第126章「朝の洗面所②」
まさかここで昨日夜の会話の続きをするわけにもいかない。
「あっちゃんは、短くていいね」
何気ない雑談をする。タオルを畳む。
「ん? 何が?」
「ほら、髪」
「ああ。なら美乃理もそうすればいいじゃん」
敦子はそのまま顔をばしゃばしゃ洗っている。
しっかり櫛で整えている美乃理には短くしている敦子が羨ましく感じた。
髪が長い方がやっぱり手間は相応にかかる。
「昔はみのりんも結構短かったじゃん。また、あたしみたいに、思い切ってばっさりやっちゃいなよ。長いとうっとうしいよね」
少し際どいことを言う。どきっとした美乃理だが、彼女は何食わぬ顔でいる。やっぱり昨日の夜は確かに夢ではなかった。
ショートの髪をやはりせっせと櫛でとかしている。が、髪の長い美乃理よりはずっと楽だ。
「こっちの苦労を教えてあげたいよ」
「はは」
清水敦子は、おそらく長くのばしても十分綺麗だと思う。
だが、短めの髪はもう敦子のトレードマークにもなっている。
「なんだったら、野球部みたくね。いいよ、髪なんて気にしなくていいから」
丸坊主のことを言っているのだろう。髪を手でぐいっとバックにしてみせた。
「冗談言わないで」
「だったらぼやかない、ぼやかない」
「わかってるって、もう」
もう戻れない場所への懐古にすぎないことは美乃理にもわかっている。
「それに……案外いいと思うよ。あの野郎どもの一致団結力は参考になると思うけどなあ。ねえ」
歯を磨きを終えた敦子はバットの素振りをする構えを見せた。
カキーン、という効果音も添えた。
「まるで知ってるみたいだね」
意外に様になっている敦子のバッティングフォームに突っ込む。
「あはは。ただし、先輩たちとはこんな口はきけないけどね。あそこはバリバリの体育会系のノリの上下関係だからね。下手なことしたら生意気だなんだってしめられるよ」
うんうんと、自分で頷きつつさっさと行ってしまった。入り口でまっていた一年生の後輩の肩をぽん、と叩いた。ほら、空いたよと声をかけていた。
まったくつかみ所がない。
「あ、隣、いいですか? 失礼します」
敦子と入れ替わるように、別の一年生がタオルや櫛、歯ブラシを手に持って恐る恐る伺いながら入ってきた。
「いいよ、おいで、ほら」
美乃理が少し隙間を空けて手でおいでと誘うと一年生が恐縮して隣に入った。
「すいません、先輩」
やはり歯ブラシとタオルを持って準備をいそいそと始める。
その後ろでもセットを終えるのを待っている部員たち何人かいた。
「ごめんね。もうすぐ終わるから、もうちょっと待って」
待っている子たちに声をかける。意外に時間がかかってしまっていた。
「御手洗先輩、気にしないでください、あたしたち大丈夫ですから」
ふと周囲の反応が気になった。昨日の、敦子との出来事は考えてみればまずい。誤解されてもしょうがない。
あの場面をもし誰かに見られていたら……強力な女子のネットならば、すぐに朝にはそこかしこで囁きがありそうなものだ。が、雰囲気からして、それはなさそうだ。
顔をタオルで拭きつつあたりを伺う。何か気になるやりとり、ヒソヒソ話が聞こえてこないか耳を澄ます。
周囲の様子を見ても、怪しいやりとりはない。
「えー、嘘?」「しー、声が大きいよ」などなど。そんなやりとりがなされているだろう。
そして思いあまって美乃理にこっそり伺ってくる輩もいるはずだ。
「先輩、あの件って本当ですか?」などと。
芸能レポーターのごとく切り込んでくる物怖じしない子は一人や二人いる。
周囲の子たちの様子を窺ってもそんな変な様子は見られ無い。
だから、大丈夫だと判断した。
「よし、こんなもんかな。待たせてごめんね」
なんとか整った。後ろで待っていた部員に声をかける。
その部員は一礼をする。
そして共同洗面所を後にした。
「御手洗先輩、おはようございます!」
「あ、おはよう」
すれ違いに洗面所へ向かう子たちと挨拶を交わした。
のんびり起きてきたグループだ。そろそろ空いたかな? とささやきあっている。あるいはおしゃべりなどをしながら。
混雑しているのを察して部屋でゆっくりしていたのだろう。
「うそー、まだ混んでるよ」
という声が後ろから聞こえて心の中で「ごめん、原因はあたし」と謝った。




