような立場ではなかったので、黙ってついてゆく。


「着いたわ、ここよ」

「ここ……ですか?」


 稔にはまだ見当はつかなかった。

 たどり着いたのは、体育棟のある一つのホールだった。

 ドアの前には第二ホール、と書かれている。

 正愛学院の体育館は特に大きく、設備も充実しており大小のホールや小さな練習室がいくつもある棟となっていた。

 一番大きな第一ホールは、体育の授業や生徒を集めた集会を開くときなどに使われ、放課後にはバスケ部、バレー部など活発な運動系の部活動が共同で使用している。

 だが第二ホールは記憶がない。一体何をしているのだろうか。

 三日月は、その体育館の入り口の大きな戸を開いた。

 ギィ、と音がたつ。


「!?」


 途端に薄暗い廊下にまぶしい光が射し込む。

 思わず稔は目を瞑った。


「イチ、ニ、サン、シ」

「それっ」


 耳に飛び込んできたのは飛び交う甲高い声。

 そして、むせかえるような熱気。


「こ、これは……」


 見開いた目に飛び込む光景に稔は言葉を詰まらせた。

 眩い光に映し出される体育館内は、沢山の人影が激しく行き交っていた。

 目を引いたのは、飛び回る女子生徒達だ。いずれも稔と同じ年頃である。

 リボンや、バトン、ボール、おそおその手具を持ち 大きくステップを踏んだりジャンプを繰り返している。

 レオタードに包まれた思春期の肉体を使い、体育館の中を激しく舞っている。

 また、何人ものジャージ姿の少女たちが、その脇でストレッチや柔軟体操に励んでいる。


「稔君、ここはね正愛学院新体操部よ」


 勢いにしばし言葉を失っていた稔に、三日月はようやく語り掛けた。


「し、しんたいそう?」

「正愛学院新体操部は、創立以来の伝統ある部なの。普段はこの体育館の練習場を拠点に活動していて、今は部員は24人。毎年色んな大会で入賞や上位に入る強豪なのよ。知らなかったかな?」


 ばつが悪そうに稔は首を振った。


「知りませんでした……」

「まあ、稔君が知らなくてもしょうがないか。あ、でも女子生徒で入学してくる子たちの中には、うちで新体操をやりたくて、入ってくる子もいるくらいなのよ。うちの学校、今は共学だけど、昔女子校だったのは知ってる?」

「あ、はい、それは知ってます」


 一応生徒手帳の学校の来歴を目にしたことがある。


「今は随分マンモス校になっちゃったけど、昔はもっとこじんまりして、穏やかだけど熱い女子校で、新体操部が強いのはその時の名残なのよ」


 三日月は、戸惑う稔を体育館へ招き入れ、

 少女達が練習に励む脇を歩いていく。


「お疲れ様です! 先生!」

「頑張ってるわね、あなたたち」


 すれ違うと元気の良い挨拶を投げかけられる。

 そして珍しそうに隣にいる稔に視線を向ける。その純粋な視線に耐えられなくて思わず目を逸らした。


「例えば……ほら、稔君、あの子を見て。あの子、あなたと同じ学年の子」


 体育館の中央にいる一人の女子を指し示した。

 スカートのついた水色のレオタードに身を包むその少女は、

 練習場の中央部にしかれたマットの上で舞っていた。


 手に持ったリボンが体の動きに合わせて、様々な形に変化する。

 まるで生き物のようだ。

 優雅に舞う。時に柔らかくしなり、時に激しく床を蹴って跳躍。


「綺麗……」


 その優雅さに、思わずため息をついた。

 そして、眩しかった。

 暗い、日陰の陰気さに覆われている今の稔にとっては、少女が眩しかった。


「あの子は高山沙織さんよ。あの子も小さな頃から新体操やっていて、うちの部に入りたくて入学したのよ。進学実績も良くて新体操部もできる学校っていったらうちぐらいですもの」

