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第19章「美乃理(みのり)と初めてのレオタード」

 花町センタービルは、駅前の一等地に再開発で建てられた高層ビルだった。

 稔がちょうど小学一年生の時に、派手にオープンした施設で、中にはスーパーやテナントのショッピング、飲食施設があり、さらには市民ホールや、会議室、スポーツジム、プールなど体育施設もあって、この町一番の豪華施設だった。

 オープンと同時に様々な店が入り、同時に施設を利用したカルチャー教室やクラブなども多くできた。

 橋本さやかが通うスイミングスクールも、この時にできたプール施設を利用するもので、さやかはそのオープンとほぼ同時にスクールに入塾したのだ。


 実はみのるが中学受験のために通うことになる進学塾も、もうしばらく後にこのビルにできるのである。

 やがて五年十年経過すると、いくつかの店は不景気と共に閉店してゆく。オープン時に比べて随分空き店舗が目立ち、店舗街は閑散とするようになっていったが、それでもみのるが正愛学院生だった時も、そのビルは相変わらず町のシンボルとして存在していた。

 そして、そこに新体操クラブがあったことは、みのるは知らなかった。




 そういうわけで、ビルは勝手知ったる場所ではあった。

 その二十階建ての、大きな建物を美乃理は今見上げている。


(先生……ボク、ここへ来ましたよ)


 心の中で呟く。

 美乃理は緊張で一度赤いジャージを着た体を震わせた。

 そして足を踏み出した。

 新体操教室が開かれる花町センタービルのスポーツセンターへ向かう。

 

(いよいよ……本当にボクが)


 今日は初めてのレッスンの日。

 そっと胸に手をあてた。

 胸がドキドキしやすくなったのは、新しい環境のせいか。

 それともまだ小さな女の子の体だからか。

 スカートを穿くのも髪型を整えるのも、多少は慣れたと思っていた。

 今日は家を出るときから、ずっとこんな感じ。

 おまけにトイレにも行きたくなってきた。出るときに、してきたばっかりなのに。

 我慢していることがばれないように、気をつけているがそういう時、どうしても脚が内股になる。

 みのるの時には無かった癖で、女の子、美乃理になってしまった時からやるようになった癖だ。


(体が違うんだろうな)


 いつまでもこうしていられないので、意を決して、ビルの中へと踏み出した。


 自動ドアを抜けて、ビルのエントランスホールに入ると行き交う人々の雑踏が耳に入った。

 この間、オープニングセレモニーで大々的にオープンしたばかりで、どのお店やテナントも、華やいでいて新しい匂いを感じさせる。

 洋服の店、書店、いくつもの飲食店。

 向かうのは、さらに店舗のある区域より上の三階だ。

 そこにプールや体育ホールなどのスポーツ施設があった。

 美乃理は、そこへ向かうエレベーターの前で立ち止まった。

 そして、乗る前に、昨日のことを美乃理は、思い出す。






「美乃理、ほら。こっちにいらっしゃい」


 リビングに向かうと早めに帰ってきた母が、透明のビニール袋に入った衣装と書類を手にしていた。


「コーチの柏原先生と少し手続きの時に話をしたんだけどね、とてもよい人だったわ。これから美乃理をよろしくお願いしますって言ったら、丁寧にしてくれて……」


 柏原新体操クラブへ入る手続きをした母さんが、見聞きしたことを話してくれた。


「他のこともやらせるつもりだっていったけど……、全然大丈夫っていってくれたわ」


 手続きついでに、レッスンのコーチと色々と話し込んだようだった。

 

「美乃理がチラシを見てやりたいっていいだしたこととかを話したら喜んでくれたわよ。先生も美乃理ぐらいの小さい頃から続けてて大学も新体操部だったとか……」


 母とは、気が合う部分があったみたいで、話は他にも飛んでいたようだった。


「キッズコースは、心身に女の子の可愛らしさを身につけるのと、運動することの楽しみを知るのが目的ですって。本格的にやるコースは、まだまだ上の学年の子向けだけど、別にあるらしいわよ」


 そして母は、持っているものを美乃理の前に置いた。

 赤いジャージと、そしてピンク色の衣装。


「これ……」


 包装を開封して、折り畳まれたそれを広げてみた。


「ええ。この間、サイズ測ったでしょう? 見てもいいわよ」


 特に美乃理の目に飛び込んで離さないのは、ピンクのそれ。

 レッスンに使うレオタードだった。

 普段着ている服とは様相が違う。

 それに材質。とてもスベスベで、着心地がよさそうでさらに伸縮性に飛んでいる。いかにもスポーツ用といったきめ細やかな生地でできている。

 ただ、スカートやフリルもついている。

 これを……ボクが着るの?


「美乃理、父さんと母さんにも見せてくれ」


 やはり今日は早く仕事から帰宅しており、テーブルに座って脇で美乃理と母のやりとりを聞いていた父、御手洗五郎。

 じっと聞き耳を立てていたのか、いつの間にか新聞は畳んで横に片づけて置いていた。

 心奪われたようにじっと見つめていた美乃理は小さく頷いた。


「う、うん……」


 そこで着ている服を脱いだ。

(どうやって着るんだろう)

 すると母がレオタードの上の部分を持って大きく開いてくれた。

 ここから足を入れなさい、と。

 その通りに小さな足をレオタードの上から入れる。そして体に引き上げる。

 袖の部分にも腕を通す。


「ああ……何だろう」


 着終わった途端、言い難い感覚に全身が襲われた。

 これまでみのるが、いや美乃理すらも着てきた他のものとは違う。

 パンツ、ズボン、シャツ、そして、スカートともまた違う。


 密着性のあるそれが軽く体を締め付ける。

 包まれている。

 胸も腕も、お腹、股間とお尻も。

 なんて、変な着心地。

 文字通り体が優しいものに包まれる感覚が体中からする。


「どう?」


 母が大きな手鏡を持って美乃理に向けた。


「うわ……」


 鏡に映ったのは、鮮やかに映えるピンクに包まれた少女だった。

 レオタードの生地が美乃理の体の輪郭を映し出す。

 くっきり現れる。

 そして、スカートといっても短く、腰の辺りでひらひらと揺れ股間の部分や小さなお尻も見えてしまうのだ。

 

