第11章「美乃理(みのり)と健一とサッカー」
稔が小学校低学年の男子児童だったころ、比較的よく付き合っていたのは、飯山剛と福島義行を始めとする男子児童達だった。
彼らは、カードやゲームが大好きで、学校への持ち込みが禁止されているゲーム機や、玩具メーカーが売っているカードを持ち込んでは遊んでいた。
女子の机に虫を入れたり、肩にカマキリを置いて見せたりの悪戯をしたりもあった。
いわゆる悪ふざけをするグループだった。
そいつらと低学年の頃、稔が親しくなったのは、ゲームソフトも、マンガも、いっぱい持っていたからだった。
稔の両親は、ゲーム機やおもちゃなどを普段家に一人でいる稔に欲しいといったものは何でも買い与えた。
だから、おもちゃの類をいっぱい持っている稔のことをどこで知ったのか、いつの間にか近付いてきた。一人でいることに寂しさを覚えてた稔も彼らを受け入れた。
やがて家にも遊びに来るようになり招き入れた。
一番、稔が小学生時代に親しくした相手だったろう。
だが、その時の稔にはなんか満ち足りないものがあった……。
ある日。
レアカード。
あるゲーム会社が販売しているゲームをモチーフにしたカードゲームの中に、極レアカードと呼ばれるなかなか手に入らないアイテムがあり稔は、それを持っていた。
それをやたらと、せがまれた。
稔は、最初は渋ったが、たまたまもう一枚、持っていたから断りきれずに、渡した。
「ありがとな、へへ、お前はやっぱりお前と付き合ってて良かったよ」
その獲物を手に入れた獣のような下品な笑顔を忘れない。
結局、飯山たちは、この一枚のカードのためにボクと付き合っていたのだろうか。
やがて、彼らは、いつの間にか稔のところには、来なくなってしまった。
進学塾に通い始め、遊ぶ時間が減り、家には呼べなくなってしまった。
それと共に、離れていった。
まるで鳩にやる餌がなくなり、寄りつかなくなってしまったように。
そして、より一層、稔は一人で過ごすようになった。
誰かが親しく寄ってきてもより無関心になった。
登校していた美乃理はふいに蘇った苦い思い出に思わず胸を擦った。
(もうあんなのは興味ないけど……)
あのカードは稔の部屋の奥に今も空しい記憶と共に仕舞われたままだった。
今の美乃理には、飯山や福島たちも寄ってこないだろうが少年時代の記憶が胸を締め付けていた。
「どうしたの?」
忍が考え事をしている美乃理に気付いた。
「あ、ううん……」
女子としてこれからあの教室に通わないといけないと思うと、体が緊張した。
「大丈夫だよ」
事情を知ってるはずがないのに忍は励ましてくれる。
忍と繋いだ小さな手からは、温かさが伝わってくる。
横断歩道に差し掛かった。
「おはよう! 美乃理ちゃん、忍ちゃん」
横断歩道に立つ交通安全員のおじいさんが、やはり今朝も声をかけてきた。
「おはようござます、おじさん」
「お、おはようございますっ」
忍の大きな声につられて大きく挨拶した。
「今日は忍ちゃんも美乃理ちゃんも元気だね」
おじいさんは、より一層笑顔になった。
公園を過ぎた辺りから徐々に通学する花町小の児童が多くなり、道は赤と黒の二色が覆う。
「昨日パパが仕事終わった後、みんなでご飯食べようって、急に言い出して、近所のファミレスに行ったんだ」
忍はよくしゃべった。
家族のこと、それに学校のこと。
そして美乃理のことも。
ついこの間あった体育の授業でやったかけっこで美乃理は男子女子合わせて一位だったという。
「すっごく速かったね」
「そ、そうなんだ……」
美乃理はクラスで最もかわいい子の一人とされていること。
