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第162章「久しぶりの場所」

 やがて高速道路を抜けてバスは一般道へ。

 見慣れた景色が徐々に増えてくる。

 合宿というちょっと非日常な時間から、またいつもの日常に戻ってゆく。

 急に家族の顔が思い浮かんだ。

(帰ったら、なんて声をかけようかな)

 ただいま、お帰りのあとには、きっとどうだった? と聞かれる。

 美香も目を輝かせて、合宿で何があったか、聞いてくるだろう。

 あと三十分もしないうちに起こる出来事だ。

 そして、ようやく再び校舎まで戻ってきた。

 校門前から入って学校の駐車場に停車したバスから次から次へ降りる。

 各自持ってきた荷物の鞄やバッグを荷物室から受け取る。

 そして改めて整列した。

 引率の教師の諸注意。

 そして、部長からの一言。


「みんな、合宿、お疲れさまでした。また明日以降も練習、頑張りましょう。言われた課題、きちんと取り組むようにーー」


 引率した先生やコーチたちも無事に終わったことに安堵が見て取れた。


 明日以降の予定が伝えられる。明日はお休み。またお盆休みも挟むため、本格的な練習はそれ以降になる。帰省する子は各自課題や自主練習を与えられている


「では、これで解散します、気をつけて帰りなさい」


 顧問の挨拶で合宿の終了が告げられる。お約束の、帰るまでが、合宿だ、という言葉を添えて寄り道しないように、厳重に注意された。


「お疲れさまでしたー」


 部員たちは一斉に挨拶をして、疲れた空気を残しつつ散り散りに消えていく。

 家が近づくに連れて急に現実的なことが思い起こされる。

「やばーい。宿題全然やってなかったよ」

「あたしもまだ全然片づいてない……」

 夕焼けに染まる中、 ささやきあいながら皆ばらばらに動いてゆく。


「じゃあね、みのりん」

「さっちん、またーー」


 帰る方向が逆のさつきと別れる。


「またね、御手洗さん」


 後輩、上級生たちともあいさつを交わす。


「先輩、じゃあまた!」

「明日もよろしくお願いします」


 一々美乃理は返す。

 なかなか周囲に揉まれて声をかけられない様子だった今田和穂もまた返した。

(相変わらずだな……)


「あ、またね、和穂ちゃん」

「はい、先輩」


 ぺこり、と一礼をして去っていった。

 次々にさよならの挨拶を交わして帰途について行く。

 皆、大きな旅行鞄を重たそうに抱えつつ、疲れながらも充実した笑顔だ。


「じゃあね、美乃理ちゃん」


 宏美がこちらに手を振っている。

 自分を待っていたのだろうか、人気が少なくなってきた学校の駐車場にまだ一人佇んでいた。

 正愛の女子寮に寄宿している彼女はここからほんの数分先の寄宿舎に戻るだけだ。


「はい、宏美さん」


 そして美乃理は少し真顔に戻る。


「今日はゆっくり、休んでくださいね、宏美さん」

「あら、先に言われちゃったわね。調子が狂っちゃいそう」


 いつもは自分が言うべき台詞を先に取られた、と笑った。


「なんか気になったから……今日ぐらいは、やりすぎないようにした方がいいと思って……」


 妙に胸がざわつき言葉が出たから、とは言えなかった。


「美乃理ちゃんの貴重な忠告、気をつけておくわ」


 龍崎宏美も小さなバッグをかかえながら、踵を返す。もう一度こちらへ手を振った。そして寄宿仲間と共に会話を交わしつつ去っていく。

 その夕日に染まる背中を見送った。


 夏休み、その後に彼女が実家に戻るかどうかはわからないが……。


 何はともあれ、ようやく合宿が終わった。

 いつの間にか美乃理が最後の一人になっていた。

 もう暗くなり始めていたので、足を早めた。

 美乃理も家路へとついた。


「ただいまー」


 ドアを開けたとたんに漂う家の落ちついた匂いが懐かしい。

 目に飛び込んできたのは靴棚の上の百合の花が飾られた花瓶だった。

 母が仕事帰りに花屋で買ってきたであろう。

 先週まではマリーゴールドだった。

 このような母の心遣いは美乃理と美香の二人の娘のためのもの。

 若い少女たちが住まう場所を明るく心を癒すためのインテリア、飾りつけ。

 稔の時にはなかったものでもあった。

(ごめんね、母さん)