「部活のために学校を選ぶ……? そんな……」


 勉強以外のことで、学校を選んで進学するなんてことは、ただ進学のための進学だった稔にはショックだった。


「高山さんは来週の大会にでる予定よ。大会前の練習だから、気合いも入ってるのよ」


 短い見学の後、体育館の裏にある部屋へ通された。

 体育館の喧噪が遠くに聞こえる、薄暗い部屋の中で、再びパイプ椅子に二人で向き合って座った。


「ここは、新体操部の部室よ、特別に入室を許可するから気にしないで」


 稔は、戸惑いながら見渡した。

 本来ならば絶対に入ってはいけない場所のはずだった。いくら顧問の三日月先生の許しがあるとはいえ……。

 古びたロッカーが所狭しと並び、女子部員の着替えた制服や、鞄が雑然と並べられている。

 中には脱ぎ捨てたスカートやら下着もちらちら見えたりしている。

 おそるおそる稔は口を開いた。


「そ、その……何でここに連れてきたんですか?」

「ここには、あなたに、必要なものがあるの。あなたを本来の正しい道へ導く道しるべがね」

「よ、よくわかりません、どういうことですか?」 

「そう、新体操部に入りなさい」

「えぇ!」


 予想もしない言葉に稔は声を上げた。


「ぼ、僕が?」


 みのるは部室のドアの方を見た。

 壁とドアで何も見えないが、その向こうの廊下を隔てた先には、相変わらず新体操部の練習が行われている。


「その通り――といいたいけれど、流石にそこまでは言わないわ」


 ほっと胸を撫でおろす稔に、三日月が笑った。


「一ヶ月。一ヶ月ここに出入りしてあの子たちと行動を共にしなさい」

「で、でも何を……一か月もするんですか?」

「部室、道具の管理、生徒会への活動の報告や会計、ようするにマネージャーね」


 二人以外は、静かだった部室に威勢のよい声が響いた。


「しつれいします!」


 一人の女子生徒がジャージ姿で部室に入ってきた。

 結わいた後ろ髪が揺れている。


「稔君、新体操部の部長の高梨礼華さんよ」


 三日月は、入ってきた、元気の良い女子生徒を紹介する。


「ああ、この子がさっきお話のあった……」


 その女子生徒、高梨礼華は、椅子に座った元気のない男子をまじまじ眺める。


「ええ、そうよ。こっちは御手洗稔君。後はあなたに任せるわ」

「はい、先生。後はお任せください」


 そう言うと、三日月は立ち上がると、部室を去っていった。

 去り際に、一言稔の耳元でささやいた。


「頑張って、稔君――」


 そして新体操部部室に残された男子と女子、礼華と稔。

 礼華が手をさしのべた。


「よろしくね、御手洗君」


 にっこりと笑った屈託のない笑顔に、少し気持ちが和らいだ。

 終始不安げだった稔に、やや落ち着きが戻った。

 そしてその差し出された礼華の手を取った。

 あったかい、稔は思った。


「ほら、ここが道具入れよ。手具とかバトンとかはここに閉まって鍵をかけるの。うちの部活ではまだ無いけど、盗難とか不審者が入った事件がないわけじゃないから、忘れずにお願いね」


 礼華は、一々部の内容を説明していく。

 一番端にある古びたロッカーを開ける。

 そこには、ファイルやノートがあった。


「ここに部の管理記録や、会計簿もあるから、それから日誌の書き方も覚えてね。欠席者、全体の練習内容と各個人の記録……」


 1つ1つファイルを開いたり、ノートを捲り、みのるに部の事務内容を丁寧に説明していく。


「あら、どうしたの?」

「そ、その……いいんですか? 男子の僕が……部に出入りするなんて」


 みのるは戸惑った。先輩の礼華が一切稔みのるをいぶかしむ様子も無く、部に招き入れているからだ。


「詳しい事情は聞かないわ。それに、うちの部は昔からあなたのような子を受け入れてきたの。だから私も皆もそのことは承知してるから気にしなくてもいいのよ」

「昔から?」

「ええ、情熱を失った子、きちんと学生生活を送れなかった子。特に最近はそういう生徒が多いって……。三日月先生は、いきなり共学化したり、急激に進学に力を入れたりした弊害だって。生徒のケアが行き届いてないからだって嘆いていたわ」


 そして取り出した記録簿や書類などを、引き出しにしまうと、高梨先輩は僕をみつめた。


「御手洗君、君は特進コースの子だよね。進学校のうちの中でも特に偏差値は高くて、有名大学に行く子が大半……男子が多いのも特徴だったわね」

「は、はい……そうです」


 正愛学院で最も偏差値が高く成績優秀である特進科。入学した頃は誇らしかったこの名称。でもいつの頃からか負担になっていった。


「凄いわ、きっと勉強頑張ったんだと思う。でも……私たちは特進コースをなんて呼んでると思う?」

「え……僕らのコースを?」


 首をかしげた。周りからの評判なんてみのるは気にしたことは無い。何故なら特進コースは、正愛学院高校で一番偏差値が高く入るのが難しいからだ。そしてもっとも誇りあると思っていた。


「「灰色コース」って呼んでるのよ」

「は、はいいろ?」

「そう、灰色。部活に入らない子が大半。一度しかない学生生活のほとんどを勉強、試験、成績で過ごすから、そう呼ぶの」


 ショックだった。

 むかし、入学したての希望に満ちていた頃に、言われたら顔を真っ赤にして反論しただろう。

 だが、稔がうつむいたのは、その指摘はまさにそのとおりだった。

 毎日成績、試験、偏差値を気にして、土日も休みなく明け暮れる……。

 いつしかそのことが辛くなっていた。

 でも周囲の期待に応えるために続けた。

 落ちこぼれた今となっては何もかもが空しく思われた。休日も放課後も塾、模擬試験に明け暮れた日々が――。


「ごめんなさい、でもあなたは今三日月先生に見出されたの。もう一度新しいあなたに変わる、今はそのための修練に期間よ」

「は、はい」


 もう一度礼華は笑顔を向けた。


「信じなさい、御手洗君」


 礼華が肩を叩いた。

 そして残る説明を受けた。その他の戸締り、後片付け。

 その後、一通り説明が終わった後、部員を集められて紹介された。


「皆、今日からマネージャーをやってもらうことになった御手洗君よ」

「あ、あの、御手洗です、よろしくお願いします」


 皆興味深々、好奇心の目。

 女子の視線を一身に浴びる。


「よろしく!」

「よろしくね、御手洗君」


 屈託のない笑顔に囲まれる。

 最初は不安げにしていた稔も、徐々に緊張がほぐれていった。


「よ、よろしくお願いします」


「彼女いるの?」

「君って童貞?」


 敦子と名乗るショートカットで体格の大きい子などは、あけっぴろげに聞いてきたりもした。

 その物怖じしない質問に、稔は目を白黒させた。


「こら、くだらないこと聞かないの」

「えー、いいじゃないですかぁ」


 その日から、稔はマネージャーとして、新体操部員に加わった。


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