第160章「再会を誓って」
いよいよ最後の夜も深まっている。
花火も西瓜も終わって片づけをして部屋に戻るともう消灯時間が迫っていた。
寝て起きたら、もう明日は帰るだけ。
各自、部屋で就寝の準備をしていた。もう自分たちの部屋である感覚すらあった。
規則正しい生活が身について夜更かしをしようという部員はもういないのは一つの変化だった。
また、まだ帰らなくてもいいのに。合宿をまだしていたいという話題もそこかしこで聞かれた。
「皆、今のうちから帰る準備はするんだよ。帰りのバスに乗る直前になってあわてて準備しないように」
部長たちと一緒に美乃理も一年生たちに注意して各部屋を回った。
「こっそり残ったって駄目だからね、明日から別の団体がここを合宿に使うんだから」
あはは。という笑いの返事。
ああ、ばれたか。やっぱり駄目だって。
美乃理も 合宿部屋に戻り自分のベッドで寝る準備に取りかかる。
やはり名残惜しいものを感じていた。
ただひたすら練習に集中する時間は家にいるときはなかなか得られない。
美乃理自身も、予想以上に成果が得られた。
課題の克服、様々な人との触れ合い。
「凄い、御手洗先輩、まだ練習するんですか?」
ベッドの上で体を伸ばしてストレッチしている美乃理に部屋を訪れた一年生が目を丸くする。
「違うよ、みのりんのあれはクールダウンなんだよ」
さつきがかわって答えた。
首を傾げる後輩たちに、一日よく使った体にお疲れさまをする儀式であり、汗をかかない程度にする体操だと、さつきが説明をする。
「みのりんが怪我が少ない理由なのよ」
美乃理もコメントを加えた。
「そう、さっちんの言うとおり、怪我をしたら元も子もないからね」
周囲の部員たちも真似をしはじめる。
ついでに美乃理は家でやるときには教科書や宿題を傍らに置きながら、やってるのよ、と後輩に説明する。
「ほら、そこ、笑わない!」
後輩たちが苦笑した。そんな美乃理の姿をみたい、という。
「もう、そこまで言わなくていいよ」
美乃理もプライベートを晒されて気恥ずかしい。
ただ、後輩たちは スポーツをやりながらも、成績は悪くない美乃理が時間を有効に活用している様子を聞いて関心していた。
自分たちはどうしてもテレビやネット、スマホを見てしまうとぼやく。
「何々? なんの話をしているの?」
しみじみ話し込んでいる部屋のメンバーたち。
遊びにやってきた子たちにも自然に広がっていく。
つま先をもみほぐしたり、間接を回したり、自らの体を労る。
クールダウンも終えていよいよ就寝時間がやってくると、皆おしゃべりもそろそろ切り上げ、少しずつ周囲も落ち着きを見せ始めた。
「あ、お母さん、明日は帰るから。うん、とっても楽しかったよ。また帰ったら、話するから」
そして今日最後の電話連絡。
「美香は……そう、寝ちゃったんだ。美香も練習頑張ってるんだね。ううん、起こさなくていいよ」
携帯を鞄の中にしまうとベッドの前を影が横切った。
「ふわあ……おやすみ、美乃理」
清水敦子が欠伸をしつつべッドの上へ登ろうと梯子に手をかけている。
「あっちゃん。今日も何かあるなら、今から言ってね。寝不足になりたくないから」
合宿最初の日の夜のあれを思い出した。あれから敦子はいつもの調子だ。合宿中、これといって敦子からの特別なアクションは無かった。
ー敦子の道、宏美の道ー
冷やかしてるのか真面目なのか。
登りかけた手を止めた。
「……いやあ、あたしも流石にもう眠いからね、みのりんもゆっくりおやすみ」
パジャマがわりの袖のない白い無地の大きめのシャツ。
下もパンツのみ。
スリッパも脱いで裸足で登ろうとしている。
「さっさと寝るとするよ」
大きめのシャツなのでギリギリ隠れているが、大胆過ぎる。
ちょっと屈んだり、あるいは下からのアングルからだと見えてしまう。今も白いショーツが見え隠れしている。
でも敦子だから何も言わない。美乃理も周囲もそういう破天荒なところに慣れている。
(それにしても……)
敦子をそっと眺めた。
シャツを着ているが、胸の膨らみが揺れているのがわかった。ブラも付けていない。
美乃理は思った。
まだ中学生なのに思った以上に大きい。
敦子は見事だ。
体そのものが美乃理より一回り大きい。それに加えて胸の膨らみも、臀部も女性らしく大きい。
小柄、細身な子が多い新体操の中では、敦子はしっかりとした体つきで、女性らしい特徴も兼ね備えている。だが、体を縦横無尽に動かす新体操では、不利な面でもある。
にもかかわらず演技は美乃理たちにも引けをとらない。選手としては異質である。
敦子本人もよく苦労を口にして隠さない。
練習の時はサポーターでしっかり抑えているが、胸が重たくて仕方ないとしょっちゅう漏らしている。
(すごいな、あっちゃんの体)
梯子を上ってゆく敦子を下から見上げる。
覗きこむ様なことはしないし、ジロジロ嫌らしく見たりはしない。が、今は同じ女の子として、その体の見事さに魅入ってしまう。