「違う」


 レオタードを着た美乃理は、これまでに見た美乃理よりも可愛かった。

 初めて自分で自分を可愛いと思ったかもしれない。

 しばし自分に魅入ってしまい、鏡から目を離せなかった。

 恥ずかしそうに、けれど、どことなく喜びが混じった少女の表情を……。


 女の子は服で印象が変わることはなんとなく感じていたが、今度のレオタードの印象は、これまででも最大の者だった。

 まるで自分が妖精に変身したみたいだった。

 春の花園で無邪気に舞う妖精のよう。

 本当にこうしていると、踊りを踊りたいような気分になってくる――。

 だめだ、それはまた今度のレッスンの時。


「まあ、綺麗――」


 父も母も、美乃理をじっと魅入るように見つめた。


「やっぱり新体操をやらせてみてよかったな」

「美乃理が女の子で良かったわ……」


 ため息をつきながら母が、あんまり自分をみつめるので恥ずかしくなった。

 たぶん顔は真っ赤だろう。

 でも、変だった。

 恥ずかしいけれど、逃げようと言う気持ちにならない。

 どことなく、このことを望んでいる、自分がいる。女の子になった自分をもっと見ることを求める自分がまたいる。


「美乃理、こっちを向いて」


 母さんの可愛い、可愛い攻撃に、やや俯いていた美乃理は呼ばれて振り向く。

 気がつくと、父さんがカメラを持っていた。

 アルバム写真によく使われた父さんのよく使った一眼レフカメラ。

 それを美乃理の方に向けていた。


「!?」


 カシャッ


 次の瞬間にシャッターとフラッシュの音が鳴った。

 不意打ちだった。





 まったく……。

 昨日のことを思い出して美乃理は一人ごちた。

 写真を撮られたのは予想外だった。

 まだ心の準備ができてなかったのに……。


 やがて到着したエレベーターに美乃理と一緒に後ろから乗ってきたのは、明らかに同じ新体操教室と思われる女の子たちだった。

 母親と父親とおぼしき人につれられている、幼い女の子が。

 見たことはないので、別の学校の子だろう。

 美乃理の方をチラっとみたが――

 相手の子も緊張しているのだろうか、すぐに視線を逸らしてしまった。

 その子の母と目が合ったのでぎこちなく会釈した。


「一人できてるの? 偉いわね」 

「あ、はい」


 エレベーターを降りると、どこでレッスンをやるのか迷うことはなかった。

 もう目の前には、おそらく新体操クラブに参加するであろう親子が屯している。


 スポーツセンターのエントランスで母親同士が挨拶をしている。

 化粧の臭いが漂う。

 そして、その母親たちの傍らには同じジャージ姿の女の子たちがいる。

 チラチラこっちを見ている。

 きっと同じ教室の子だろう。

 緊張しているのは、同じようだった。


「見込みのある子は、個別にスカウトして本格的に、育成選手に育てるらしいわ」

「うちはとてもとても……」

「なんでも正愛学院の新体操部出身らしいわよ――」


 会話する母親らしき集団の間を縫うように、稔は進んでいった。


「あら、初めまして。あなたは……」


 入り口で一人でせわしなく子供のお母さんたちの相手をしているジャージ姿の若い女性がいた。

 よくみると受付らしき机も並べられている。

 柏原新体操クラブ受付と紙で張り紙がある。

 このスポーツセンターの体育ホールを間借りして、開かれる教室の受付だった。


「は、はい、あの、これ……」


 受付で、美乃理が鞄から、出したメンバーカードを差し出す。


「御手洗さんね。偉いわ、一人で来たのね、美乃理ちゃん」


 この人がコーチの柏原さんか……。

 思った以上に若い外見だった。

 生真面目そうだが、語り口は優しげ。セミロングの髪がさらさらで綺麗だった。

 先生、というよりしっかりした女子大生という感じだった。


「あっ美乃理ちゃん!」


 聞き覚えのある声。そして待ち望んでいた声だった。

 楢崎忍だ。

 振り返ると、さっき美乃理がやってきたばかりのエレベーターの方からやってきた家族の集団がいた。

 いかにも夫婦といった感じの大人二人。

 片方は体格のいいおじさんに、おっとりした雰囲気のおばさん。

 赤ちゃんを抱っこしている。この仲睦まじい二人は忍の両親である。


「こんにちは、美乃理ちゃん。いつも一人で偉いわ」


 初対面というわけではない。何度か遊びにいったりして顔を合わせたことがある。

 ただし、それは今の美乃理が目覚める前のこと。


「こ、こんにちは、シノちゃんのお母さん」


 美乃理が忍の母親におずおず挨拶する。


「こんにちは、美乃理ちゃん。いつも遊んでくれてありがとう」


 そして、忍の父親が美乃理をみつめながら、あいさつした。


「美乃理ちゃん、もう来てたんだ、早いねえ」


 忍はいつもの調子。まったく緊張は感じさせない。。

 新しい場に、やや心細さを感じていた美乃理は、安堵を覚えた。


「今日から、また一緒に頑張ろうね!」


 ぎゅっと手を握ったその忍の手が、より暖かく感じだ。

 もう初めてでは無かったのに。

 思わず美乃理も強く握り返した。


「うん、頑張ろう、シノちゃん」

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