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第148章「動き出す朝」

 部屋から出ていく千鶴子の後ろ姿を宏美は見送った。


「どうしてだろう……」


 ささやかな膨らみのある胸に手を当てる。

 いつにない、爽快感がある。

 この姿に変わってから……。いや、もっと前の宏だった頃からずっと無かった感覚だ。

(ちょっと思い立ったから試してみようとしただけだったのに……)

 だが、新しいことが始まろうとしていることを直感していた。

 その夜はしばらく宏美は眠れなかった。


 そして翌日。 

 宏美が久しぶりに学校に登校する。その報告を受けて朝から屋敷の者がめまぐるしく準備に駆け回っていた。

 屋敷のものたちはささやきあっていた。

 宏美お嬢様の機嫌がすこぶる良い。

 久しぶりに学校へ登校するのに、自分たちが粗相をして、気持ちを変えてはならない。

 皆がやる気をみせていた。

 朝の清掃も、いつもより丹念に行われた。

 食堂の途中にある廊下にも丁寧に手入れがされた生花が飾られた。

 料理人は宏美のために腕によりをかけて作った。

 そして朝早く起きた宏美は、一人屋敷の食堂で朝食を取った。

 準備は千鶴子がまた手伝った。


「どれがいいか、選んでくれますか?」


 まだ宏美には女子の服がよくわからない。


「これなどはいかがでしょうか」


 制服は動きやすい、それでいて見栄えも良いワンピースだ。

 千鶴子が丁寧に手入れをして、皺もなく張りがある。

 黒い革靴、カチューシャで長い黒髪を留めた。

 選定は完璧だった。

 鏡の前で自分の姿を確認した。胸元のリボンの形を直す。


「形だけは、それなりか……いや、それなりね」


 言い直した。今の自分は、まだ小学生の少女なのだから、と割り切ることにした。

 どんなことになってるのか、そしてこれからどんなことになっていくのか興味はあった。

 面白い。この世界の自分がどうなのか、見てやろうと、ますます腹が決まった。


 ランドセルを背負った。教材も机の中にしまわれていた時間割などから確認し、自ら用意した。




 玄関前には、黒塗りの車が既に止まっている。

 周囲には、大勢の使用人たちが見送るべく整列している。

 久々のお嬢様の登校。見送らなければいけない。

 やがて姿を現した宏美は多くの視線を浴びながらも、悠然した歩みをすすめた。


「いってらっしゃいませ」


 使用人たちは驚いた。

 今日の宏美は、まるで見違えるように落ち着いている。一体何があったのかはわからないが、良い兆候だ。

 まだ半信半疑だが、あの偏屈なご令嬢が変わったのかもしれないと屋敷の皆の胸に明るい灯が点る。

 自分たちがガラス細工のように繊細な少女の心を壊してはいけないと、最大限の心配りをした。


「どうかお気をつけて」


 自分を見送る使用人たちは涙を浮かべている者すらいる。


「行ってきます」


 その見送りの者たちに宏美は小さく手を振って車に乗り込んだ。

 車のドアを開ける千鶴子。中は高級車のごとく革張りだった。


「頑張ってください、お嬢様」

「大丈夫よ、婆や」


 女言葉を使った。心の中で苦笑した。自分も案外役になりきっている。

 この状況を楽しんでいる自分にも笑った。


 多くの使用人たちは、車が走り出してもそのまま見送り続けた。

 その中に家族の姿は無い。父も継母も、お寝坊さんの弟も見送らない。


「ふふ……こっちでもそれは変わらない、か」

 

 また苦笑する。

 そして変わっていく外の景色を眺めた。町並みは徐々にビルが建ち並ぶ景色に変わっていく。

 大きな川を越えた。


「まもなくです、お嬢様」


 運転手も緊張の面もちで運転している。


「ありがとう、塚原さん」


 運転手の名前を呼んだ。

 そして制服のスカートの部分を少し摘んだ。ふわっと広がるその心地にまだ慣れていない。そこから見える小さな足。

 また少し笑いがこみ上げてきた。


「このオレが……こんな格好して小学校にいくなんて……まあいいか」

「は? なんでしょう」


 運転手が聞き返した。


「いいえ、なんでもありませんわ」


 にこやかにまた女言葉で返事をした。


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