第153章「夏のもう一つの記憶」
合宿も佳境に入った。
文字通り 新体操三昧であったが、皆それぞれ確かな手応えや成果を感じていた。
そして一日の練習を終え片づけをして、宿舎に戻る。
「みんな、お疲れさま」
美乃理も、一緒に屋内練習棟を出て渡り廊下を渡っていく。その途中、玄関口の前を通り過ぎたときに、施設の掲示板に、今後予定する団体利用者の一覧があった。
興味深そうに眺めている子たちが何人かいた。
「あ、見てみて、ほら」
女子中心の合宿と入れ替わるように、男子の団体も翌週から集中していた。
知っている学校、聞いたことのない中学、高校、そして大学。いろんな学校のサッカー部、陸上部。サイクリング部。等々。
「あ、これ。見てようちの学校だよ」
一人が正愛学院野球部を見つけて指をさした。
「本当だ。来てるんだね~」
「ああ、うちのクラスにいる部員の男子が言ってたよ。同じ場所で合宿だって」
ちょっと珍しいものもあった。どこかの学校の書道部とある。
「どんなことやるんだろう」
ひたすら筆と墨を使って書いている姿をイメージする。
「やっぱり気分が違うのかな」
どこかの天文部なんてのもあった。一つ二つではない。きっとここの星空ならいい観測ができそうだ。
「天体観測なんて、楽しそうだね」
「ここから見える星、綺麗そうだねえ」
美乃理も嫌いではない。望遠鏡を囲んでいるその光景が目に浮かぶ。綺麗な空気に澄んだ満天の星空。確かに楽しそうだ。
美乃理もその楽しそうな声につられて足を止めて眺めた。
「あ、先輩、見ますか?」
下級生たちが気づいてかしこまる。美乃理のために隙間をあけてくれた。
「あ、ありがとう。今年もいろんなところが来てるんだね」
美乃理も掲示されている内容をじっと眺めた。この巨大な宿泊施設に沢山やってくるであろう中高生、大学生たちを思い浮かべる。
「はい。ここって本当に有名なんですね」
「施設が充実してるからね」
それから外と隔絶されていることも。本当に何かに打ち込むことができる環境である。
そしてまた掲示物を再び眺めた。
「あ、これ……」
一つのとある団体の合宿に目がいった。
「英明進学塾グループ、夏期合同合宿ツアー」
と書いてあった。この学習塾の名前は知っている。
最大手の進学塾の1つ。そしてこれは明らかに受験合宿だ。
同時に昔のことが急に思い出していた。
美乃理というか稔は、こういう合宿は初めてではなかった。
あれは小学六年生の夏休み。
かつて通っていた進学塾の合宿に行ったことがあった。
やはりバスに乗って他の受験生と一緒に、宿泊所で数日を過ごした。
入所するときに「絶対合格するぞ、オー」のかけ声をさせられた。
その時は、ただ缶詰になって寝ても覚めても講師の授業と、テスト。
そしてひらすら自習。
宿泊所の会議室に並べられた勉強机に詰め込まれたことしか覚えていない。
そして終わったら、絶対合格のハチマキを渡された。
「そんなこともあったっけ……」
合宿。進学塾。
綺麗な青い景色と暑い夏。
バスにつれてこられてきた子どもたちの、生気の無い顔が瞼に浮かぶ。
広間に机が並べられて缶詰になって受験勉強、必勝とか絶対合格のはちまきをしている生徒達。
クーラーの音だけが静かに響く。時折かりかりとシャーペンの音が聞こえるたびに神経が削られてゆく。
「あ、こっちもみて。これ。受験合宿だって」
他の子も見つけてしまった。
「ここまできて受験勉強って、なんか、可哀想だねえ」
「こんなところにまできて部屋に閉じこもりっぱなしってねえ」
他の子は無邪気に笑っていたが、美乃理は笑うことができなかった。
あの時はこれは当然のことだと思っていた。
受験に挑戦するために必要なことなのだから、と。
まさか新体操にきている少女たちに笑われているなんて思いもしないだろう。
そんな汗と笑顔に満ちた世界があることすら知らない。
「でも、あたしたちもそれって同じだよね。ここでずっと練習ばっかりで」
「えー、ぜんぜん違うよ。がり勉君と一緒にしないでよぉ」
(確かに違うよね……)
あの受験合宿の時のことはほとんど覚えていない。
思いだそうとしても何もでてこない。
こんなふうに笑ったり、自然や景色を眺める気持ちの余裕なんてのもなかった。そして辛口なおしゃべりをすることもなかった。
「不思議だな……」
一方で今は同じように合宿でひたすら新体操の練習に明け暮れているのに、どんよりとした、心の雲は無い。
今の自分、昔の自分。美乃理と稔。
きっと自分のすすむべき道を歩いていることの安心感なのかもしれない。