そして、美乃理のチャームポイントがポニーテールだってことも。
「今日はポニーテール、しなかったんだ」
「え? う、うん」
髪の毛を整えるだけで一苦労だったので髪型はとても手がまわらない、とは言いにくかった。
「美乃理ちゃん、ポニーテールが大好きで、いつもしていたの。それに、美乃理ちゃんは大体スカートが多いし……」
早速服装チェックが入っていたようだ。今日朝スカートが嫌だから選んだショートパンツ、そういえば、洋服もスカートが多くて洋服箪笥からズボンを探すのに苦労した。
。
「うーん、なんだか、服の感じが、男の子っぽい」
「う……」
「でも、男の子っぽい美乃理ちゃんも可愛いよ」
忍はまた笑顔を見せた。その優しい笑顔はかえって、本音はこれまでの美乃理の方が、好きだってことの意味が含まれているような気がした。
「そういえば、昨日、美乃理ちゃんにお話ししたあれ……」
忍が、少し伺うようにして、切り出してきた。
ずっと話すタイミングを伺っていたのだろう。
すぐに美乃理も察した。
新体操のことだ。新しくできた新体操クラブに一緒に入らないかという誘い。
「ごめん、昨日父さんも母さんも帰ってこなくて話せていないんだ。今日話してみる」
「そっか……美乃理ちゃんのお父さんとお母さん、忙しいもんね」
申し訳なさそうにした美乃理の肩をポン、と励ますように叩いた。
「じゃあ明日だね」
タタタ……。
ダダ……。
誰かが駆け寄ってくる足音と気配があった。
なんだろう? と思った瞬間だった。
「きゃあっ」
すぐ横で、小さな悲鳴が上がった。声の主は忍。
「ああ、やだ、返してえ」
焦った忍が繋いでいた手を離して走り出した。
さらにその先には、一人の男子児童が走っていく姿。
男子児童の手には、忍の黄色い帽子があった。
走り抜けに、黄色の帽子を奪い取ったのだ。
(あ……)
美乃理の脳裏に記憶が鮮やかによみがえった。
忍から帽子を奪い取った男子は飯山のグループにいた一人。名前は宮田。
こういう迷惑な悪戯をよくしていた。特に忍のような優しい女子をターゲットにして。
机にカマキリを入れて驚かせるような悪戯をよくしたのもこの宮田である。
「こっちまでおいで、ノロマの忍」
「いや、返して」
忍は追いかけるが、元々走りは苦手だ。どんどん離される。
悲鳴、困惑。
そして忍の叫び声。
(助けなきゃ)
足が自然に動いた。
美乃理は走り出していた。全速力で足を動かす。
有らん限りの力を出した。
「美乃理ちゃん!?」
忍が追い越した美乃理に驚いた。ぐんぐん宮田の背中が、大きくなる。
宮田の黒いランドセルを掴んだ。
「うわっ!」
追いつかれ捕まったことに焦っていた。
「シノちゃんの帽子、返せっ」
だが相手もさるもので、このままおめおめと帽子を返さない。
腕で帽子を抱えて盗られまいとする。
美乃理も奪い返すべく宮田の体にしがみつき帽子に手を伸ばす。
取っ組み合いになった。
よろめいてお互い地面に倒れる。
「!?」
宮田が驚いていた。女子がここまで、真っ向から力勝負を挑んできた。
中学、高校ともなれば男子と女子の腕力に明確な違いがあるが、まだ今は力に大きな差は無いと思われた。ほぼ互角だった。
「く、この……」
宮田の顔が真っ青になってきた。
多分、中学、高校の時の柔道の授業で寝技の練習した経験の差だろうか。
美乃理の方が上を取った。手足の動きを封じ込める。バタバタさせるが、
勝負が着いた。
と思った次の瞬間、ふいに美乃理の顔の辺りに手を伸ばしてきた。
「へへ……」
(しまった)
髪の毛を掴んできた。宮田は、思いっきり美乃理の髪の毛を引っ張ってきた。
