第144章「孤独の城の少女」
時間だけが過ぎていった。
豪華な装飾の壁掛け時計が時間を刻む音がする。
ただ静かだ。
広大な屋敷の片隅で、部屋から出ることはなくひたすら龍崎宏美は閉じこもり続けた。
ベッドに寝たままふさぎ込み、誰とも会わず、誰とも話さない。
誰かが来て、部屋から無理に出そうとしても、追い返すつもりだった。
だが突然少女になった宏美は、おかしなことに気づいた。
部屋に引きこもり続ける少女に対し、屋敷の者は誰も気にしないで淡々と対処していく。
着替えや食事を部屋の前に置いて立ち去る。
大きな装飾、豪華な家具。一人の少女には大きすぎる部屋である。
クローゼットの中には、最高級の衣服が目を見張るぐらいに沢山ある。
窓のカーテンを閉じ、暗い部屋の中に閉じこもっていた。
そこでただ一人宏美は部屋の中で過ごした。
(なんで誰も何も言わないのだろう……。部屋から出てこいとも、学校にいきなさいとか、大丈夫かと気遣うこともないのか。まるで、これが日常のようじゃないか)
時折、そんなことを考えた。
引きこもる少女が、いつもどおりの光景という反応だった。
ただ唯一宏美の部屋にやってくる者が一人いた。山川千鶴子という長年龍崎家に使えてきた使用人であった。
「千鶴子さん、いいえ、婆やっていった方が美乃理ちゃんにはわかるかしら」
美乃理はよく知っていた。
「あの人ですか。あの物静かで綺麗な女性……」
「ええ。婆やはわたしの専属の世話人なの」
これまでも度々宏美との会話でも出てくるその人は美乃理に強い印象を残していた。
宏美の世話役の老女である。
そして心を開く数少ない人物である。
「特に婆やは、わたしの様子を聞きにやって来た。朝、昼、夜の三回。何かほしいものはないかって。そして言いつけ通りにしたらまた去っていく。その繰り返しを根気よく続けてくれた」
婆や。千鶴子さん。いくつかその人の呼び方がある。
美乃理もその物静かな女性に幾度か会ったことがある。誰も家族が顔をみせない新体操競技会に、この年老いた女性だけが、衣装を忘れたので、届けにきたといって、やってきたこともあった。
まだ美乃理も幼い少女の自分。
とある競技会の会場の控え室で皆が緊張と期待に胸を躍らせている時間。
現れたその清楚な老女に驚いた。
宏美お嬢様にこれをお届けに参りました。
あなたが御手洗様ですか。いつも話は伺っています。
聞きしに勝る美しいお嬢様ですね。
いわゆる家政婦、メイドなどと呼ばれる黒を基調とした厳かな衣服を来ている。凛として気品があった。
礼儀正しく綺麗な姿勢でお辞儀をする。
皆驚いた。これが本物の良家の召使いかと。
「ありがとう、忙しいのにわざわざ来てくれて」
宏美は申し訳なさそうな表情。そして最大限の気遣いと労りをみせる。
「お嬢様どうか、お気になさらずに」
口振りから宏美がこの人に大きな信頼を置いていることもわかった。
この人こそが当時から彼女を支える数少ない人だと周囲も知っていた。
「凄いね」
「うん、ああいう人になりたいな」
宏美から信頼されるとは、これほどのことかと噛みしめていた。
忍と一緒に顔を見合わせ驚いた。
「素敵……」
麻里も輝いた目で見ていた。
小さな会社を経営している家で育った麻里だ。
お嬢様然と育てられ気の強い子として成長したが、本物を目の当たりにして、感激していた。
亜美も無言で感激していた。
あの時のキッズコースのメンバーは皆心に共有したのだった。
そして今、それらの記憶が合宿中の食堂で宏美と向かい合う美乃理に思い起こされた。
「凄く気品のある人でした」
宏美は笑って頷いた。
「ええ、わたしの家の者の誰よりもあると思うわ。見かけだけでなく心根もね。わたしも……きっと及ばないわね。あの人には迷惑をかけっぱなしだったわ。彼女には困らせては助けられてばかりだったもの」
特に、この頃のわたしは、と付け加える。
宏美は再び口を開いた。
「あの時のわたしは、自分は一体なんなのか、これからどうなるか、ただそれだけを思っていたのよ。当然、新体操のことなど頭にも浮かばなかった」




