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第150章「軌跡」

 そして一ヶ月で宏美に対する評価は百八十度変わった。

 今まで自分も周囲を傷つけた手のつけられない悪魔から、かけがえのない天使へ。  


 いまや学校でも屋敷でも、宏美は皆の心の女神。

 だから心の中で苦笑していた。

 ただごく普通に学校へ行き、ごく普通に屋敷で振る舞っている。

 なのにまるで大事件がおきたかのよう。

 自分はごく普通に振る舞っているだけなのに。


 その理由の一つには龍崎家の家名だけでなく自分自身のもつ美少女としての評価があることも感づいていた。

 世間の現金さも理解していた。そのことを冷笑して受け流すぐらいには宏だった宏美は成長していた。


 やがて数ヶ月が過ぎようとしていた。

 屋敷でも学校でも、皆から敬意をもたれるようになった宏美にある日、婆やがみせたいものがあるといった。

 屋敷の彼女が与えられている住み込みの自室に、誰にも言わないように招き入れられた。 


「婆や、何? 私に大事なものを見せるって」

「お待ちください、お嬢様」


 やがて奥の棚の中から大事そうに何かを持ってきた。

 それは、小さな箱に入れられていた。決して綺麗な箱ではない。

 だが、大事に仕舞われているのはわかった。


「晴美様から、宏美様へこれを、とおおせつかっておりました」

「母から!? まさか」


 千鶴子は頷いた。

 晴美様からあなたへ渡すように命じられていた、という。

 胸が高鳴った。記憶にない母から自分への贈り物。


「宏美様、こちらを、ご覧ください」


 箱のふたをあけると、そこには鮮やかな色と模様が描かれた一着の衣服が入っていた。

 伸縮性に富んだスポーツに使う生地。


「これは……」


 広げると、特徴的な胸や腰、股の形が目に飛び込む。


「レオタード……はっ新体操?」


 母が使っていたレオタード。

 新体操のものだ。

 他にも多くのものが入っていた。

 ハーフシューズも、髪留めのピンも、練習に使ったリボンや手具もある。どれも使い込まれたあとがある。


「大きくなったら、これを宏美様に見せるように、と晴美様から」


 しばし見つめた。ほとんど残っていない母の軌跡。これは何を意味するのか。すぐには想像が付かなかった。


「お願い、聞かせて」


 自分が宏美という少女になった理由がわかるような気がした。

 ここに来る前に体験した不思議な教師、正愛学院新体操部顧問の三日月とのやりとりを思い出した。

 そして、母がかつて所属し、咲き乱れる花のごとくに活躍していた部。

 頭を駆けめぐる。


「母のことを、もっとわたしに」

「はい、もちろんです」


 ただ一度だけ、当時自身の世話役だった千鶴子に言ったことがあるという。

 生まれてきた子が女の子だったら、自分と同じように新体操をやらせたいと。そして自分が果たせなかった思いを成し遂げてくれないだろうか。そう言ってこれらを箱にしまい、千鶴子に託したのだという。


 千鶴子はさらに言った。

 あなたは、晴美さんではないのだから、どうするかはご自由ですよ、と。

 興味がなければ、従う必要はない。

 これはただ遺品としてとっておくだけで良い。


「何故今なの? 婆や」


 ようやく箱から目を上げた。

 そして千鶴子をじっと見つめた。


「それまでは、とても言い出せるような状態ではなかったのです。きっとすぐに嫌だと否定されるから」


 宏美が成長し、千鶴子が適当だと判断した時にこれを見せるようにと指示されていたのだという。

 今までは癇癪を持ち、周囲を信用できず、反発する宏美。

 だから冷静に自分をみつめることができるようになるまで、これは秘密にしておく。自分で考え納得できる決断ができるように。


「今のわたしをみて、見せる時が来たと思ったというの?」

 ゆっくりと、そして確かに頷いた。

 千鶴子は宏美の母、一条晴美について語り始めた。

 幼いころから明るく天真爛漫、そして好奇心旺盛な元気な少女だった。

 そして体を動かすことが大好きだった。

 中でも華麗に、美しく舞う新体操に興味を持った。

 だが母、晴美は周囲から新体操をすることを反対されていたのだという。

 龍崎家のような資産家ではないが、やはり一条家は由緒正しい血筋。

 やはり女子はつつましやかに、控えめに、そんな古風な家柄だったという。

 女性が体を使って有らん限りの美しさと躍動を人々にみせる新体操は、好ましくないものに映っていた。

 けれども、晴美はそんな冷ややかな周囲に対し、辞めなかった。

 そして数々の大会で活躍し、優秀な成績を収めた。

 最高の場所を目指していた。


 母は若い日々を打ち込んだ。

 けれどもーー。それらは夢で終わったという。


「ううう……」

「婆や!?」


 婆やが泣き出した。ハンカチで何度も涙を拭う。


「どうしたの?」


 ハンカチをしまった。

 晴美の写真を片手に、そしてまっすぐ自分をみつめて。


「宏美様が晴美様とあまりにそっくりなのです」


 その写真を見て宏美も驚いた。

 色あせた写真には、まだ少女の時の母親が写っている。

 今の自分と瓜二つだったーー。


 目も鼻も唇も、そしてどことない魅力があるのも同じ。

 そして髪の色までも。

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