無造作に、ぐい、とやられると想像以上の強さで、頭が引きはがれそうな激痛が走る。
「痛い! やめてっ」
長い髪の毛を引っ張られると、ここまで痛いなんて。しかも体の自由が利かなくなる。
一気に形勢逆転。
せっかく押さえ込んだ宮田の体を離してしまう。
ドンッ
急に体がふわっとした。宮田があっさり手を離した。しかも宮田は不自然に転がった。
なんだかわからないが、助かった。
「!?」
何が起こったのかわからず、立ち上がって辺りを確認する。
そこには、もう一人の男子が立っていた――。
「だっせえな、お前――負け認められないなんてよ」
その突然現れた男子が、いきなり宮田を突き飛ばしたのだった。
「あ……けんちゃん」
蹴飛ばされた宮田は、恐れるような顔をした。
宮田にとっての予想外の連続。リーダーの登場だ。
女子に追いつかれたショック、しかも取っ組み合いで負けそうになった。
しかも、それを健一に見られた。男子のリーダー的存在の健一に。
「ほらよ」
いつの間にか健一は拾ってくれていて、帽子を美乃理に差し出した。
「あ、ありがとう……」
立ち上がって帽子を受け取る。
「はい、シノちゃん」
そしてさらに追いついてきた忍に、宮田が取っ組み合いの途中で地面に落とした帽子を拾って渡した。
だが忍は帽子を無事取り戻したことに喜ぶ様子もなく、美乃理を見て泣きそうな顔になった。
「きゃあ! せっかくの綺麗な髪なのに……」
取っ組み合いのせいで美乃理の髪は、かなり乱れていた。せっかく朝、慣れない手つきでセットしたのだが……。
「ひっどーい!」
いつの間にか橋本さやかが傍らにいた。今日はジャケットに、スカートを穿いていた。
「サイテーね、あんた!」
怒りと責めの視線を容赦なく向けた。
気がつくと、知らない女子児童もいる。名札を見ると二年生だ。
「ほら、櫛あるよ?」
さらにどんどん色んな学年の女子が集まる。
「大丈夫? あなた」
「怪我してない? 保健室行く?」
騒ぎを受けて高学年の女子まで集まってきた。
いつの間にか、美乃理の周りはランドセルの赤い色で覆われる。
色んな学年の女子児童が、集まっていた。
そして、非難の十字砲火を浴びせるー。
「うう……」
宮田は完全に包囲された。
「あ、ありが……とう、でも大丈夫です」
「本当?」
結束力と同調に内心驚きつつ自分を心配してくれたいろんな女子児童たちに御礼を言う。
ふと気がつくと、女子たちの囲みの中に、一人だけ黒いものを背負っている姿があった。
「健一! あとでこらしめて頂戴!」
さやかは、まだ怒りが収まらないようだ。健一に怒りをぶつけていた。
(そういえば、この二人は仲が良かったっけ)
「お前、足すげえ速いんだな……」
健一が近づいてくる。
どうやら健一は、最初から見ていたようだ。
「どうだ、一緒にサッカーやらねえか?」
サッカーボールがあった。
そう、健一は確か小学校からサッカーが好きで、少年チームにも入っていた。
「お前なら絶対良い線いくぜ――」
これって……以前にもこんなことがあったような気がする。
「だあめ、けん君。あたしと一緒に新体操やるって約束してるんだから」
ボクの髪の毛を櫛で溶かしながら、忍ちゃんが遮った。
「体操?」
「ええ、新体操よ」
「へ、へえ……体操を? 朝に?」
多分健一には体操はラジオ体操ぐらいしか知らないだろう。
目を丸くしていた。
「サッカーは男の子だけじゃないの?」
「そんなことないさ。御手洗だってできるさ」
健一は、なおも美乃理に期待している。
どこかでみたような光景に美乃理は胸がふと寂しくなった。
稔だった男子でも、健一とサッカーする事は無かったんだ。