 自分がなかなかそういうものへの関心や気配りができないことに気後れしてしまう。

 一方でそうだ、これが自分の家の匂いだ。たとえることはできないが、どことなく落ち着く。 

 途端に、すぐに美香が飛び出してきた。


「お姉ちゃん、おかえりなさい!」


 まるで10年ぶりかというぐらいのとびきりの笑顔だ。



 そして美乃理に抱きつく。奥の方からテレビで子供向けの番組の音がしている。おそらく一人で遊んでいたのだろう。


「美香、いい子してた?」

「うん、してたしてた」 


 美香から幼い少女特有の甘い匂いが漂う。確かに美香だ。

 離れていたからこそ、確かに存在を感じられた。


「もう泣いて、母さんを困らせたら駄目よ」


 電話で泣き出したことを少し


「ううん、泣いてないもん!」


 少しむくれつつ、ちょっと恥ずかしそうにしていた。

 自らに弱い部分があることをうっかり美乃理にみせてしまった、泣き虫なところを……。

 だが。

 いない間に美乃理がいない状況にも馴れたのか、行くときの泣きそうな顔はみせていなかった。ひょっとしたら、また泣き出すと思ったが……。

 綺麗なはにかんだ笑顔を見せている。

 美香も少し成長したな……と思った。

 困難に直面した後は着実に克服していく。

ー美香は強くて力を秘めた子だー

 いつだったか、宏美が美香は美乃理に負けない才能がある、といっていた話を思い出した。

 そういえば柏原コーチもそんなことをいっていたように思った。


「ちゃんとお母さんのお手伝いした?」

「したよ、お掃除や後かたづけとかお洗濯とか……お姉ちゃんの言った

とおりに、いっぱいやったよ!」


 美香の力強く純粋なその言葉には偽りは全く感じなかった。


「そうだったんだ。えらい、えらい」


 ご褒美に美香の小さな頭を撫でた。幼い子供の綺麗な髪と肌が心地よい。

 嬉しそうに笑顔になる美香ーー。 


「お帰りなさい、美乃理」


 奥の方から夕食を作っていた母がエプロン姿で出てきた。

 仕事を早く切り上げて帰ってきている。

 美乃理の姿をみて、どことなくほっとしたような顔をしている。

 やっぱり自分が一人でどこかへ行って、そばにいないのは寂しさと不安があったようだ。


「お父さんももうすぐ帰ってくるからね」

「お母さん、あたしも手伝うよ。荷物置いたら、そっちに行くから」


 美乃理は荷物を抱えて自分の部屋へ向かった。

 カーテン、勉強机、ベッド、箪笥。そして壁にかかった制服。

 自分の部屋もなんだか、ちょっと自分の部屋ではない感覚がした。

 少しだけ離れただけなのに何故か懐かしい気がした。

 再び部屋を出て階段を下りる。

 キッチンへ向かう前に忙しそうにしている母の代わりに花瓶の水を換える。

 洗面台で水を捨てて新しく入れ替えて置きなおす。

 再びキッチンに入ると、母が夕食の支度でせわしなく動いている。

 美乃理も母の横へ並んで立った。


「あら、ありがとう。花瓶の水も換えてくれたのね」


 そしてお決まりの一言をもらった。


「どうだった? 合宿は」


 美香もこれから美乃理がするであろう話に聞き耳をたてている。 


「すごく楽しかったよ」


 積もる話の初めはその一言であった。

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