第149章「どよめき」
自動車で十五分ほど。そう遠くない場所に宏美の通う学校はあった。
広大な敷地に立つ私立小学校の校舎が見えてきた。
正門を抜けると、やがて薪を背負った二宮尊徳の銅像が出迎える。
そして、大きな二本の銀杏をくぐりぬけると校舎が現れる。
ランドセルを背負った数多の小学生たち……高級車で送り迎え。
龍崎家だけでない。他にも送迎の車が止まっている。
だが、龍崎家の車がきたとなると見えない力が働くかのように場所をどける。
あらかじめ連絡を受けていた学校の職員が出迎えていた。
黒塗りの車が校門前に到着しドアが開かれる。
「おはようございます、龍崎さん。さあ、こちらへ」
再び龍崎家の令嬢が登校した噂は学校中を駆けめぐった。
宏美はほとんど登校していなかったという。
それでも全く問題はない。
龍崎家が創立に関わった学校だから、出席や学習態度など、なんとでもなる。
必要は無いから放置されていた。誰も行けとは言わなかった。
だが学校へ行くことにしたので、かえって周囲を驚かせている。
(普通のことをしただけなのにな)
少なくとも男子の宏にとっては、学校は息苦しい家から離れられる解放される場所だった。楽しい場所ではなかったが、まだましな場所。
だから、苦ではなかった。
私立の煉瓦作りで、年季を感じさせる校舎からは、児童たちの喧噪が聞こえてくる。
早く登校してボール遊びをしている低学年の男子たち。
廊下を歩いても、自分の顔をみて驚く面々。
教室に入ると、記憶の中で見覚えのある顔が並んでいた。
ランドセルを机の上に置いた。
「ごきげんよう、皆さん」
龍崎家式の挨拶をする。
小学校でも龍崎家は特別な存在。
声をかけると、既に龍崎宏美の登校の話はここまで届いていたのか、皆が自分に注目していた。
そして教材を机の中にしまった後は教室の後方にある自分の棚にしまう。
そしてまた自分の机に戻る。
その一挙手一投足に注目している。
教室内がシン、と沈黙した後、皆が寄ってきた。
ある女子が話しかけてきた。
「お、おはよう、龍崎さん」
「何かあったら聞いてちょうだい」
次々にお伺いをたてる児童たち。
この学校は資産家や良家の子女が通っている。
だが、龍崎家は圧倒的な地位を持つ家の令嬢。
女子も男子も腫れ物扱いだった。
「ひ、久しぶりだね、あの、僕のこと、わかる……かな」
恐る恐る尋ねる。
子供なのに媚びた態度や口調。
昔と変わらなかった。
「そうね、波多野君。久しぶり」
笑って返した。
だから、変わった宏美に皆が驚いていた。
やがてチャイムが鳴った。
やってきた担任も明らかに龍崎を腫れ物のように扱っていた。
出欠の名前を呼んだときに明らかに声がうわずっていた。
だが、授業はきちんと静かに聞き、積極的に発言し、手をあげる。
周囲が驚く。
算数の授業では、すすんで黒板に回答を書き、国語の読み上げでもすすんで文章の朗読をした。
体育の授業ではーー。
男子に負けないぐらいに駆け回った。
「うわあ、いたい、うあああん」
勢いよく駆けたために、盛大に転んで泣き出した子がいた。
脚を抱えて呻いている。
「どうしたの!?」
その子に駆け寄って、抱き起こした。
よくみると膝をすりむいて血が流れている。
「大丈夫? 動ける?」
「う、うん……」
背中をさすって落ち着かせる。
「我慢して、今保健室まで運ぶから」
足も軽く捻挫しているようだ。
「保健委員は……誰?」
宏美が探す。
「あ、あたし……です」
一人の女子が名乗り出る。
「先に行って、先生に伝えてきて」
「は、はい」
的確に指示を出してゆく。
そして怪我をしたその男子を抱き起こして、肩を担いで保健室まで運んだ。
傷口にハンカチを起こしてーー。
血が嫌い、潔癖な宏美が、進んで人を助け、自分が汚れることも厭わない。
皆の手本となって、変わった龍崎に驚いた。




