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第151章「冷たい予兆」

 そこまで話をして宏美はちらりと時計を見た。

 食堂ではまだ他にも合宿生たちが同じように談笑している。


「最近は父の女癖も少しは、ましになってるの」


 宏美は腕を組んで美乃理を見つめた。

 おどけた笑みを浮かべたその顔は晴れやかだった。


「どうもわたしは母の面影そっくりみたいで、父もわたしをみたら、放蕩癖も抑えざるを得なくなったみたいなの」


 宏美の無言で向けられる視線は、壊れかけていた父の奥底に、まだ残っていた良心の呵責を引き出した。 

 龍崎グループを背負う必要はない。家は男子が継ぐと代々決まっている。


「弟には申し訳ないけど、頑張ってもらわないとね。わたしがやるはずだった役割を押しつけてしまったから、申し訳ないとは思ってるわ」


 宏美はそこでふふっと笑った。つられて美乃理も笑った。

 家庭教師を四人もつけて、入れさせる様子だ。麗光付属小から中学、高校まで。かつて自分が辿った道を歩む。

 龍崎家の男子たる帝王教育を徹底して受けさせられている。


「それが宏美さんの道……ですか」


 美乃理には、なんとなくわかったような気がした。

 家の事情などはもう今は関係ない。あくまでも、自分の意志で新しい今を歩いている。


「一緒にやることってできないんですか? 敦子さんがやりたいことと、宏美さんがやろうと思っていること、どっちも……」


 せめて、自分が間に立つことができないか……。今こそ自分が敦子と宏美のために動ければいいと思う。

 だが宏美は静かに笑うだけだった。


「美乃理ちゃんが、それをできるというなら止めないけど、どっちつかずにならないかしら? 二匹の兎を追うことになるのだから」

 

 言葉を返せなかった。

 そういわれると自信は無い。もともと一匹の兎すら捕まえることができなかった苦い経験を持つ。稔は、それで心が暗闇に墜ちた。

 取り返しのつかない過ちを犯した。

 どんなに取り繕っても言い訳ができない。


「敦子さんは、宏美さんの求める真実は、別にあるって。それが何かは言いませんでしたが……」


 敦子と宏美は別々のところにいる。そして美乃理はその真ん中。


「なかなか隅におけないわね、あの子も……。そう、あの子は私の求める真実と言ったのね」


 宏美が感服している。女神と呼ばれる彼女でも敦子は手強い相手のようだ。


「わたしの母も正愛の新体操部員だったこと、以前言ったかもしれないけれど、覚えているかしら?」

「はい……もちろんです」


 美乃理も何度か耳にしている。

 宏美の母は、正愛の新体操部員として活躍していたこと。

 そして、その後の悲しい出来事についても、知ってはいる。

 もちろん龍崎宏美もそうやたらめったらに過去の事情は口にはしない。

 が、女子となった宏美が、この世界で新体操に取り組むきっかけになったのが、この母への想いであろうことは想像がついていた。


「ある大会の時、わたしの噂を聞いて、母と同級生だったという人がやってきたこともあったの。母との思い出も話してくれた」


 はるばる遠くからやってきたというその同級生という女性は、宏美が母親そっくりであることに泣き崩れた。

 かつて同級生同士でもまるで地上に舞い降りた天使と言われた宏美の母。

 その生き写しの娘が同じ新体操で羽ばたいている姿を見て、感極まって抱き着いて人目もはばからず泣かれた。

 そして思い出と無念の結末もその女性から聞いた。


「母の夢は国際大会の舞台に立つことだったらしいわ。その夢に向かってひたむきだったけれど、でも途中であきらめざるを得なかったの。次第に体調を崩しがちになって、練習も十分には、できなくなっていたらしいの」


 夢は叶えられなかった。そしてそのまま卒業した。やがて龍崎家に嫁いだ。

 宏美あるいは宏を産んでまもなくこの世を去った。


「きっと……その頃から病魔が忍びよってきていたのでしょうね」


 母を語る宏美は淡々としていた。

 むしろ胸に秘める思いは無限で言葉では言い表せないからこそ、どこまでもその口から語られる言葉は冷静沈着なのだろう。

 宏美は母の果たせなかった思いを実現させようとしているのだろうか。

 それが敦子の言っていた宏美の真実なのだろうか。


 美乃理の心に一筋、影が差した。

 今の宏美が――。

 若くしてその命を輝かせ、燃やし尽くしたその母の姿に重なって見えたのだ。

 母を追い求めて、その姿をなぞる宏美が、いつしかその結末もーー母そのものになったら……。


(なにをかんがえてるんだろう……)


 美乃理は振り払うように大きく首を振った。

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