昔の稔のように、ちらちらと、それでいてしっかり見てしまった。
「んー? 今の視線は何かな? みのりん」
敦子がその視線に気付いてしまった。
「あ、違うって」
しまったと思ったが、もう遅い。
目を細めてにやにや笑い出した。稔の頃を再現させる、からかうような笑いだ。
上段ベッドに上りかけていた手を止めて、わざわざ引き返してきた。
「いいっていいって。言い訳は。変わらないねえ、みのりんは。そういうところ、好きだよ」
「もう、これも昔の続き?」
これもまた昔と同じだ。
稔の時に絡んできていた続き。昔と変わらない。
「そうだよ。だけど、今は思う存分に楽しめるよ。女同士――なんだからさ。気兼ねなく、ほら。なんならあんなことやこんなことも」
わざわざ自分の胸を持ち上げて寄せる仕草を目の前でされた。
「馬鹿言わないでよ」
「お、稔もいっちょ前に、言うねえ」
他に聞こえないように小声で囁いたのに、大声を出された。
しかも「稔」の部分だけ強調して。
あの頃の敦子から呼ばれる稔の名は美乃理にもちょっとドキッとさせられる威力を持っていた。
「ちょ……」
慌てた美乃理。辺りを伺う。良かった。誰も気づいていない。
「みのりんは、昔と相変わらずで安心したよ」
「もう……」
「じゃあ、あたしは今度こそ寝るからね、ふわ……」
そして今度こそ梯子を上っていった。また敦子に一本取られた。
ごそごそと寝っ転がる音がした。
翻弄されて、冷や汗をかいてしまった。
そのまま美乃理もベッドに寝ころんだ。
「あっちゃんも……敦子さんも変わらないな」
寝ころんでいると、そのまま眠りがやってきた。
その夜は誰よりも早く寝てしまった。
翌日。
「おはよう、みのりん」
「うん、いこうか」
まだ暗い部屋で小さく囁き会った。
前夜、さつきと話していた。
一緒に早起きして、最後の朝の空気を吸おう、と。
もう今日で終わりだ。
上段ベッドの敦子をそっとみたが、大胆に大の字になって寝ていた。
(うん、今度はばれてないかな……)
静かに着替え、部屋をこっそり抜け出した。
まだ誰も起きておらず、廊下も人気はなく静かだ。
外へでると、朝の霧が立ちこめていた。
施設にある散歩コースを歩く。
まだ時折コオロギや、フクロウの鳴き声が森の奥から聞こえる。
山の上が徐々に白々としてきて、草むらの朝の露が輝きだした。
「きれいだねー」
「うーん。この綺麗な空気ももう今日で終わりかあ」
遠くの山々に霧が深くかかっている。
景色を眺めていると後ろから声がした。
「あ、おはよう、美乃理ちゃん」
「おはよう、御手洗さん」
亜美も朝早く起きて散歩していた。ジャージ姿で早川さんと一緒に歩く。
「やっぱり同じこと考えるんだね」
お互いに笑った。
「また別れちゃうなんて信じられないな」
「あたしもだよ」
明日も一緒にいるような気がして、だが、明日からはまた遠く離ればなれだ。
「亜美ちゃん、元気でね」
「美乃理ちゃんもね」
隣にいた早川さんがちょっとジョークを飛ばす。
「次に会うときは……ライバルだからね。ひょっとしたらうちら、怖い人になってるかもしれんよ」
ちょっと目をつりあげる。そしてちょっと関西の言葉になっている。
「はは、優しくしてね」
もちろん本気にはしない。
「絶対に正愛も美乃理ちゃんも、全国大会に来てね」
「もちろん――」
去り際、亜美と、早川さんとも握手をした。
今日の別れは涙や悲しいことはしたくなかった。
お互いに決めていた。遠く離れるが、新体操をしていれば、また再会できるとの思いがあるからだった。
午前に軽く練習をした後に昼食を取り、いよいよ合宿所を出発する準備にかかる。
全ての日程を終えて、全ての学校が集合し、合宿の終了式を行う。
ここでの経験を生かし、また大会で会ったときは競い合おう、と誓い合った。
施設の人にもお礼の挨拶をする。掃除や食事への感謝も添えた。
また来年もここに来てほしい、と言われて、みんなで、はい、と返事を返した。
夏の住み込みのバイト学生たちにも、お礼をする。
「また会おうね」
「あ、これあたしの連絡先」
持ってきているスマホの画面をみせあう様子がそこかしこでみられていた。
「練習でもし悩んだところがあったら、遠慮なく聞いてね」
「うん、お願いするね」
他の学校の生徒たちと打ち解けた生徒はそれぞれ、早くも交流を始める。
美乃理も亜美だけでなく、他の学校と親しくなった子たちと連絡先を交換した。
「また、会おうね」
「うん、大会とかでね」
合宿で練習によるスキルだけでなく多くの成果を得た。一緒に切磋琢磨する仲間たち。
確かな手応えを美乃理たちを始め合宿に参加した生徒たち皆が、感じていた。
「じゃあね!」「元気で!」
美乃理たちが乗り込んだバスが施設から出る時、後から出発する王鈴の子たちや他の学校の子たちが元気に手を振っていた。
バスの中の正愛の部員たちも窓から身を乗り出して大声を出して手を振った。




