第141章「未来へ向けて」
続いて一年生の話題が出た。
「そうなの。和穂ちゃん、頑張っているのね」
高等部の宏美は直接面倒をみることは、あまりなく中等部一年生の事情は詳しくない。
感心したように頷いた。
「ええ、びっくりしました。あれで、中学から始めたばっかりみたいですよ」
「美乃理ちゃん、期待してるのね」
「ええ、きっとあたしに負けないくらいになるかも……それに一緒にいると元気になれますしね」
美乃理と敦子の二年生。一年生に和穂がここにきて芽を出してきたことは大きかった。
「そうね、あの子も不思議な魅力を持つ子みたいね」
離れた場所にいる和穂の方をみた。
和穂には周囲にいつの間にか人が集まっていた。
そして宏美との会話が途切れた。
「……」
次の言葉が出ず冷めかけていた食事を黙々と口に運ぶ。
なんとなくこのまま煙に巻かれそう。
そう思って切り出した。
「宏美さん、あの……聞いたんですけど」
ようやく口にした。そして姿勢をただしてまっすぐ宏美の顔をみつめる。
「なあに? 美乃理ちゃん」
「留学するって、東都女子体育大に行ってしまうってそのまま……そう聞きましたけど、それは本当ですか?」
言い終わらぬうちに宏美がふふっと笑った。
「そんなことを聞きたかったの?」
なんだ、そんなことか、大したことじゃないといかにもいいたげであった。
宏美の表情は、まるで期待を裏切ったかのように余裕の笑みを湛えている。
質問は、予想の範囲内という感じだ。
「はい。教えてください」
笑みをまだ浮かべつつ、ゆっくりと腕を組んだ。
「確かにそういう話はあるわ。でも、そこまでなにもかも全部決めたわけではないわ。あくまでもこれからの自分を考える上でどれがベストなのか、栗原先生と話をしただけよ」
「そ、そうなんですか? でももう決まったようなことを聞きましたけど……」
合宿中、あっちこっちで話題になっている。その話は美乃理の耳にも到達している。
しかし、まだ宏美の口からは直接聞いていない。
「あくまでも噂よ」
龍崎宏美の性格からして、そういう話があってもその気が全くなければ、即座に否定するはずである。
その話が俎上にあって噂とはいえ聞こえてくるということは、具体的に考えているということだ。
宏美なら、留学や強化指定などといった特別なことをしなくても、きっと問題なくやれるし正愛にいたままでも相応の成果をだせるだろうが。
「あ、ひょっとしてわたしがいなくなると寂しくなっちゃうって想った?」
ますます笑った。
「そ、そうじゃ……ないですって。そんなこと」
美乃理は否定しようと思った。けれどもまっすぐに自分をみつめる宏美に、抗うことはできないと悟った。
どこまでも自分の心を見通すような、そんな視線。
にこやかな笑みの向こうにいるのは小悪魔だ。
正直に言うことにした。
「まあ、ちょっと、少しだけ思いました」
あきらめたように頷く。さらに笑った。
「うふふ、そうね、わたしたちは一緒だったものね。その胸に秘めてるものも歩んできたものも……」
そして宏美は少しまじめな顔に戻る。
「安心してちょうだい。まだそんな急な話ではないの。ちょっと噂が大きくなってしまってるみたいね」
「というと、どういうことですか?」
首を傾げた。どうやら流れている噂は全てが真実ではないようだ。
「ちゃんと栗原先生には伝えたわよ。環境を急に変えるのは良くないから、正愛にはまだ残るってね。そして栗原先生からは、少なくとも卒業までは正愛にいたままでも東都女子体育大の施設を使って練習したり、指導を受けてもいいって言ってくてたわ」
東都女子体育大までは、正愛学院からは電車で三十分ほどの距離にある。通えない距離ではない。とはいえ、破格の待遇であることは確かだ。
「そう遠くないですしね……でも……」
宏美は頷いた。
「時間と、あとは施設と指導体制の充実さ、どっちを秤にかけるかね」
「そういうことだったんですね」
考えてみれば、納得できる話だ。
そして、宏美らしい高度な選択だと思った。
「もちろん在学生でもないのに施設を使うってことで、栗原さんが、もっと学校の偉い人と話をつけたりと骨を折ってくれてるみたいで、それでお礼もいったところなの」
「そうだったんですね」
ようやくことの真相を本人から聞けて、美乃理はややほっとして頷いた。
「先の心配をしてたのかしら。でもさらにその先はどうなるかなんてわたしにもわからないわ」
「確かにそうですね」
この競技は常に変わってゆく。
ルールだって変わるし 採点の基準変更。演技や曲の流行りすたりもある。
これまでは各学校バラバラで競わせていたが、今は全国一丸になって統合していこうという動きがあるのも、世界のめまぐるしい動きにあわせるためだ。国内に凝り固まっては駄目だ。
そして龍崎宏美を世界に送り出すという遠大な計画もその一つだ。




